第二幕 長倉新八

 坂東府庁舎はこの麹町区にある。

 和真、なつめ、朔夜、銀乃、そしてレインと光希の三組は急ぎ府庁へ向かった。


 どこからともなく飛んでくる砲弾は、音からして沿岸部から行われる艦砲射撃と見ていい。それは、戦の経験がある朔夜、レイン、狐春、秋唯の一致した見解である。

 二手に分かれた理由に関しては、なつめの想定する「最悪の脚本」が現実にならないようにするための策であった。


 火と鉄の匂いが迫る。人が死に、焼け落ち、髪が燃える嫌な臭気が漂う──死と穢れのにおいだ。


 敵の狙いが大久保卿なのは確かと言っていい。しかし──万が一、それが「ついで」だったら?

「本命」が、それだったならば──この郷どころか、東条地域に最悪の形で負の連鎖が起きかねない。


「軍艦一隻の規模じゃないぞ、この弾幕!」朔夜が怒鳴った。「十隻、いや、二十は……」

 レインが疑問をぶつける。「和深の海軍が無能じゃないのは知っている。それほどの数を沿岸警備の船が見逃すか?」

 光希は「何かの術で迷彩していたとか、幻術を織り交ぜて接近した可能性もある。だとしたらとんでもない術師だけど」と言った。

 銀乃がすかさず、「カラクリって線も捨てきれん。西には、光を捻じ曲げる技術がある」と返した。


 一行は街路を折れて府庁舎を目指す。砲弾が目の前の商館で炸裂し、瓦礫が散る。その下には、母子──。

 和真はすかさず飛び込み、鬼の膂力を乗せた拳打で瓦礫を粉砕、粉と散るその下からなつめが母子を引っ張り出し、羽ばたきと同時に飛び退くと、「麹町から離れなさい、軍の指示に従って坂東から出るの!」と命じた。

 母子はこくこく頷いて、慌て、そしてまろぶように逃げ出していく。


 さらに砲弾、砲弾、砲弾。爆撃の嵐。

 一行は肉声での会話は諦めており、妖力を使った念話に切り替えている。技量・妖力量で会話距離は限られるが、周囲の物音に阻害されない会話方法である。


「光を捻じ曲げるカラクリってのは?」和真が問う。

 銀乃は、「ひとが見る光景ってのは、文字通り光のかげ。景の色を景色っちゅうわけやろ。つまり、光が当たった反射を、うちらは目で捉えとる。その反射、屈折を自在に操って、モノを透明にする技術が研究されとった」


