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2015年10月31日13:26

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三好達治の二人の妻

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中谷孝雄の『招魂の賦』で回想されている、特に三好達治との交友の思い出が面白かったので、この豪傑的気風を持った抒情詩人の伝記を確認したく、wikiの三好達治の項目を読んでいたら、次のような記述があった。

「(萩原)朔太郎には妹が4人いて、郷土前橋では聞こえた美人だった。朔太郎より18歳下、末の妹アイは姉たちとは違ってはなやかなタイプの美人で性格が悪く23歳で2度の離婚を経験していた。東京馬込の借家に同居していた時、アイに一目惚れして求婚するが、達治は27歳で東大仏文科を卒業したばかりで、文士を生活無能力者とみなしていた彼女の両親の反対にあい、断念。朔太郎が『月に吠える』を刊行した版元に就職を決めてアイと婚約するが、会社が倒産して萩原家から破談を宣告される。が、アイが詩人で再々婚した佐藤惣之助に先立たれると妻智恵子(佐藤春夫の姪)と離婚し、朔太郎の三回忌に夜どおし説得してアイを妻(達治41歳、アイ37歳)とし、福井県三国町で暮らす。しかし、10ヶ月で地方暮らしの単調さにアイが不満を口にし、達治は凄惨な暴力で報い、45年の雪解けを待ちかねて東京へ逃げ帰り、離婚。これを題材にして書かれたのが萩原葉子(朔太郎の娘)による『天上の花』(現在は講談社文芸文庫から出版されている)である」(Wikipedia「三好達治」)

ことに「末の妹アイは姉たちとは違ってはなやかなタイプの美人で性格が悪く23歳で2度の離婚を経験していた」という記述がなかなか強烈。「性格が悪く」と思いっきり書かれている、この萩原アイという女性のことも気になってググったら写真が見つかった。たしかに、目元が朔太郎によく似ているモダンな雰囲気の美人である。

三好達治は、昭和9年に佐藤春夫の姪・智恵子と結婚し、一男一女をもうけている。その妻子を捨てて、独身となった萩原アイとの恋に走ったのである。青春時代の恋を、十年以上経った後、妻子を捨ててまで成就した三好達治の執念も凄いが、それだけ、萩原アイは男を狂わせる魔性の魅力を持った女性だったということかもしれない。そして、そんな異常な恋の末の結婚も、一緒に暮らしてみればわずか10カ月で破綻してしまうという儚さが、実に「文学」である。しかも、三好達治と萩原アイが、お互いいい歳をしてこんな馬鹿なことをやっていたのが、昭和19年という、大東亜戦争もいよいよ末期に差し掛かる大変な時期だったというのも素晴らしい。お国の大事なんてそっちのけで恋にうつつを抜かしてこそ、真の文学者というものである。「文学報国」などアウト・オブ・眼中のその狂態、天晴れである。

ところで中谷孝雄の『招魂の賦』では、三好達治と萩原アイの結婚は次のように実に簡単に書かれているだけである。萩原アイに至っては、名前すら挙げられず「ある婦人」という書かれ方である。

「三好はその後、ある婦人との恋愛のため、こんどは本当に細君を離婚除籍し、北陸のある港町へ移って意中のその婦人と同棲したが、やがて一年たらずでその婦人とも別れてしまった」(中谷孝雄『招魂の賦』)

この淡々とした記述に、中谷のアイに対する冷めた眼差しが感じられる。元々三好達治に智恵子との結婚を勧めたのは中谷孝雄自身なので、中谷は萩原アイにはいい感情を持っていなかったのかもしれない。『招魂の賦』によると、萩原アイと別れた後、三好達治は智恵子とよりを戻したそうである。一度は自分と子供を捨てて他の女に走った夫を許すのだから、智恵子も相当の女傑であり、また、三好達治にも何だかんだいってそうさせるだけの魅力があったということなのかもしれない。

『招魂の賦』の末尾近くには、二人の妻を持った者は極楽では二人の細君に挟まれさぞ窮屈でしょうね――という中谷の問いに答えての佐藤春夫の次の言葉が紹介されている。

「いや、極楽はそんな窮屈なところじゃない。蓮のうてなはゆったりしているし、それに細君が何人いたにしても、彼女たちは嫉妬も起さなければ、争いもしないからね」

さて、三好達治と二人の妻も、極楽浄土では仲良くやすらっているだろうか。
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