大阪のデモをリポストした理由
日本に『移民』は必要か必要ではないかという結論は最後に述べようと思う。
ひと言で言ってしまえば簡単だが、ごみ清掃員として見てきたもの、税金を払う大人として、SNSを利用する一般人として、時には新聞、雑誌、テレビ等でごみのことを話す人間として話すので、少々長くなります。
まず税金を払う大人として、SNSで流れてくるタイムラインでどうしても許せない情報が目に入る。
それは外国人犯罪の不起訴という情報です。
これすらも犯罪を犯しているのは外国人だけじゃねえぞ、日本人だって犯罪を犯しているんだから差別だと言われます。
SNSは見ている情報が利用者にとってこれ好みなんでしょ、とアルゴリズムで勝手に判断されてそんな動画ばかり流れてくるというのもわかっている。
またどこかの記事では外国人犯罪の検挙件数はピーク時の4割程度になっている、起訴率は外国人だけではなく日本人も下がっているので、外国人だけではないよというものも目にしました。
僕が考える問題は『数』ではありません。
不可解な不起訴が一件でもあったら、それはもう法治国家じゃないと僕は考えます。
もし何かしらの理由でどうしても諦めざるを得ない不起訴だったとしても
その不起訴に対して明確な理由が僕らにわからないという点がとても不安になる。
これはキリトリかもしれないが、ある議員が外国人犯罪の不起訴が不可解過ぎるという質問をしていたが、その返答に検察側がモゴモゴする動画を見た
また先日、総裁選の所信発表演説において「警察での通訳の手配が間に合わず、不起訴にせざると得ないとよく聞く」という述べた方がいる。
本当かどうかわからないが、そんな理由で被害者もいる事件の罪が許されてしまう国に、何で僕らは税金を払っているのでしょうか?
SNSでは煽り目的だとは思うが、
「日本語わかりませんといえば、日本では犯罪しても不起訴になるから天国だ」というヘラヘラした外国人がテンション高くバズり目的の動画が流れてくる。
無銭でどこまでいけるか競争しようぜという外国人YouTuberが新幹線に乗ってトイレに立てこもる動画が流れてくる。
一部の人だけだと言われるかもしれないが、こんな外国人がひとりでもいるならば、法治国家としての威厳がない証拠ではないだろうか?
外国人だけではない。
お腹がすいてお地蔵さんのお供物を盗んだとして逮捕された同世代の男がいる一方、
何百万、何千万の裏金を作ってもお咎めなしの政治家もいる。
残念ながらこの国の法律は生活が苦しい人ではなく、お金を持っている人を恣意的に優遇する法律に散々、塗り替えられた上に僕らは生きている。
そしてその法律に則って、税金を納めているのだが、
僕らがなぜ税金を納めているのかというと
本当は
安心して暮らすために
警察がいたり、
蛇口をひねれば安全な水が飲めたり、
いざという時、消防隊員が駆けつけたり、
安全な食べ物が食卓に並んで、団欒しながら食事をしたり、
衛生的に生活するためにごみを回収、処理するために僕らは税金を払っている。
なので税金を払うこと自体はいい。
僕らが安心して暮らせるための税金だったら、喜んで払うが、
問題は何に使っているか?
そして使われた税金は機能しているか?
が問題なのである。
ごみ清掃員として働いて、僕も周りの清掃員もドライバーもみんな熱中症になりそうになりながら働いて、その稼いだお金で税金を納めている。
みんなだってそうだ。
形は違えども、大変な思いをして働いている。
僕らは生きるために働いている。
そして日本人のほとんどが生活に苦しみながら、税金を納めている。
例えばその税金は被災した能登のために使われてほしい。
熱をもって今でも懸命に能登の復興を呼びかけたり、予算を割いたりしている議員がどれほどいるのだろう。
居たとしても報道されている記事を見ないし、たまに見るニュースでは仕方がなく撫でるようにやっていますよ〜とアピールするくらいの熱量しか感じない。
トゲのある言い方で言うと、見捨てるということは自分がその立場になったら、見捨てられるということだ。
僕はごみ清掃という仕事をきっかけに被災ごみとかかわりを持つようになってから、被災ごみの問題提起をしているが、
そこで感じたことを通して僕は防災・減災などのイベントをやっている。
ずっと言われている南海トラフ地震がもし発災した時、この国は全力で僕らを救い出してくれるだろうか?
