【猛疾ノ章/壱】海鳴落日
第一幕 嚆矢
火の暦八七八年五月十四日 火曜日
ある通りに面した、エルトゥーラ風建築の
眠気が尾を引くような気もしたが、軽く二回ほど首を左右に振ってそれを跳ね飛ばすようにすると、不思議とすっきりとした。
幼い頃からの習慣は、見知らぬ異郷の土地にあっても変わることはないらしいと実感する。
「……
元々和真は板の間に雑魚寝か、ぺたんとした安い布団で寝るのが普通である。狩りの時となれば野宿上等だ。
くすんだ銀色の髪が、虫籠窓から差し込む朝日で緋く照らされている。
整った顔立ちは、いまだ都会に馴れぬと見え、垢抜けた様子を見せることもない。よく言えば素朴なままで、悪く言えばいも臭い田舎者だ。
郷を発ってかれこれ二ヶ月以上。
百万都市・坂東府。己がそのような大都会の土を踏むことは決してないと思っていた。
早朝だが路面にはすでにござを広げる路上の物売りが声を出し、和真はいい目覚ましだと思いながら、寝台から起き上がる。
山では鳥の大声で起きていたが、どうやら人里では物売りの声で目を覚ますらしい。
大昔、棒手振りの掛け声で人々は目を覚ましたというが、その習慣がいまだ続いているのだろう。
「おはよう」
「なつめ……相変わらず早いな」
「もともと夜行性だから。あとは言っても信じられないかも知れないけど……」
「ん?」
和真は水瓶から水を汲み、一口飲みつつ聞いた。
「私たちは脳の半分を寝かしつつ、もう半分が起きた状態で活動できる」
「……羨ましいな。俺もそうしたい」
「戦闘時は別だけどね。術を使う時は前頭葉を使うし、体を常に動かすし、半分寝てたらあっという間に首を刎ねられるんだけれど」
物騒な言葉が飛び出るが、彼女は長年行脚の修行に出ていた。その最中に、何度も危険な目に遭ったのかも知れない。
和真は一階を指差した。
「みんなは起きてる……みたいだな」
「ええ。物音がする」
二人は妖気に頼らず、あくまで生物としての機能でそれを察した。山の民は生態的な感覚能力に極めて優れるのだ。そうでなければ、地上で獣、空で怪鳥がひしめく山で生き延びることなどできやしない。
特に和真は保有する妖力の絶対量も少ない上に、感知能力も低い方だ。そのおかげか、生得的な、生物的な感覚に極めて優れている。
様々な物音が乱舞する山中で、獲物だけを聞き取る聴覚。無数の臭気が巡る中で、痕跡を嗅ぎ分ける嗅覚。風、湿気、熱を感じ取り天候を読む触覚。栄養になるか否かを判断する味覚。一町先のリンゴの実を射抜く視覚──。
一階の物音を察するなどもはや獣狩である和真にとっては朝飯前。
和真は軽く腰を捻り、手足を動かして筋肉をほぐすと部屋着の長襦袢を脱いだ。褌一丁の彼をなつめはまじまじと見る。
「なあ……流石にそこまでじっと見られると気になるんだが」
「そう」
「……ちょい、あっち、向いてて欲しいんだが」
「子供ね」
なつめはぐりん、と首を真後ろに曲げた。多分、フクロウ天狗というものを知らぬものが見たら悲鳴を上げるだろう。どう考えても首の骨が捻じ曲がり、捻り折られたような絵面だからだ。
が、彼女にとってはなんでもない。
和真にとっても、日常の一幕である。
甲冑の下に着る和服をさっさと着て、野良袴を身につける。
二人は部屋を出た。
「長屋ってもの自体を俺は知らないが、……なるほど、都会じゃあこういうほうが合理的か」
「山の方はむしろ一国一城の主人の方が普通だから、特殊に見えるわよね」
和真となつめの「家」の感覚はそれだった。一家族が一つの家を持つのが普通。それが、山岳郷での暮らしの常であった。
都会の者からすれば贅沢な感覚かも知れず、しかし和真やなつめにとってはそれが当たり前だから、なんとも返答に窮する感覚の「ずれ」だった。
しかし、なるほど大勢が集い土地が限られるのならば長屋やアパートメントは非常に合理的な仕組みであった。
「おはよう」
二人が一階の「ダイニング」に降りると、皆が揃っていた。
花山郷からやってきた穢獣祓いの退魔師・
西条地域で密偵をしていた隠密くの一・
エルトゥーラから海を渡ってきた竜騎士・レイン・オーレリア・トリンガム。
一筆斎の芸名で知られる雷獣絵師・
酔剣なる最強剣術を振るうもふもふ棒の使い手・
元警官で一筆斎の姉、技を極めし女雷獣・
