『梶井基次郎全集 第三巻 書簡編』

- -
「僕は現世に容れられない天才といふもの、あまり眞面目なために俗人の間に悲劇的な最後をとげる者――かう云つたものに非常に惹きつけられる。」
(梶井基次郎)


『梶井基次郎
全集 第三巻 
書簡編』



筑摩書房
2000年1月25日 初版第1刷発行
525p 目次3p
口絵(モノクロ)1葉
A5判 丸背クロス装上製本 貼函
定価5,400円+税
装幀: 中山銀士

月報③ (8p):
緑蔭の井戸と女たち(芳賀徹)/不安な町歩き(川本三郎)/遠い追憶(三好達治/昭和37年4月)/思い出は遥かに(平林英子/昭和47年12月)/編集室から



本書「解題」より:

「本巻には梶井基次郎が大正八年(一九一九)より昭和七年(一九三二)に亘って、友人知己に書き送った書簡を収録する。」


本文二段組。



梶井基次郎全集 03



帯文:

「新編集による
決定版全集
[全三巻 別巻一]

これまで公表されているものに
新発見の三通を加え、
四三三通の手紙・葉書を
年代順に収録。
小説執筆に劣らぬ情熱を以て
書き留められた
定評ある梶井書簡の集大成。」



目次:

書簡
 大正八年(一九一九)
 大正九年(一九二〇)
 大正十年(一九二一)
 大正十一年(一九二二)
 大正十二年(一九二三)
 大正十三年(一九二四)
 大正十四年(一九二五)
 大正十五年/昭和元年(一九二六)
 昭和二年(一九二七)
 昭和三年(一九二八)
 昭和四年(一九二九)
 昭和五年(一九三〇)
 昭和六年(一九三一)
 昭和七年(一九三二)
 補遺
 書簡索引

解題 (鈴木貞美)




◆本書より◆


「〔八〕」(大正八年)より:

「漱石は實にえらい人です、何故あんな人が此の世にあつたのかと不思議です。」


「〔四四〕」(大正九年)より:

「〇俺は人々が不自然だといふ言葉をあまり濫費することを恐れる、大抵の不自然は當然自然の樣だ。
又純な戀不純な戀といふ限界がわからない 所謂神に依りて造られたる物の行爲すること 思考し得ることは皆自然だらうと思ふ」



「〔九八〕」(大正十二年)より:

「實際自分は批評が出來ない。一つの批評をしてもそれが絶對的では決してありえない。批評だと思つてゐてもその時その時の氣分、自分の状態が、その時その時の批評を生むのだから決して絶對的のものぢやない。そんな氣持なんだ。
 此頃は自分は何一つ責任を持つて云へる樣なことはない樣な氣持ちである。
 此頃自分はこの自分の慘(おぞ)ましくも動亂する心 一つの考へが直ぐ反省を生みその流れがまた反省でせきとめられ、――そして決して完成することなく、永久に動きいらいらしてゐる自分の心を、苦にしながらも、一體どうなるんだらうといふ樣な見物の心で、追求してゐる。
 一體これがどうなるのかわからない、本當に虚無へ轉ぶか信仰へ轉ぶかわからない。」



「〔一〇一〕」(大正十二年)より:

「己は此頃神經衰弱を自認してゐる。考へて見るとこの病の因する、遠く且つ久しいものだと思ふ。これが己にとつては病でもなんでもなくつて、一つの身についたもの――性格になつてゐる樣な氣がしてゐる。己は直ぐに外物に暗示される。後悔しても何にもならない。そして病的に Delicate であつて然も氣まぐれな良心をもつてゐる。
 ――良いところもある。
 ――誠實なことは無類に誠實なんだが――
 これが俺に與へられる正直で然も愛に充ちてゐる言葉だ、俺はこれに滿足しなければなるまい。」



「〔一一七〕」(大正十三年)より:

「華やかな孤獨である 河を飛んでゐる蝙蝠や空に煤つてゐる星などがゴールデンバツトやスターの衣裳に何とうまく表現されてゐる事ぞ 中の島の貸ボートの群やモーターボートがまた如何にボート屋のペンキ繪の看板の畫家に眞實な表現を與へられてゐることぞ かう思つて私は驚嘆した 綴りの間違つた看板の樣な都會の美を新らしく感じた」


「〔二一八〕」(昭和二年)より:

「あなたが此度精神をお選びになつたのは僕非常に會心です。」
「素人考へで精神科學に非常に近接してゐると思ひますし、あなた自身、學問の肉體的アルバイターよりも精神的アルバイターだと思ひますし、資本主義文明が必然的に生産する精神病者達はその方の學を愈々要求すると思ひますし、最後に僕自身病的心理學などが非常に好きなこと、それはあなたも御承知と思ひます。僕は僕の象徴主義なるものをあなたの方の研究からひん剥かれるかも知れないなどとも思ひます、とにかく私は小兒科よりも皮膚科よりも精神科へあなたが向はれたことにあなたの未來が祝福されたことを感じ喜ばざるを得ません、どうかカリガリ博士になつて下さい。」



「〔二二四〕」(昭和二年)より:

「此頃は實に雨が多かつた。今日少し散歩したら木の芽が出、菜の花がさいてゐた。懷手をしながら、胸で土堤へもたれかかり、草の匂をかぎ、草をながめた、みな見覺えのある草。そしてよもぎのほかは名前を知らない草。慕(ナツ)かしい氣がした。」


「〔二九九〕」(昭和四年)より:

「僕もこちらへ歸つてから小さい町の人達がどんな風に結核にやられてゆくかをいくつも見聞いたしました。
 ある若い獨り者は首を吊りました。大家がその紐を競賣して家賃の滯りや借金などを濟し葬式を出してやつたさうです。」



「〔三〇〇〕」(昭和四年)より:

「僕は犬も好きになりたくてよく相手になるがやはりまだちよつとコワイ。充分信じないんだな、結局。それに比べると猫は好きといふ資格がある。僕は猫で誰も恐らくこんなことはやつたことがないだらうと思ふことを一つ君に傳授しよう。それは猫の前足の裏を豫め拭いておいて、自分は仰向に寐て猫を顏の上へ立たせるんだ、彼女の前足が各々こちらの兩方の眼玉の上を踏むやうにして。つまり踏んで貰ふんだな。勿論眼は閉じてゐる。すると温いやうな冷つこいやうななんとも云へない氣持がして、眼が安まるやうな親しいやうなとてもいゝ氣持になるんだ。滑稽なことには猫は空吹く風で、うつかり踏外せば遠慮なく顏に爪を立てるにちがひない。」
「ながい猫の話になつた。」



「〔三五四〕」(昭和五年)より:

「エミールに於て ルツソーの叡智はすばらしいものだ。宮廷に對する反感をかくまで露骨に出したといふことも、ルツソオが宮廷を通して所謂出世をした人間であるだけ、非常に面白い。(中略)僕が若し「ルツソオ論」とでもいふものが書けたら成佛だ。」
「僕は現世に容れられない天才といふもの、あまり眞面目なために俗人の間に悲劇的な最後をとげる者――かう云つたものに非常に惹きつけられる。」
「ルツソオは確かにこれの典型的なものだ。」




梶井基次郎全集 05


































こちらもご参照ください:

『梶井基次郎全集 別巻 回想の梶井基次郎』















































































関連記事
ページトップ