 透明──。

 レインが、「光学迷彩ってやつだな」と漏らした。「なるほど、それならバレずに接近できる」

「待ってくれ」光希が制した。「海鳴水凪喪姫うなりみなもひめ様にとって天海の大海は自分自身だ。艦が接近すれば気づくはずだろう」


 人だって、自分の腹の上に猫がのしかかってくれば気づく。光希が言っているのは、そういう理屈である。

 なつめが「事情はどうあれ、接近を許したことは事実、そして敵にはそれを可能とする技術がある。今はそれがわかればいい」と議論を打ち切った。

 和真はそれはそうだろうと思いつつ、「実際的だな」と笑い、「問題は俺たちが後手に回り続けていることだ。大久保卿の安全を確認したら──いや、まずは府庁舎に、」


 そのとき、ゴゴッ、と何かが派手に乗り上げる轟音と激震が響き渡る。

「おい冗談だろ」光希がうめくように、「軍と警察の電報を傍受した。……山みてえな軍艦が、築地に突っ込んで乗り上げたってよ」

 レインが乾いた笑い漏らす。「それを作戦というのか? 和深の民はいい意味でぶっ飛んでいると思ったが、想像以上だ」


 朔夜が、「無策で突っ込むようなバカがこんな大それたことをするわけがない。その艦は捨て駒だ。あるいは、上陸用と割り切っている……揚陸艦と見ていい」

 揚陸。つまり、

 銀乃が愕然と漏らした。

「歩兵部隊を展開するきやないのか」


 ……とんでもない揚陸作戦である。特攻作戦と言ってもいい。誰もがそう思った。

 揚陸艦というには、「山のような軍艦」はあまりにも大き過ぎるものだし、力技にも程がある。

 それを使った強襲作戦──いや、ひたすらに、ただの突貫か。

 時代を遡ったかのような、極めて猛進的な、ゴリ押しであった。


「見えた。みんなは地上から。私は上空から向かう」なつめが言った。

 和真たちは頷き、府庁舎に接近する。


「あっ、こら! ──なんだ君たちは!」

 朔夜がすぐさま敬礼、名乗る。

廣嶋鎮台ひろしまちんだい第四工兵中隊だいよんこうへいちゅうたい第一術師小隊だいいちじゅつししょうたい、稲葉朔夜伍長だ。大久保卿の御身が危ぶまれている。俺たちは救出の命を受けてここへ来た。通せ」

「は……廣嶋? なぜここに。正体不明の輩を通せるはずがなかろう!」

「詳しく説明する時が惜しい、この札を改めろ」


 朔夜は己が首からかけていた木札を手渡した。守衛はそれを妖力で読み取ると、顔色を変える。

「申し訳ございません、お通りください。……大久保卿は二階の執務室です。避難が完了するまで指揮を取るの一点張りでして……ただ、先ほど警視隊が突入したはず……」

「……引きずってでも救出する」


 朔夜は威厳ある物言いで応じると、一行は彼が選りすぐった護衛という形で入庁。

 レインは「花山郷で発行した札だな」と言った。


「こうなることを火湖花山之尊ひうみはなやまのみこと様はお見通しだったんだろう。

 なぜ今更軍籍を戻すのか疑問だったが、確かに、正規の軍人なら有事に必須の人材だ。こういう状況でもなければ、入庁もかなうまいが」


 確かに平時に「救出任務である、通せ」と言っても、「馬鹿者、基地へ戻らんか」と返されるのが目に見えている。


 ──そして。


「警視隊か。警官に逆らうというのはさすがにまずい気もするが」和真はため息をついた。

 レインがそれに応じた。「証拠とやらを押さえればいいわけだ」

「蓄音記録札、撮影記録札ならしかと持ってるぜ」光希が頷いた。


 光希の姉・秋唯と、その盟友・狐春が言うには警視隊の造反は確実であるという。

 四月五日に起きた化獣ばけもの騒動の際、その化獣ばけものを市街地に運び込んだ目録を、朔夜は軍籍を利用して照合した。その協力の背景には漆宮孝之という討幕戦争に参加した軍医で、十二支隊の一隊を副隊長として率いていた軍人もある。

 朔夜と孝之は記録を漁り、そこに搬入当時の警官が明らかに意図した「見て見ぬふり」をしている痕跡を発見。

 秋唯が当の警官を締め上げると、事実を白状した。


 このことから造反は明らかとなる。

 無論、彼らはその警官に証言させて、警視局にその正当性を問おうとしたが──。

 その警官は、翌朝「病死」していた。

 こうまでして証拠を消そうとしたことが、かえって警視局から潔白の文字を遠ざけた。


 府庁舎二階へ急ぐと、警視局の抜刀警官が色めき立った。


「殺すなよ」レインが注意する。

「わかっとるわ」銀乃が先んじて飛び込んだ。

 階段を跳ぶように駆けて、手すりを蹴って前方へ。

 銀乃は慌てふためく警官の首筋に蹴りを入れて昏倒させるや否や、右の若い警官の鳩尾を掌打で打ち上げて沈め、左の五十過ぎの警官の顎を裏拳で弾いて倒す。

 抜刀した一人を、朔夜が背後から締め上げた。サーベルを握る右腕の脇に、己の右腕を差し込んで左腕で頸動脈を締め上げて意識を奪う。


「さすが本職」光希が誉めそやす。

「雷獣のお前が電撃を叩き込んだ方が早かっただろ」朔夜が文句を言う。

「先に飛び出したのはそっちの猛獣だろ?」

「誰が猛獣やねん」


 レインが問う。「執務室は二階のどこだ」

 和真は「俺にはわからないが、奥じゃないのか」と返す。すかさず光希が生体電位感知を使い、

「人口密度が分厚いのは北東の一角だ。やり合っちゃいねえが、色めき立ってんのはわかる」と返す。


 一行は光希の指示で北東へ。ほとんど対角線上である。敵の侵入を許した際、時間を稼ぐためにわざと階段をこのように配置したとみえ、おそらく大久保卿はいざという時の脱出路を持っている──とも、考えられた。最悪、縄梯子で窓から飛び出す算段だろう。

