第四幕 血に沈む手を握ることもままならず

 十年前──。


 額狩葉蔵ぬかがりようぞうにとって、毎朝鶏小屋を覗くことは欠かせない日課だった。

 澄鉄郷ちょうてつきょうで暮らす彼にとって硬い土を耕すことと鶏の世話、日々の狩りは欠かせない仕事である。

 今朝の卵は三つ。十分だ。両親と妹の分はある。自分は長男でお兄ちゃんだから、我慢するのが同然だ。


 小さなボロ屋である。干した稲藁を屋根に葺いて、そこらで伐り倒してきた材木を削り出して作った家。凹みと凸部を組み合わせたつくりは、単純でありながら頑丈そのもの。

 大黒柱が一本通り、家には仕事に使う草履を編み具合を確かめる父が日に焼けた浅黒い顔を向けて、「おはよう」と言ってくる。


「おはよう」葉蔵は飛びついてくる妹を受け止めつつ、台所に卵を置いて、

「親父、戦火が近い。飛脚なんか、動く的だぞ」と言った。

「だからってやめられるか。こんな時だからこそ手紙が重要なんだ」

「だからって……」


 額狩の家は代々飛脚である。澄鉄郷・郷長の澄鉄家お抱えである額狩壱成いっせいの傍流だ。葉蔵をはじめ額狩家は鬼の一族であり、その健脚と体力は、一日に二十里(およそ八十キロ)を駆けたという話もあるほど。

 優れた足腰を維持するため、代々鬼のみを伴侶として選ぶほどの徹底ぶりであり、飛脚という職に、一族は誇りを持っていた。


「お前は、獣狩ししがりの方が性に合うか」 

 父がそう言って、上座であぐらを掻いた。飯をよそった母が膳を並べ、己と妹は横座に座る。

「悪いけど……そうだ。これからの時代、飛脚で食っていくのは難しいだろう」

 葉蔵ははきとそう言い切った。父は寂しそうに笑い、「だったら尚更やめられんよ。最後の飛脚としてやり仰るべき仕事がたくさんある──いただきます」


 一家は手を合わせ、食事にありついた。

 皆に譲った卵だったが、聡明な母は見抜き、まとめて焼いて四等分にしてくれていた。




 戦火が上がっていた。

 葉蔵は息を切って家へ向かう。砲弾が村に直撃した──狩りの最中、村の子供がそう喚きながら山に入ってきて、葉蔵は脳みそを金槌でぶん殴られたような衝撃を受けた。

 昼過ぎの空は炎で赤く燃えている。山から駆け降りる途中、葉蔵は兵士を見た。陣営などどうでも良い。

 凄まじい気焔をあげて葉蔵は敵兵に斬り込んだ。

 旧式のフレデリック式ライフル銃が向けられる。ダルタニア帝国軍式ライフル──こいつらは佐幕側の……。


 銃弾が飛来。葉蔵は身を屈めてかわすと、手前の一人を刀で切り伏せ、右でピストルを抜こうとする男の頭を握りつぶして殺害。

 肉の破片を手を振って捨て去り、家に急いだ。

 家族がいる──いるはずなのだ。助けねば。


 葉蔵は雄叫びをあげ、村へ駆け戻った。


 そうして葉蔵が村で目にしたのは、討幕軍に追い立てられて住む家を追い出される村民と、焼き払われる村だった。


「こうなりたくなければ、従え」

 そう言って討幕軍の将校が撃ち抜いたのは、両親と、まだ十二になったばかりの妹の頭だった。


 頭部を弾き飛ばされて、肉を、美しいかんばせを、地面に叩きつけられた柘榴のように潰された妹が、後ろにひっくり返る。

 鉄錆のにおい。命のにおい。

 笑いながら去っていく討幕軍。軍事徴発を断ればこうなるのだという見せしめか。


「……そん、な」


 葉蔵はふらふらと、死んだ両親の頭をかき集めた。肉片のぬるりとした食感と、まだ温かい血が、手から滑り落ちていく。


「だっ……大丈夫、兄ちゃんが、医者に、連れて行ってやるからな」


 妹の顔は、もう原型など留めていない。

 それでも、それでも、それでも──。


「あぁ────」


 葉蔵は家族の亡骸を抱え、空を貫き突き崩さんばかりの絶叫をあげた。


     〓


 ──現在。

 坂東府は激動にあった。

 警視局の造反に伴う、坂東府全域への所属不明軍艦からの砲撃、謎の歩兵部隊による切り込み。

 内務省庁舎は今にも火に飲まれそうな勢いである。


 レインが長倉新八を、光希が久坂と対峙し──。


 なつめは上空から大久保卿保護に動いていた。彼女の耳は──フクロウの耳は遠くの声を聞き分ける。「卿、避難を!」「私が逃げてしまっては民衆がいらぬ動揺をする! 討たれぬめの備えは──」というやり取りが聞こえてきて、位置を特定する。