仙龍国より武を求めて渡航してきた武人・
彼らは惹かれ、導かれるようにしてこの地に集った。それは偶然とは言い難く、皆、この坂東で奇妙な因縁を感じ、徒党を組んだ。
名を、「
「集まったのはいいが、これからどうする。まさかずっとここでカビが生えるまでじっとしているわけじゃないだろう」
朔夜がそう切り出した。
彼は花山郷で旅をしていた際に、西条和深地域の大首都──平晏京の公家から暗殺されかけたらしい。
その一件もあり神主に占ってもらったところ、この天海郷の土地で勇士を集い、災渦に備えろ──という結果が出たという。
彼らは岡田才蔵なる人斬りと遭遇、これを撃退。奴の刀剣を回収。しかしこの岡田、のちに京の洛中で何者かに殺害されていたところを発見されている。
刀傷を改めたところ、巷で騒がれる人斬りの傷と一致した。
なぜ刀傷でそこまでわかるかと言えば、刀はその全てが一点ものである。規格化された部品を組み合わせてる作るライフル銃とは違い、全てが職人の手作り。
故に微妙に刀身の厚みや反りが違うし、長さも、重心さえも異なる。それを踏まえた傷口は、全てが異なるのだ。
故に、刀傷だけで、場合によってはその持ち主さえも同定できる。
「うちが町猫から聞いてきた情報を整理したんやけどな、えらいことになっとるわ」
そこに声を差し入れたのは霧島銀乃である。
西条地域、逢坂国にて隠密として潜入、東条地域に情報を融通していたくの一である。
彼女は隠密霧島組という、裡辺郷を──引いては東北和深地域を中心に活動する隠密集団の一員であり、その情報網は全忍び組織で一、二を争うほど。
その秘訣はすなわち、万人に愛され、万人の話し相手として重宝される猫との情報連絡路の構築にあった。
猫は平然と城に迷い込み、街を闊歩し、その軽やかな身のこなしでどこからともなく情報を連絡する。
故にその猫と友好的な霧島組は、独自の情報交通網を持ち、その莫大な収穫から適宜最新かつ信頼度の高い情報を仕入れることができた。
彼女は壁に貼り付けた簡易的な坂東府の地図を指差す。
「結論から言う。敵方らは、坂東府庁を落とし、内務卿
面々の目が見開かれた。
「間違いあらへん。坂東府に、坂東城──よーするに、お偉いさんや神様のおられるとこにさえ出入りできるのが猫の特権でな。
どっちも警備といい近衛といい、ピリピリしとるらしい。陸軍海軍が最近ぎょーさん見受けられるって思ったら、そういうことや。
なつめの言う通りやった。天慈颶雅之姫様の予感が当たらんとも限らん」
なつめが言葉を引き継ぐ。
「私たちが止めると言うことね」
「そうなる。とはいえ、内務卿とはいわば郷長、ひとの世における頂点や。行脚の旅人に浪人の集まりなんぞがお会いできる相手ではない」
朔夜はちらりと狐春を見た。
「そのための手筈は済ませてあるが。……あんたはどうなんだ。あの戦に出ていたんなら面識はあったんだろう。けったいな棒切れで戦ってたんなら顔くらい覚えられているだろう」
「もふもふ棒は、戦の後、さ。雲雀・伏辺の前に一言二言話したが……と言っても、郷のお頭が俺を覚えてるとは思えない」
それはそうだ。
いくら強いとはいえ、狐春はあくまで一浪人として参加していたに過ぎない。その中で腕が立つという理由で、十二支隊という特別な強者部隊に入れられていたのだ。
レインが外を睨んだ。
「嫌な空気だ。淀んだ血の匂いがする」
秋唯とシアが、壁際で耳をそば立てていた。
光希は姉との折り合いがよくないらしく、距離を置いて、椅子に座って餅を食っている。
ふと、和真は。
「おい、──伏せろ!」
と怒鳴った。この状況で冗談を言うはずもなく、皆、その場ですばやく姿勢を低くする。
戦の経験がある狐春、朔夜、レイン、秋唯は近くの者に覆い被さり、「目と耳を閉じて口を開けろ!」と怒鳴りつけている。
直後、爆音。
それも一発や二発ではない。十、二十──無数の弾着音があちこちから響き渡ってくる。
「坂東府へ急ぎ──」なつめはそこまで言いかけて、ふと、「二手に別れましょう」と言葉を繋いだ。
一同は迷っている暇はないと、この中で最も頭の切れるなつめの作戦を聞き、それに従うことにするのだった。
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