すぐに動いてくれるだろうか?
少なくても政府にとっては災害対策費用を投じたとしても儲からないことは確かだということだけは覚えておいてほしい。
海外に投じた税金は今は一体いくらになっただろう?
あまりにも莫大すぎて、途中で数えるのをやめた。
ただ必要な支援もあることは確かだし、僕の尊敬する芸人さんが
「結局、あいつらを助けないとダメなんだよな」と難民や途上国のお腹をすかせた子供達を指さして言ったという言葉が僕の体には刻み込まれている。
その当時はわからなかったが、その言葉を胸に生きていたら、最近になってその意味が少しずつ理解できるようになってきた。
その子達を見捨てるということは、自分がその立場になったら見捨てられるということ。
僕はごみ清掃員をやっているので、様々な外国人と話す機会がある。
ガーナ出身の清掃員が言っていたことで印象的な会話がある。
「俺らは日本人に感謝しているから、君にジュース奢ってあげるよ」
「まじで? え、でもなんで感謝しているの?」
「日本人は色々教えてくれた。〇〇人(余計なところで炎上するのを避けたいので、〇〇人にしておきます)は、俺がボスで俺が金払うんだから、俺に従え、って言う。〇〇人は俺らガーナの人達に一円もくれないで、根こそぎ資源を奪っていった。荒らすだけ荒らしてどこかへ行った。どこかに行ったならまだマシでないところからも絞り出そうとする。日本人サイコー。こうやって農作物を育てるんだとか水をひいてくれて、一緒に儲けようと言ってくれた。今でもその井戸残っている。やり方教わったから今でもそうしている。だから日本人に感謝している」
と言って、僕は清掃工場の自販機で、そのガーナの清掃員に炭酸を奢ってもらった。
そこから日本が好きになって日本語と日本のことを勉強したという。
俺は色んなアフリカ系の人と一緒に働いている。体格の大きさの違いから、びんケースを片手で持ち上げる、高身長だから荷台に乗らずにケースをトラックに積み込む様子、夏なのに水も飲まず走り回る体力に衝撃を受けた。
今から10年くらい前の話だ。
みんな口々に自分の国には仕事がないと言っていた。ごみ清掃も当時から慢性的に人手が足りていなかったから、将来的には必要になると思っていた。
また別の人で途上国からきた作業員は四ヶ国語を喋れるという。
貧困だからって無能という訳ではない。
仕事がないから日本にきたという。
僕なんか英語のひとつも喋れないで、苦労しているが、冷静になってみれば、僕らだって優秀だ。この時代、大学出ている人も珍しくない中、真面目で、優しく努力家が多い日本人のほとんどが貧困に喘いでいる。
真面目に働いても物価高、高い税金にうなされて、切り詰めないと生きていけない国の在り方を僕らは真剣に考えて、投票に行かなきゃいけない。
僕は漫才以外にもごみ教育をしている関係で大学生や高校生、中学生、小学生と知り合う機会が多い。
不思議にみんな良い子だ。悪い子に会ったことがない。
もちろん生意気だとか鼻につくとかあるけれども、意地悪してやろうとか貶めてやろうなんて子はいなく、その荒々しさには未来が詰まっていて、とても輝いている。
間違いなく今の政治では黙って年寄りの言うことを聞いていると、若い人の夢や時間、労力、金、楽しいことの全てが奪われる。
投票行くようになって、もうすぐ30年が経つので断言する。
政治は大体、予想した悪い方の勘の方がよく当たる。
僕は15年ほど前にブログで、外国人土地取得の反対、もしくは立ち止まって考えた方がいいと言った時も炎上した。
当時は今よりもっともっとネット上の言葉遣いが荒かった。
脅迫に近い言葉も浴びせられたし、何より多かったのが、芸人が政治にタッチするなという言葉だった。
15年経ってどうでしょうか?
