【越智正典 ネット裏】審判団がキャンプインして、キャッチャーの後ろで「ストライク!」。元気なコールを聞くとたのしくなる。日、一日と開幕が近づいてくるのを実感する。
1960年代から70年代にパ・リーグで審判員を務めた露崎元弥(通算出場試合1242)は、元プロボクサーらしく接近戦でパンチを繰り出すようなファイティングポーズで「ストライク!」とコールしていた。これもドラマを呼びそうでたのしかった。
アマチュア野球の国際審判、心やさしい男、布施勝久(日大三高、明治大学、大和証券監督)は“御大”島岡吉郎の命令で審判になったのだが、後輩が教わりにくると「ラン、ストップ、ルック、ジャッジを守ってやればいいんだ、頼むよ」。打球が飛んだときの基本動作はプロと同じだろう。
1987年、セ・リーグの審判団が中日キャンプの沖縄の石川球場で連日、実戦さながらの演習を繰り広げていた。
同年2月17日、私は具志川(うるま市)で練習している中日二軍を見に行った帰りに、恩納村のムーンビーチホテルに寄った。和食の店「桂」に入ると、審判35年、出場試合通算3564、90年~96年、セ・リーグの審判部長を務めることになる山本文男が茨城県水海道高校、法政大学、水海道高校監督、審判32年、出場試合3036の大里晴信らを連れて来ていた。山本文男さん、いつ逢っても気風がいい。うれしい出会いである。
フミさんは54年、広島市西区の観音中学3年生の夏、広島カープの新人公募テストを受けた。179センチの長身から投げ下すストレートは速く、タテに大きく割れるドロップは鋭い。中学生とは思えない。審査委員長・野崎泰一が驚嘆した。「掘り出しもんじゃ」
ヤンキースのジョー・ディマジオがマリリン・モンローと結婚し、新婚旅行で広島を訪問した年のことである。
野崎が文男少年に会いに行った。「カープに入るつもりはありません」とケロリ。「自分の力を確かめたかっただけです」
呉港中学、専修大学、阪神、東急、広島の早投げ豪快投手、さすがの野崎が慌てた。野崎はのちに81年10月26日から90年3月29日までカープの球団代表を務め、難しい事件が起こってもサッと、ときにはユーモラスに片付けているが、一番困ったのはこのときではなかったか。テストの願書からお姉さんの住所がわかり、お姉さんちに日参。やっと入団に漕ぎつけた。
入団第一年の60年、山本文男投手の成績は登板7試合で2勝2敗。これだけでも立派なのに2勝のうちの1勝は、8月7日、広島での国鉄17回戦で金田正一と投げ合って9対8で勝ち投手。つまり高校1年生が天下のカネやんに勝ったのである…。
「桂」で、みんなが何を食べようかとメニューをのぞいていると、フミさんが名セリフを吐いた。
「わしゃ、広島じゃけん。お好み焼きの勘定はわしが持つ。それ以上に高いもんは、ツケを会長(セ・リーグ)に回しとけ!」。フミさんは天晴れな広島観光大使であった。=敬称略=