 と、右手の窓に、おそらくは屋上から縄が垂れるのが見えた。


「懸垂下降……おい、上からくるぞ」言いながらレインが先んじて駆け出す。和真が続いた。


 窓硝子がけたたましい音を立てて割られた。警視隊の抜刀隊が飛び込んでくる。

 レインは抜刀される前に相手の脇に手を添えて横へ跳ね飛ばし、壁に激突させて気を失わせる。そのまま彼女は右にいた女警官の喉に貫手、顎に掌打で衝撃を加えて昏倒させる。

 和真は抜刀されかけたサーベルを、柄を握る相手の右手に己の手を添えて強引に鞘に押し戻すと、頭突きを鼻っ柱に叩き込んで無力化。

 なおも抵抗する男の肩を外して跳ね飛ばし、左側、最後の一人に飛びかかって三角絞めで落とす。

 一行は止まらず駆け出す。


「いや、物騒なことは苦手だから助かるぜ」

 光希は巻物を広げて「行け」と呟く。墨で描かれた狛犬が三頭出現し、そいつらが吠え、背後から追い縋る警視隊に噛み付く。

「気ぃ失わすだけでいい、殺すな」と付け加えた。


「お前もしっかりやってんじゃねえかよ」朔夜が前を向きながら言う。

「じゃあ休んでていいか?」

「ふざけるな私は許さんぞ」


 警視隊とて決して弱いわけではない。彼らはかつて西郷時盛の反乱の鎮圧に参加し、武功を挙げている。

 ただ、こちらが突出しすぎているだけだ。


「おおっと、そこで止まってもらおう」


 廊下に一人の男が胡座で座っていた。着物に袴、銅鎧。一番上には浅葱色のだんだら模様が特徴的な羽織──。

 ゆったりとした動作で立ち上がる。


「俺は、長倉新八ながくらしんぱち。剣の腕を買われて用心棒なぞしておる。

 かつての同胞を斬り捨てた輩に雇われるのはいかんせん業腹だが、まあそうは言っても御一新以来、こうする以外に食っていく方法がないゆえ……な」


 自然な立ち振る舞いであるが、しかし、剣の達人に共通する──「体のどこに力を入れているのか、一見ではわかりづらい動き」であった。

 人間──いや、変化を解きつつある。種族は鎌鼬かまいたちか。二本の尾の先端には、刃が付いている。おそらく、本来はもっと尾が多いのだろうが、それを束ねて二本としていた。


「私がやろう。是非一度、本気で侍という生き物と斬り合ってみたかった」


 レインが一歩、出た。

 サーベルを凛と抜き放つ。外はすでに陽が西に傾きかけ、その朱色の陽光を照らすサーベルは緋色に煌めく。

 長倉新八は穏やかな笑みで抜刀。その左手の親指には、深い傷跡があった。


「女性と斬り合うのはいささか不本意、とはいえ、俺も騎士という生き物と斬り合いたいと思っていた。……死ぬことを恐れぬ武士と、生きるために戦う騎士。どちらが上か決めたかった」

「騎士道とは生きることと見つけたり──別に、そんな言葉があるわけではないが、私としては死に様より生き様だと思っているよ」


 新八がちらとこちらをみた。

「俺が通したとあっては面目が立たない。そこの廊下を一旦左に折れてから抜けてくれないか」

 和真が「いいのかよ」と問うと、

「邪魔されたくない」と新八は言った。


「いくぞ」朔夜がそう言って、一行は脇の廊下から脱け、駆け出していく。

 レイン以外が去ると、新八は霞に刀を構えた。

 奇しくもレインがとった構えもそれに近い、雄牛の構え。


神刀無念流しんとうむねんりゅう皆伝、長倉新八」

「エルトゥーラ王国陸軍・銀竜式剣術、レイン・オーレリア・トリンガム」


 先に動いたのは新八。略打を許さぬ、初めから全力全開の、刺突!

