道徳になぜクジラ? 疑問きっかけに200年の歴史調べる 名古屋
【愛知】どうして道徳公園にクジラがあるのか。こんな疑問をきっかけに、20年以上かけて調べた名古屋市南区の道徳地区(道徳前新田)の歴史を、学習塾を経営する加納誠さん(65)が記念誌「道徳200年」にまとめた。道徳の象徴になっているクジラの歴史とは――。
コンクリート彫刻のクジラは、1927年の道徳公園の開園時に造られた。聚楽園大仏(愛知県東海市)などの制作者として知られるコンクリート造形師後藤鍬五郎(くわごろう)(1892~1976)が手がけた。全長9・7メートル、幅3・5メートル、高さ1・9メートル。頭から噴水も出る。今年10月には国の登録有形文化財に登録された。
なぜクジラなのか?
「江戸時代の干拓で新田ができるまで、この辺りは『あゆち潟』と呼ばれる海で、クジラやシャチも来ていたらしい。『ここからクジラの骨が出た』と語る古老もいて、地域の記憶として残そうとしたのでは」と加納さんは推察する。
加納さんが地域の歴史を調べ始めたのは、道徳小学校のPTA会長として、同校創立60周年の記念冊子をまとめることになった2000年のことだ。落書きを消したりペンキを塗り直したりと、加納さんにとって身近な存在だった道徳公園のクジラの歴史も、その一環で調査した。
最初は歴史の資料がなかなか見つからなかったが、郷土史家と出会い、資料収集の方法や歴史の勉強の仕方を学んだという。そのうえで「地域の歴史を知る古老を片っ端から訪ね歩き、聞き取りをするところから始めた」と振り返る。
その後、古文書や資料、写真などは、知人らの協力で「部屋がいっぱいになるぐらい」集まった。東京の国立国会図書館まで足を運んで文献を探すこともあり、「土曜、日曜はすべて調査の時間に費やしてきた」と話す。
「道徳200年」はその集大成だ。江戸時代後期の1817年に始まった干拓から、尾張徳川家の直轄地としての歴史、大正から昭和初期にかけての区画整理や宅地造成、クジラがある道徳公園の整備のほか、昭和初期に存在した映画の「マキノ中部撮影所」、プールやスケート場を備えた観光地だった道徳観音山、軍需工場に囲まれて繁栄した戦前、戦中の空襲、戦後の伊勢湾台風被害、現在の道徳地区まで、資料や写真をふんだんに使ってまとめている。
加納さんは「親子で読んでもらい、道徳に住むことに誇りを持ってもらえたら」と期待している。
記念誌は協賛金千円(1冊、送料別)で入手できる。問い合わせ先は加納さん(052・694・0355)。