(ナショナルアカデミーのゆくえ)任命拒否5年:上 特殊法人への改編 科学技術、社会の理解とのきしみ

 ■ナショナルアカデミーのゆくえ 学術会議問題から考える

 日本学術会議の会員候補を菅義偉首相(当時)が任命拒否してから5年。学術会議のあり方の見直し論議が持ち上がり、今年の通常国会で、政府の組織から特殊法人への改編が決まった。梶田隆章会長(当時)ら前執行部のアドバイザーを務め、政府との交渉にも携わった大阪大の小林傳司名誉教授・元副学長(70)は、背景に軍事にもつながりうる科学技術と社会の理解との間のきしみを指摘する。

 ■求められた改革、背景に軍事研究巡る声明

 学術会議はそもそも、科学者が戦争に協力したことを反省し、1949年に創設された。翌50年と67年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を発表した。

 50年は敗戦後の占領下の時代で、原子力や航空機技術などの研究が禁止されていた。小林さんは「世界の研究コミュニティーに参加するため、平和国家日本になりますよというメッセージが必要だった」と解説する。

 その後、日本物理学会の国際会議の運営費に米軍から資金が出ているのがわかり、67年に2回目の声明が出た。ベトナム戦争や冷戦下という時代背景があった。

 それから半世紀過ぎた2017年、防衛装備庁が創設した研究助成制度をめぐり、この過去2回の声明を継承するとの声明を学術会議は出したが、これに自民党の議員の一部が反発した。「軍事研究をしている中国科学技術協会と協力覚書を結びながら、日本の軍事研究に反対しているのはけしからん」という指摘だ。

 「協力覚書といっても学術会議は研究組織ではなく審議機関であり、一緒に研究したこともない。連携の実質もなかったが、たたかれた」。17年の声明は、研究は自律性、公開性が重要で、その点で懸念が残るから、各大学で慎重に考えてくださいといったものだ、と小林さんは強調する。

 「(制度の利用を)禁止したわけではない。声明によって防衛装備庁が外部識者も入れた研究マネジメントに変更するなど、建設的な面もあった」

 そして20年10月に任命拒否問題が起きた。

 まもなくして梶田会長らとともに、井上信治科学技術担当相(当時)に面会し、任命拒否の撤回を求めた。政治家としては、学術会議には改革が必要だと言われ、法人化の可能性の検討も求められたという。「これで法人化問題に火がつき、任命拒否問題から議論が変質していった」と振り返る。

 このときの面会で、井上氏からデュアルユース(軍民共用)研究への言及があった。

 当時、第1次トランプ政権下の米国では、中国人研究者による科学技術情報の流出などをめぐり議論になっていた。

 デュアルユース研究は何が課題なのか。

 原爆研究をしていたように、戦前は日本の大学でも軍事研究をしていたが、敗戦で距離をおいた。戦後は大学への研究資金は文部科学省からが主で、防衛省のお金が入ることはなく、それが長く続いてきた。

 一方、米国はずっと戦争をしてきた国で、大学に国防総省の資金が入ってくるのが当たり前のカルチャーだという。冷戦終了後は、軍事技術をどのように民間に開放するかという文脈でデュアルユースの議論をしていた。インターネットや全地球測位システム(GPS)がその例だ。民間技術を軍事に使えないかといういまの日本とは逆の発想でもある。

 「日米ではカルチャーも研究者のマインドも違う。デュアルユース研究も大事なことには異論はないが、研究資金はあっても、施設を外部と隔離するなど安全やセキュリティーなどを確保する体制が整っていない」と指摘する。

 この5年間で任命拒否問題は進展しなかった。

 いちど内閣府の幹部がやってきて、「(任命拒否された6人全員でなく、)3人ならどうか」という打診を水面下で受けた、という。「彼らにしてみれば『6人全員ならしんどい』という話だったんだろうが、断った。バナナのたたき売りじゃないのだから」

 その後、岸田文雄首相(当時)が、任命拒否問題の議論は官房長官を窓口にすると決めた。議論は平行線で、前に進まなかった。「まともに説明のできない任命拒否は、歴史に残る大きな汚点となった」

 一連の学術会議問題とは一体、何だったのか。

 1950年代に米国で起きた反共産主義に基づく社会運動になぞらえ、「時代錯誤のマッカーシズム」と小林さんは表現する。

 「学者の国会」とも呼ばれるように学術会議は当初、国内のほぼすべての研究者による選挙で選ばれた。科研費(科学研究費補助金)の審査員を推薦する権限があり、特定の立場の人々の影響力が強かったとされるが、「そんな時代は終わっていて、利権などと批判されるような権限はいまはない」。だが、人文・社会系の会員らが会長を裏で操っているという「神話」を、一部の自民党の議員らはいまも信じていて、目の敵にしているのをしばしば耳にしたという。

 「そんな背景があって、2017年の声明をきっかけにして、自民党がより攻撃的になったように感じる」(桜井林太郎)

     ◇

 (下)は10日に掲載します。

 ■日本学術会議と軍事・安全保障研究をめぐる主な動き

 <1945年> 日本が敗戦

 <49年> 日本学術会議が発足

 <50年> 「戦争を目的とする科学研究には絶対従わない決意の表明(声明)」を出す

 <67年> 「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を出す

 <89年> 冷戦終結

 <2015年> 防衛装備庁の安全保障技術研究推進制度が始まる

 <17年3月> 学術会議が「軍事的安全保障研究に関する声明」を出す

 <20年10月> 菅義偉首相(当時)による会員候補6人の任命拒否が発覚

 <22年7月> 学術会議がデュアルユース技術について「単純に二分することはもはや困難」とする見解を表明

 <25年6月> 現行の国の機関から特殊法人とする法律が国会で成立。26年10月1日から移行

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