 フクロウ天狗は地獄耳なほどに音を聞き分けるが、己の出す音でそれを阻害せぬように、自らは無音と言える飛翔を可能としていた。

 なつめは余計な音をさらに殺すべく、背中ではなく、ヒトの腕部分を翼に化けさせて飛行。本来の姿により近い、翼腕に、鳥の足に近い両脚をしている。この状態では印相を結べぬ弱点はあるが、その分、継続戦闘時間が長い利点があった。


(申し訳ない、卿。しかし緊急時故許されよ)


 なつめは頭頂部から大久保卿がいる部屋の窓硝子に突っ込み、窓枠ごと粉砕、室内に転がり込む。

「な、なんだ!?」「刺客か!」「撃て!」

「──待たぬか!」


 動揺する部下に、背広の男──大久保利明が制した。

 懐に手を入れピストルを抜きかけていた部下は、その声に力を抜き、しかし油断なくなつめを睨む。


「何者だね」

「梟福殿なつめといいます。天慈颶雅之姫あまじくがのひめ様の御神命に従い、大久保卿を狙う凶手を討ち、御身をお守りするため馳せ参じました」

 大久保は「それはまことか」と訝る。無理もない反応だった。


 なつめはそばにいた護衛の一人に、木札を渡した。

「天嵐神社総本社で発行された手形です。全てそこに記してあります」


 護衛は妖力を込めた手で木札をなぞり、「あっ」と声を上げた。それから、「確かに事実のようです」と頷く。

「警視局の造反かね。兼ねてよりこうなることは想像していたが、予想外に大きな後援がついているらしい」と大久保。


 内務省とて無能ではない。警視局の企みについては彼らも察していて当然だ。しかし表立って警視局とことを荒立てるのは得策ではないのだ。

 警察の皆が、警視局の上層部の思想に同感というわけではないし、それに郷の治安を司る警察と内乱状態になれば幕末の動乱に逆戻りである。


 それに余計な混乱と不安を招かない振る舞いをせねばならないのが、人の世の上に立つ者たちの常であった。

 しかしそのように他人を慮る行動が、時に、周囲を欺くように思われてしまうこともある。

 今回の一件、ことが済めば政府の隠蔽体質だのと批判の声が上がることは容易に想像でき、とはいえ大久保は気にしない。

 己の辞職なり、尻拭いなり、求められることは全てする。郷に尽くすとは、頂点で胡座をかくばかりではないことを、知っている。


「警視局協力していると言うよりは、警視局協力していると見るべきです。敵は我々が思う以上に強大です」


 その時、砲弾が執務室の外壁に着弾。爆音が轟く。

「卿!」

「平気だ、君たちは!」

「怪我人はありません! 御避難を!」


 大久保もこの状況で、この場に居続けるのは危険と判断したらしい。

「是非に及ばず。退却する」と言った。「山縣やまがたは」

「陸軍を率い、ことの鎮圧に当たっているようです」


 山縣──山縣存朋ありとも。討幕戦争で高杉晋一が発足した忌兵隊きへいたいの軍監として各地で戦い、御一新の徒として天海郷を駆けずり回った男。一時は反目する時期もあったが、今となっては大久保の友でもあり、優秀な男だと一目置いている。

 妖怪、神仏を軽んじていた時の徳河将軍──攘祓的な思想を持つ徳河吉喜とくがわよしのぶに対し、親妖怪思想の者らが徒党を組んで挙兵──実際はそこまで単純ではないが、大雑把にいえばこれが正しい──し、十一年前に、例の討幕戦争が起きた。


 山縣存朋は弔州藩ちょうしゅうはん──当時は合併前だったから、弔州郷──の出身で、高杉をいたく尊敬する一人だった。

 薩舞藩さつまはん──弔州と同じく、当時は独立した小郷だった──出身の大久保とは一時期対立陣営でもあったが、今は、同じ天海という郷のより良い治世のため奔走する盟友である。