当時は国防的に、取得した土地の使途が自由すぎるという点に焦点をあててブログを書きましたが、メガソーラーという形で大きく問題になったことはみなさんもご存知の通りだと思います。(直接買わなくても、日本の会社を何枚かかましたら、全く僕らにはわからないが)
外国製の太陽光パネルを輸入して、日本の森林を伐採して、僕らのお金をあげる。
そんな中、先日の太陽光パネルのリサイクルの法案を今回は断念したという発表。
リサイクル費用の負担の法律的整合性が取れない、費用が埋め立てるより遥かにリサイクルの方がかかるとのことだが、
これも前々からわかっていたことだ。
ごみのことを考えている指導者はこの国にはいない。
ごみ清掃員の立場からすると、数年前まではリサイクルの技術がないと聞いていたので、これをリサイクルできなかったらと考えるとゾッとしていた。
ごみを減らしましょうと常々言って、それに賛同してくれている人に対して申し訳ない気持ちでいっぱいにだった。
しかし僕の周りのリサイクラーさんは太陽光パネルをリサイクルできる工場を建てました、世界を見ても日本は屈指のリサイクル技術を持つ国になりますと聞いていた。
なので早急に法案を通さなければならない案件だと思っていたので、本当の本当、心底ガッカリした。
まだまだこれからも法案を通す努力をするのだろうが、穿った目で見ると日本でリサイクルできると問題があるのではないかとすら思ってしまう。
ただ単に日本で埋め立てるとすれば、そんな場所がどこにあるのかと思う。
そうしたらどうするか?
海外に莫大な処理費を払って国外に出すしかない。
海外製のパネルを輸入して、日本の土地を使って、廃棄する時に国外に処理費を払う。
国を売っている以外の言葉があるだろうか?
森林を伐採してメガソーラーを作る光景を見て、喜んでいる日本人に会ったことがないが、今度はあそこだ、次はどこそこだと止めどなく現れるのはなぜなんだろう?
おそらくもうすでに大きな流れはシナリオで決まっていることなんだろう。
国民の反発の声をすくい上げて助けるフリをして、運びたいシナリオにあてはめるつもりだろう。
メガソーラーをやめて原発再稼働と当たり前のように言っているが、原発の出口も現在はないので、一旦立ち止まらなければならない。
指導者に一番大事な要素は“出口”を考えられる能力があるかどうかだ。
リチウムイオン電池の問題にしても、ごみ清掃員の立場から見れば、静脈産業ばかりが被害を被って、入口の部分だけが売りっぱなしで儲けている。そしてこれは入口でなんとかしないとまだまだこれからも被害が出る問題だと思っている。
リチウムイオン電池は今回少し違う問題なので、また別の機会にするが物には入口と出口があるということを知ってもらうために話を出した。
入口と出口の話を理解してもらったと仮定して、話を戻す。
若い学生さんがみんな良い子だと先程、話したが、これは“教育”のおかげだからだ。
僕が考える最も大切なことは教育だと思っている。そしてこの国の共通言語は、この国で受けた“教育”だとも思っている。
例えばグレた人でもほとんどの人は多少、学校に来て、日本で生きるための共通項は知っているはずだ。
教育と言ってもそんな難しい話ではなく、物を取っちゃだめだとか人を傷つけてはいけない程度は幼い頃から教わって知っているはずだ。
もちろんそれを知った上で悪いことをする日本人もいるとは思うが、日本ではどうあるべきかを知らないでくる外国人に同じ感覚を持っていると思い込んではいけない。
昔、ある外国人の清掃員と話していた時に、日本に来たての時は、なんで置いてあるのに持っていっちゃいけないんだろうと思って、苦しかったと聞いた。
カフェに行ったら、バッグの中に財布を入れて、トイレに行っているんだから、持っていっていいってことだよねとか
集積所に新聞が置いてあるのになんで誰も持っていかないのだろうと思ったという。
彼らには金に見えていたというのだ。
ただ捕まって、会社クビになった方が大変そうだからやらなかったと言った。
もうその頃、35歳を越えていたのだが、俺はこんな歳になってもカルチャーショックを受けるとは思わなかった。
育ってきた環境や受けた教育、もしくは信じる宗教によってまるで善悪が変わってくる。
これはまだ取り返しのつく犯罪だが、被害者がうまれて、取り返しのつかない犯罪も起こりかねない。
生きるべき人生を歩めなくなった被害者がうまれた時、どうするつもりだろうか?
