地球を侵食するエウレカという現象の終わりとともに、地球に新たな大地と人類があらわれた。既存の地球をブルーアース、あらわれた地球をグリーンアースと呼称することにして、人々は衝突しながら共存することになる。
年月を重ねて、新たな異変を起こす少女アイリスの争奪戦がおこなわれた。ひとりの女性が巨大ロボットで輸送機にとりつき、アイリスを保護する。女性の名はエウレカ。彼女こそ、かつて世界の混乱を生んだ少女だった……
2021年に公開されたアニメ映画。『交響詩篇エウレカセブン』を映画化するハイエボリューション三部作の完結編として、はじめて完全新作でつくられた。
メカデザイナーとして大河原邦男や出渕裕といったベテランが初参加。キャラクターデザイナーもスタジオジブリ出身の奥村正志が担当し、筋肉と骨格を生っぽく感じさせる作画で文字通り大人のドラマを展開している。
脚本も、オリジナル作品でシリーズ構成をつとめて2作目*1まで脚本を担当した佐藤大の名前がなく、かわりに京田知己監督とオリジナル作品で印象的なエピソードをいくつか手がけた野村祐一の共同になっている。
エウレカとアイリスの中盤のロードムービーはすばらしい。時間のつかいかたが映画的で関係の変化が魅力的。
ただし、その中盤にいたるまでの構成がかなりガチャガチャしている。冒頭で2作目の結末から数年をかけて社会が変化したことを説明して3作目の本筋が始まるのだが、そこからアイリス救出劇から宇宙への移動そして地球への脱出までも富野由悠季作品のように説明台詞が多く、それでいて富野台詞のような癖がないので説明を急いでいることが伝わってきてしまう。
京田監督は、元となった作品を整理して長所を抽出して、さらに異論や逆説をぶつけて深みを増す再構成は得意。これまでさまざまな再編集映画ではすごい仕事をしてきたし、おそらく長期シリーズの外伝的の劇場版のような仕事をさせると新作でも傑作をつくれるだろう。
しかし世界設定を魅力的かつ端的に説明するのは得意ではない。それゆえ自身が立ちあげたコンテンツでも完全新作をつくるとなると、抽出する部分にあたる場面にたどりつくための準備で手間取ってしまうのだろう、と思った。
しかし苦しく混迷した社会のなかで、それでも理想をつらぬこうとしている人々の群像劇として、現代のアニメシーンで特異な魅力をもつ作品だとは思えた。
映像ソフト限定版のブックレットによると、2作目をつくった直後に監督が書いたコンセプトでは、異世界から来た宇宙人と地球人との戦争が起きて、その両方からエウレカがねらわれる展開だったという。
しかし完成した映画では突如としてあらわれた相手をグリーンアース、先住者をブルーアースと対等に呼びあい、協力して巨大施設まで建設する。そこで多すぎる人口を宇宙に出すという考えが語られるが、ブルーアース側の政治家が自陣営も移住することを意識した会話をする。困難はあっても共に生きる道を模索する人々がいる。
中盤で移民排斥運動のデモが描写された時、エウレカが「仕事を奪われたり、貧乏になるって思っている人たちが怒っているの」とアイリスに説明する。事実ではなく主観による恐れということを慎重に明確化している。つづいてラジオ音声もデモを「極右勢力」と表現する。排外主義が世界的に蔓延する現代、参政党が伸長した日本で見るべきアニメになっている*2。
映画『EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』主題歌・変態紳士クラブ「Eureka (feat. kojikoji)」 Animation PV
また、とある人物の良き側面として「人権派弁護士」という言葉が出てきたことにも良い意味で驚いた。日本のカルチャー、それもアニメや漫画においては揶揄をこめかねかねないところで、さらっと流している。
人権は社会で守るべきもの。そのために視野をできるだけ広げなければならない。思えば、そのメッセージは1作目から一貫していた。
映画テン年代ベストテン~アニメ限定~ - 法華狼の日記
主軸となるのは、あくまで全50話の1エピソードでしかなかった、ひとりの難民を救おうとする主人公の奔走と挫折。難民を主体性なき群集として描きがちなアニメにおいて、美化せず独立した人格として尊重しようと動きつづけた。
完成度の高い作品とはいいづらいし、エンターテイメントとメッセージのバランスが良いともいいがたいが、だからこそ価値がある。
この一人一人を大切にしようとする生真面目さがあってこそ、命が軽々しく失われる絵空事のSF戦争に実感をもたらしている。
*1:『ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』 - 法華狼の日記
*2:MVの1分55秒、1分57秒。