1988年に中国から日本に留学した石平氏は、翌年に起こった天安門事件に嘆きながらも自分の進むべき道を模索し、日本への帰化を決意する。
しかし熱意を持って臨んだ帰化手続きは、なんともアッサリとしたものだった。日本国旗すら飾られない簡素な部屋のなかで、たった5分で帰化申請許可は終わってしまったのだ。日本をこよなく愛する国際問題評論家・石平氏が、【前編】<中国からの留学生が震えるほど感動した「日本人のすごさ」…「奥様が床に正座して私を迎えてくださいました」>に引き続き、日本への愛着と自身の帰化体験を語る。
※本記事は、石平著『帰化人問題――帰化18年、愛する日本のための提言』(ワニブックス刊)より一部を抜粋編集したものです。
日本人の税金のおかげで、安全な留学生活を送れた
天安門事件で落ち込んだ私はなんとか立ち直り、神戸大での本格的な勉学を始めたのですが、ここで私はまた、大きな幸運に恵まれました。自費留学生だった私は、日本の文部省(当時)から高額な返済無用の国費奨学金をいただくことになったのです。それ以後5年間、日本国民の皆様の税金のおかげで、私は何の心配もない、安定した留学生活を送ることができました。
私は中国の大学では哲学を学び、神戸大大学院での専攻は文化学でした。したがってごく自然に、私は日本の文化・文明に大変な関心と興味を持ち、その勉学に没頭していきました。
大学の図書館や街の古本屋さんから日本文化や日本の思想、そして日本の歴史に関する書籍を大量に調達してきて、それを読み漁りました。また、大学の教授たちが立ち上げた「近畿の名所を歩く会」の活動に積極的に参加しました。
ほぼ毎月一回、先生たちと一緒に、近畿地方にある寺社仏閣を訪れたり、歴史の名所を歩いたりしていました。伊勢神宮や原橿原(はらかしはら)神宮に参拝し、高野山や比叡山に登り、奈良の飛鳥の里や山辺の道を歩き、京都の嵯峨・嵐山や大原の里を歩き、そして洛中洛外の名社名刹を巡りました。