その時にこの国の法律は僕らを守ってくれるのだろうか?
法律を守らせようとする人達が機能しなかったら、どうやって安心して暮らせと言うのだろう?
僕達はなんのために高い税金を払っているのだろうか?
僕は思う。
日本が日本であるべきアイデンティティーは土地と今日まで受けた教育の時間だと思っている。
外国人が日本に住むなら、きちんと日本ではどうあるべきかということを学んでから入国してほしいし、自分達のルールを理解しろと言われるのは多様性ではないと思っている。
政治家だけではなく、どこの世界でもそうだが、人の上に立つ人間は入口ばかり考えて、出口を見ようとせずに、数字ばかり気にする。
どれだけ予算を削れたり、どれだけ金を取ってこれたしか見ておらず、そこで削られた側の人間や取られた方の人間がどうやって生きているのか知ろうとしない。
現場にいる人間、そこに住んでいる人の気持ちがまるでわからない人が政治を動かしている。
と、言いつつも政治家自体が操られているとも思っている。
30年間政治を見てきて、そんな訳ないだろうと思う場面がいっぱいあった。
首相が撃たれて、出てきた事実が衝撃的過ぎて風化させたくない。
そしてなんでそんな政治的決定をするんだろうというその裏には何か事情があるのではないかとすら思うようになった。その裏にはひとつではない大きな力が働いているのではないかと思うのが、僕の知り合いに石破元総理をアニキと呼んで食事に行く仲の人がいる。
その人から聞いた話では、総理になる前に、日本がこんな状況にあるけど、どうするんですか?
と聞いたところ俺が今、防衛大臣だったらこうする、こうもする、俺の目の黒いうちはそんなことさせないと頼もしいことを言っていたのに、総理になった途端、歯切れが悪く、最悪の指導者になった。
総理になって楽しいことがないと言っていたが、きっと本音だし、言えない何かがあるんだろう。
表面的なことだけではわからないし、解決できない何かがある。
じゃないと説明がつかない。
岸田、石破と最悪の総理が続いたが、
次になる新しい総理は
おそらく日本の歴史上もっとも最悪な首相になると僕は思っている。
長期政権になれば、開戦すらするのではないかとさえ思っている。
石破さんの続きをやるならば、次に待っているやるべきことは全員知っているはずで、こんな時期によく総裁選に出るなと思っている。
こんな大変な時期に立候補したとしてもサムライには見えない。野心や悪い意味での責任感、名誉、金欲のバックボーンが透けすぎていて、目を背けたくなる。
与党も野党も移民ばかり唱えているが、推奨する政治家はGDPのことばかり言う。
税収のことばかり言う。
金のことばかり言う。
そこに住んでいる人の気持ちがまるでわからない。わかっていても無視する。
例えば、俺はごみ清掃員をやっていて外国人が多く住む地域の回収もする。
来日、半月、一ヶ月、半年ならごみの出し方がわからないというのはまだわかる。
しかし何年も経っているのに改善されないと話が変わってくる。
回収していて、「この分別していないごみは俺らじゃなくて日本人だよ、俺見たよ」と言われたこともあるので、もちろん全部が外国人だと思っていない。
ガラスが割れたものを新聞でくるんでBrokenと書いてくれた人もいた。
回収する側が危なくないように書いてくれて本当に嬉しかった。僕らのルールに合わせてくれるということはリスペクトを感じる。
しかし中にはリチウムイオン電池が使われているモバイルバッテリーやハンディーファンが可燃ごみの中に入っていて、取り出した時に、日本語ではない書類が入っていた。