 豪、と廊下全体の空気の流れが変わる。迫る太刀先を払っていなすことなど不可能と断じたレインは左斜め前方へダッキング。右肩を浅く裂かれつつ、すり抜けざまにサーベルを振るう。

 新八はあえて前方へ抜けるようにサーベルをかわし、駆けながら柱を蹴り壁へ宙返り、さらにその壁を蹴るという曲芸じみた真似を見せる。


「せぁああっ!」

 大上段、真っ向唐竹。新八は裂帛の気合いと共に、刀を振り下ろす。

 レインは右へ体を開いてかわし、尾の二連撃をサーベルで弾き飛ばすと、すぐに手首を回した。レインは反撃の首刈りを繰り出す。

 新八は弾かれたように上半身を後ろへ投げ出して反らすと、左手一本で体を支えて後ろへ跳ぶ。


「カマイタチ──というのだろう。図録で見た。それから友人たちが教えてくれた。斬ることに関しては達人だとか」

「如何にも。斬るだけでなく、治すことに関しても覚えがある。左の指を落とされかけた時も、血止め薬を持っていたから繋ぎ止められた」


 ──来る。

 ……


「シルフィード!」


 サーベルを薙ぐ。斬撃に風の刃が乗り、新八に迫った。

 彼は尾を振って風の刃をかき消しつつ、刀を霞に構えて肉薄。

 刺突をレインはかがみ込みつつかわし、起き上がりに合わせてヘッドバットをかます。ゴス、と新八の顎を打つ──と思われたが、彼は素早く刀を回して柄で防いでいた。


「危ない危ない」新八が歯を剥いて笑う。獰猛で野生的、妖怪的な笑み。


 レインは足払いをかけ、新八はあえて足を投げ出して宙をムササビのごとく舞う。

 舞いつつ、尾を振って斬撃。一本目はサーベルでいなして、二本目は後ろへ跳んでかわす。

 新八は綺麗に着地し、駆け出し、レインに追い縋る。


「風の術だな」新八はそう言って、「聞いたことがある。そちらには精霊という、摩訶不思議な霊的存在がいると」

「ああ。精霊魔法といってな。友からもらったものだ」


 切り結ぶ。新八が前蹴りでこちらを弾き、手を巧みに捌きつつ、すぐにレインの腹へ斬撃を仕掛ける。

 シルフィードが反応、風の流れを作り斬撃を逸らす。コートとその下のベストが裂け、皮が一枚切れたが、肉は無事。

 後ろへ体が泳ぐが、風の噴射で右に飛ぶ。すんでのところで、さっきいたところへ落雷のような斬り下ろしが襲いかかっていた。


「友か。……変え難い財産だ」

「全くだ。……お前にも?」

「いたよ。たくさん。……その大半がもうこの世にはいない」

「同じだ。生き残るべきだった。私より、ずっと」


 大小の傷が生じる。

 尾の斬撃、風の斬撃、剣戟。

 激しい応酬が目まぐるしく続く。


「だからこそ、私は生き残らねばならない。友から託されたものを、彼らの誇りを取り戻すためにも」

「なら、俺を超えていけ、異国の騎士よ」


 新八は以前目立った疲弊はない。大小の傷さえも、深撰組二番組組長としての激戦に比べれば序の口もいいところ。

 それはレインも同じ。銀竜隊としていくつもの視線を越えてきた己には、今のダメージなどあってないようなもの。


 しかし、本能で察する。

 次の一太刀で勝敗は決すると。


 踏み込みは、期せずして同時。

 交錯する剣の鋒、擦れ合う刀身。響き渡る甲高い音。


 宙をまった刀身が壁に激突、突き刺さる。


「見事」


 鏡のような刀身に反射していたのは、サーベルに左胸を抉られた長倉新八である。


「急いだほうがいい、お嬢さん。……奴らは、本気だぞ」

「ああ。とどめを?」

「いや……仲間を想う時間をくれ」


 こく、と頷いて、レインはサーベルを引き抜くと急ぎ駆け出した。

 新八は壁に寄りかかり、あの日、あの戦で散っていった多くの仲間を、組の部下を想いながら目蓋を閉ざした。


 遠くから撃剣をかわす竹刀の音と、仲間たちの笑い声が響き渡ってくる。そんな気がした。

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