影印版「瀬山の話」
梶井基次郎の小説「檸檬」は、文学仲間とつくった同人雑誌「青空」の創刊号(1925年・大正14年1月)に掲載され、梶井の代表作とされるものである。
この「檸檬」は、もとは「瀬山の話」という中編になるはずの作品の一部を独立させたものであることは、梶井文学の愛好者にはよく知られている。この「瀬山の話」の原稿の影印版が昨年2019年11月に刊行された。
「瀬山の話」は、梶井の生前に刊行したただ一冊の作品集『檸檬』(武蔵野書院、昭和6年5月)には収録されていない。梶井が昭和6年3月24日に亡くなったあと、表題のない未完の原稿が発見され、遺作の整理にあたった淀野隆三が、「瀬山の話」という仮題をつけて、「文藝」の昭和8年12月号に発表したのが最初である。
その後は、淀野隆三と中谷孝雄が編纂した六蜂書房版『梶井基次郎全集』下巻(昭和9年6月)、作品社版『梶井基次郎小説全集』上巻(昭和11年11月)、岩波文庫版『檸檬・冬の日他九篇』(昭和29年4月)、そして筑摩書房版『梶井基次郎全集』第一巻(昭和34年2月)にそれぞれ収録された。
淀野隆三は筑摩版の注記で、「瀬山の話(假題) *原稿は東京神田宮田製の四百時詰原稿用紙で六十五枚(番號を打つて七十枚綴ぢたうちの)。 *ほかに下書き七枚が残つてゐる。 *一枚目に「銀の鈴」と書いて消してある。 *本全集第二巻日記第二帖第三帖に一部の草稿がある。(後略)」と記している。
この記述から見て、淀野たち編者が「瀬山の話」の生原稿を参照したことは間違いないのだが、その後原稿は行方不明になってしまった。
今回の影印版を編集した実践女子大学文学部国文学科教授の河野龍也は、「はじめに」で、出版にいたる経緯を次のように述べている。
「二〇一一(平成二三)年、実践女子大学は、神田神保町の八木書店からこの幻の草稿を購入しました。このことは当時、新聞にも報じられ、大きな話題になりました。これまで穴が開いていた「作家梶井基次郎」誕生の軌跡に、文献学から迫る希望の光が差し込んだからです。その草稿は、梶井が表現の試行錯誤に心血を注いだ痕跡に満ち、淀野の献身的な編集作業を経て活字化される以前の構想の原初形態をよく伝えるものでした。また、梶井の代表作「檸檬」のルーツと言える点でも、その資料的価値の高さは測り知れません。そのため、研究者や梶井文学のファンからは、影印出版への期待の声が、発見当初から数多く寄せられていました。
今回、一九三一(昭和六)年五月に短編集『檸檬』を出版したことで梶井とは縁の深い老舗書肆の武蔵野書院から、創業百年を記念して、待望の影印出版が二種類の書籍として実現されることになりました。」
河野によれば、原稿は皮つきの桜材の文箱に入れられて、旧所蔵者によって大切に保存されていたという。
筆者はかつて「瀬山の話」の成立について、『評伝 梶井基次郎 視ること、それはもうなにかなのだ』(左右社、2010年8月)で詳しく分析したことがある。同書の第一部の第三章「レモン」(39頁~53頁)、第四章「瀬山の話」(54頁~69頁)をぜひ参照していただきたい。
「瀬山の話」は全体が三つの回想からなる物語で、ある雪の降る日、主人公の「私」は散歩の途中、一年前の冬の、いまよりもさらに悪い精神状態だった日々を思い出すという構成で、第一の回想が、八百屋で贖った一個のレモンを、丸善の本の山の上に置いてくるという挿話、第二が夜更けに下宿の前で「瀬山」という自分の名前を連呼して、わざわざ下宿の主人を起こしては逃走するという話。そして三番目が、逃走したその足で西宮にある別荘へ、心を許すK氏に会いに出かけるが、K氏は故郷に帰ってしまっており、この「最後の逃避」も不首尾に終わる。茫然自失とした主人公は、たまたま通りかかった夜汽車に向かって走って行くという挿話である。
三つの挿話は、一から二、二から三へと次第に暗く、抜きさしならない色彩を帯びるように構想されていて、主人公の陥っている絶望的な状態が、劇的に描出される仕掛けになっている。そしてこの三つの挿話はいずれも、梶井の実生活の上で起こった出来事であり、梶井はそれぞれの挿話のもつ意味を、ながい間くり返し吟味してきたのだった。
梶井は待望の同人雑誌を創刊するにあたって、この中編を発表しようとした。今回復刻された原稿は、梶井が最後まで手をいれていた状態を示している。だが梶井は締め切りまでにどうしても完成することができず、このなかから最も印象的な「檸檬挿話」を抜き出して、これを「檸檬」と題して発表したのだった。影印本はこうした創作の機微をよく伝えている。
なお、『評伝 梶井基次郎 視ること、それはもうなにかなのだ』(左右社)は、目下品切れの状態で、今春には電子本として再版する予定である。