日本語学校の先生たちは、丁寧に言葉を教えてくれるだけでなく、いろいろな悩みごとについても親身になって相談に乗ってくれました。そしてアルバイト先の居酒屋の調理場でも、いわば「大阪のおっさん」と呼ばれるような人たちが大変親切にしてくれました。

外国から日本に留学にくる場合、日本人のどなたかが保証人になるのが前提条件でした。私は大阪での留学生活が始まったひと月後、保証人になっていただいている大阪府在住の方のご自宅へ挨拶に行きました。ご自宅の玄関口に入ったところで、そのお家の50代の奥様が床に正座して私を迎えてくださいました。

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その光景に、私の心は強く揺さぶられて、感動のあまり涙がこぼれそうになりました。それまで生きてきた26歳の人生の中で、親族以外の人からそれほど温かく、それほどの礼儀を持って迎えられたのは初めての体験でした。ある意味では、現代に至るまでの私の「日本人観」は、まさにその瞬間においてでき上がりました。

中国民主化を打ち砕いた「天安門事件」

そして年が改まって1989年になると、新年早々に昭和天皇が崩御されて、日本は平成の時代に入りました。この年の2月には昭和天皇の大喪(たいそう)の礼が執り行われ、翌年には平成の天皇陛下の即位の礼が盛大に行われました。

昭和天皇は1989年1月7日に崩御され、同年の2月24日に新宿御苑で大喪の礼が執り行われた
昭和天皇は1989年1月7日に崩御され、同年の2月24日に新宿御苑で大喪の礼が執り行われた(写真:gettyimages)
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古式に則って、粛々と執り行われたそれらの式典をテレビを通して拝見した私は、日本という国の伝統の素晴らしさと奥行きの深さ、日本の皇室の尊さを知りました。

この年の4月に、私は1年間の日本語勉学を終えて、晴れて神戸大学大学院の修士課程に進学できました。しかし、大学院での本格的な留学生活を始めてからしばらくして、祖国の中国では歴史的な出来事が起こりました。大学生を中心とする中国の若者たちが北京の天安門広場を拠点に大規模な民主化運動を起こしたのです。

以前、北京大学に在学中、中国の民主化推進に熱心だった私は、この事件を知り、多くの留学生仲間たちと一緒に中国の民主化のための海外組織を立ち上げ、中国国内の仲間たちの民主化運動を外から応援しました。

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