本当に危ないし、出したらおしまい、合わせるつもりがない、もしくはごみ出しというのは習慣だから自国のルールでそのまま無意識に日本でもやっている。
埼玉のある地域でも集積所はごみ捨て場のようになっていた。
マンションの管理人に聞いてみた。
危ないごみがよく入っているから気が抜けないと言っていた。
こんなことは政治家は考えていないだろう。
教えるにも教育費が足りないと言うならば、どこかに消えた五十億円、隠していた裏金や曖昧になった無くなった税金を使って、日本ではどう生活するべきかをきちんと学んでから来日して貰っても遅くはないのではないか?
一斉に押し寄せてきたら、日本のルールを知らないでも周りに仲間がいっぱいて生活できるので、覚えようとする訳がない。
そして法治国家としての威厳を失っているのだから、舐められているし、日本人も不安に思うだろう。
さて、長くなりましたが、そろそろなぜ俺が大阪のデモをリツイートをしたのか理由を話そうと思います。
俺はヘイトは嫌いだし、見ているだけでも嫌悪感が止まらない。
汚い言葉を聞けば、俺が一緒に働いてきた数々のアフリカの人達、途上国の人達の悪口を言われているようで本当に腹が立つ。
しかしデモ自体は法律に守られている。
そしてあれだけの数の人達が行動を起こしているところの裏にはどんな立場があって、何を思ってあのデモに繋がったんだろうと思った。
皆さんは知っているか知らないかわからないが、世界的にも価値のある芸術品にペンキをぶっ掛ける環境活動団体があるのだが、俺は大嫌いだ。
ペンキをぶっ掛けたいだけだろと思うのだが、彼らの言い分では、ここまでしないと誰も気候変動のことを真剣に考えないという。
俺も環境活動をやっているのでわかるのだが、まともなことを言っても刺さる人にしか刺さらないという憤りがある。
正しいとは思わないが、悲しいかなこの国のSNSをやっている人は炎上や人への失望の方が積極的に参加する。
俺は嫌われても構わないし、嫌われることによってこのデモが事実として存在したことを知ってくれるならそれで構わない。
俺がたまたま見ている時間帯のワイドショーに流れていなかっただけかもしれないが、存在しなかったかのようにしているような気がした。
SNSで流れてきた時に、これだけの人が怒り、悲しみ、不安を抱えているという行列を金にしか興味がない政治家、そもそもこの問題を見たくないという国民に届いてほしい思った。
繰り返すが、俺はヘイトは嫌いだし、その怒りの矛先を政治家に向ければいいと思うが、このデモがなかったことのように扱われることは、どのように移民を受け入れるかの議論まで辿りつかないような気がする。
なのでこのデモが存在していたということを知ってくれるなら、俺のことはどんどん嫌ってほしい。
さよなら、滝沢とコメントをしてきた人がいた。
さよなら。
芸人が政治的問題に言及して、もう笑えない。
大丈夫だ。それでいい。俺は14年前から芸人だと思っていない。
もしかしたらお笑い自体ができなくなる世の中になるかとしれないとすら思っている。
これまでも会ったことなかったが、もう互いにこれからはコミュニケーションを取らずにこの国に暮らすのもそれはそれで共存だ。
これから互いに迷惑をかけずに生きていく。
これは分断だとは思わない。
ただいざという時、それぞれの考え方でそちら側からこの国をどうしようかという意見を俺に聞かせほしい。
何もしたくないけど、守られたいはナシよ。
