安保法制が安倍晋三政権下の2015年に成立してから、10年を迎えた。日本の同盟国が攻撃され、日本が脅かされる場合を「存立危機事態」とし、日本を直接攻撃していない相手に対し、歴代内閣が認めなかった集団的自衛権を条件付きで行使できるようになった。

 日本の安保法の歴史を振り返り、その中で安保法制を考えたい。

 まず1951年の旧安保条約だ。吉田茂政権が日本の主権国家としての独立を優先し、米軍が引き続き日本国内に駐留し続けることとした。日本の主権回復なのに米軍駐留というのはおかしな話だが、日本が米軍の駐留を希望するとする片務的な条約だ。

 もっとも、米国の日本の防衛規定はなく、前文では、国連の認める個別的・集団的自衛権のための暫定措置としている。

 次は、60年の新安保条約だ。新条約では集団的自衛権を前提とし、形式的に双務的体裁としており、日米双方が日本および極東の平和と安定に協力することを規定した。ただし、5条は適用範囲が日本とされているので、実質的に米国の日本の防衛義務を定めている。その代わりに、日本の基地提供と費用負担がある。

 この新安保で、日本政府は日米が対等とするが、米国政府からみれば、トランプ大統領が言うように「もし日本が攻撃されればわれわれは戦うが、米国が攻撃されても日本は助ける必要が全くないのはおかしい」との不平等感がある。

 安倍政権は、戦後レジームからの脱却を旗印に、米国の不満解消を試みた。それが10年前の安保法制だ。

 それまで、集団的自衛権の行使には憲法9条2項改正が必要とされていた。安倍政権は憲法解釈の変更で、安保をより本来の趣旨である双務的条約とする道を開いた。憲法学者らは「違憲」と言い続けているが、安保法制は国際情勢を見据えフルスペックの集団的自衛権に近づけただけだ。

 世界を見てみよう。ウクライナ侵攻で、国連常任理事国のロシアが侵攻する事態となり、国連の機能不全が露呈した。第2次世界大戦後、中立政策を堅持していたフィンランドも2023年に北大西洋条約機構(NATO)に加盟した。NATOの集団的自衛権によらないと国家としての安全保障が確保できなくなったのだ。ロシアに侵攻されているウクライナもNATO加盟を今でも熱望している。

 過去の戦争データに基づく戦争確率研究では、集団的自衛権は戦争確率を劇的に低下させる。今も安保法制を違憲という論者はどういうのか。

(たかはし・よういち=嘉悦大教授)

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