「山縣なら大丈夫だろう。隠れ家へ向かう。装甲馬車を回せ」

「はっ!」

「お嬢さん、護衛を頼めるかな」

「よろこんで」


 なつめは頷いた。そこへ、和真と朔夜、銀乃が飛び込んでくる。

「くそ、ここまで──卿はやらせんぞ!」若い男がピストルを向ける。

「よせ、俺はなつめの知り合いだ。護衛の一人だよ」和真は弁明した。

 銀乃は敵意がないように両手を見せ、朔夜は無言でピストルを掴んで手首を捻ると、若者の手からピストルを奪い取ってしまう。


「く──動くな!」諦めず、若者は短刀を抜く。「……卿、どうされます」

「お嬢さん、彼らは?」

 大久保はちらとなつめを見た。それから朔夜を見て、「なるほど」と呟く。

「いや、事実のようだ。君……稲葉伍長だろう。廣嶋鎮台第四工兵中隊第一術師小隊に所属していた。変わらんな、半妖ゆえ、実年齢より若く見えるよ」

「……なぜ自分を」

「西郷のことは残念だった」


 朔夜は西郷の乱で軍功を上げた一人である。特に田原坂の戦いでは桐野利彰きりのとしあきこと中村範次郎なかむらはんじろうと戦い、生き延びた実績を持っていた。

 幕末の動乱期、人斬り範次郎という名で知られたその男は、西郷を尊敬する純粋な男だった。

 決戦の最中、朔夜が一歩退いた隙に西郷鎮圧部隊が放った銃弾で額を割られて死亡している。


 その後朔夜自身はいくつかの戦いの末、城山総攻撃にも参加。

 廣嶋では軍神が如き働きを認められ、大いに出世を期待されたが──。


「君がこの郷にいてくれたら良かったんだがね」

「……家督争いってやつですよ」朔夜は濁すように答えた。

 銀乃が言う。「急いだ方がええかもわからん。甲禍衆が出てこんとも限らんしな。光希の言うとった久坂とかいうのとさっきの女の特徴が一致しとる。そんで、やつは甲禍衆と組んどるっちゅう話やったから……」

「久坂……?」大久保が首を捻ったが、部下が「卿、急ぎましょう。撤退路はどうにか切り拓きます」と進言。


 何か考えるそぶりを見せる大久保は、しかしすぐに思考を打ち切ってピストルを握り締め、部下に前後を固められながら移動。


「他の子達は?」なつめは和真に聞いた。

「戦ってる。レインは長倉新八っていう奴と、光希は以前激突したっていう久坂っていう女と」

 銀乃は室内から先んじて出て、周囲を警戒する。

「おい、なんかえらいごついのが来よったで」


 朔夜が室内から出て、その人影を認める。

 上背七尺、腰に大小差し、額には二本の角──しかしどちらも半ばから砕けて折れている。

 血赤の羽織に黒い着物、草鞋。眉のない顔は随分と四角く骨張っており、鉄を叩いて削り出したような印象。

 肉体は隆々に筋肉が膨れている。一──これほどまでに“危険”なにおいが立ち込める鬼は、そうそういない。


苦十歪摘くとおひづめ……」


 苦十歪摘──そう呼ばれた大男は腰の刀を抜き放ち、切り掛かってきた。

 朔夜が抜刀。愛刀・狐牙吉道こがのよしみちをやや八相気味、正眼に構えて受ける。稲尾狐閃流・狐腋こえきの構え。


 刃と刃が激突。


 凄まじい金属音が廊下中を跳ね回り、続く二合目の斬撃をいなし、朔夜は反撃に刺突を繰り出す。歪摘は首を捻るようにして切先をかわすと朔夜の懐に入り、拳打を二度打ち出す。

 朔夜は咄嗟に真言マントラを唱えて式神を召喚、半顕現した〈白犬〉が壁となって拳の威力を殺すが、朔夜は後ろへ吹き飛ばされ、壁に激突した。


「かはっ」

 息が詰まる。目配せしてなつめと和真に撤退を指示。それから銀乃を見る。彼女が意図を汲んで頷いた。

 迫る苦十歪摘。

 そこへ銀乃が銑鋧棒手裏剣を投擲し、歪摘は二本飛来するそれのうち一本を柄で弾き、一本を口で噛み挟んで、文字通り食い止める。

 朔夜は低く切り込んで胴抜きを放つが、歪摘はそれを引き抜いた鞘で防いで後ろに下がり、首と舌を使って咥えた銑鋧せんけんを投擲。

 朔夜は素早くそれを弾き、怒鳴るように言った。


「別の道から行け! こいつは簡単には仕留められん!」

 なつめと和真は頷き、二人は大久保とその部下を伴って反対の廊下を進んでいく。


「稲葉朔夜……お前の兄、逸朔いっさくはどうした」

「死んだ。労咳でな」

「相応の末路だな……だがな、俺の怒りが治ると、思うなよ」


 銀乃はこの二人の間に、決して浅くない因縁があることを察し、唾を飲んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミタマタケハヤ ─ 神ノ跫蹤 ─ 夢河蕾舟 @YRaisyu89

現在ギフトを贈ることはできません

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画