俺は俺の形でやっていくが、例えばテレビでコメンテーターの仕事を求められてもごみ以外は断ると思う。
違う方法でアプローチするしかないと僕は思っている。
日本国民全員がそう思っているに違いないと信じているが、何も争うために生まれてきた訳ではなく、ただ単に笑って暮らしたいだ。
そんなことすらもこの国の政治家達は叶えてくれない。
俺らはこの国のこの時代に生まれてきて、一旦はラッキーかと思っていたけど、ひょっとしてとんでもない時代を生きているのかもしれない。
表面的なことだけじゃなくて、なぜこんなことが起きているのか今一度、考えてほしい。
与党がダメだから、野党という単純な話ではない。
おそらく一人のヒーローが現れて、日本を救うなんてことはあり得ないと思っている。
俺はこの国の総理大臣にずっと失望している。
聞きざわりのいいことを言う人間が現れて、聴衆を取り入ることができたとしても、本当に狙っていることは違う可能性もある。
なのできっともうここまで来たら、シナリオ的にはもう手遅れだと俺は思っている。
しかし、本当に一縷の望みとして、僅かながら希望があるとすれば、国民全員がひとりひとり、政治家をちゃんと見張って、納得いかないことを声に出し、それを何かの形にできればひょっとして、ギリギリ奇跡が起きるかもしれない。
結論を最後に言うと約束していた。
今のシステムで移民を受け入れるのは反対だ。
特定の人間だけが儲かるようにシステム化されているならば、そいつらは絶対に数を欲しがる。
数に対応できる教育は今のところ存在しない。
日本のルールを教えようとしない政治家は、人を物として見ているので、そこに住んでいる人の気持ちがわからないし、わかろうとも思わない。
これまでどうやって生きてきて、ここでどうやって暮らしていくのか出口を想像できていない人の言うことなんて聞きたくない。
国民を不安に陥れる法律の作り方や施行の仕方、雑な法律の使い方に疑問符を残す政治家には、まず違法滞在の外国人をどうするのかを先に述べてから、大阪のデモの人達と意見交換してから、移民の話をしてほしい。
条件を満たした人、現在、日本で共存して真面目に働いている人の移民は大歓迎だ。
しかし忘れないでほしい。入口を間違えれば、とんでもない出口が待っていることを刻み込んでほしい。
初めまして。移民について、もう少し長いスパンで歴史的に考えるのはいかがでしょうか。何度かnoteなどに書いてきましたが、<日本は鎖国をしていた江戸時代が終わって開国後、貧しい明治時代から約100年もの間、余剰人口を海外に「移民」として送り出し続けていた>実態があります。移民という名の棄民…
ということで、滝沢さんもご著書を出された「14歳の世渡り術」シリーズ。あれはとても良いシリーズだと思います。滝沢さんのご著書があのシリーズに並ぶのはとても良い事です。 そしてそのシリーズの中に「難民・移民のわたしたち」という本があります。 まずはそこを入口にしてみるのはどうでしょう…
例えば「ペットボトルって、あれ結局燃やしてるから分別とか意味ないらしいよ」とか言う人がいます。 でも、これは間違いですし、滝沢さんはそれが間違いだとわかっているわけです。そしてそれを人に説明できる。 それは何故かと言えば、滝沢さんがゴミ収集の仕事をしている当事者であり、かつそこか…
色んな事象を、滝沢さんの知っている範囲で取り込んで、この記事にぶつけたように見えますが、その知識量と情報整理力が余りに不足しすぎていて、全体的に支離滅裂です。