『フェアウェルを継ぎ接いで』シナリオ分析
今回はウマ娘のハロウィンイベント『フェアウェルを継ぎ接いで』のシナリオ分析をします。ちなみに今までのイベストの中でもぶっちぎりで面白かったのでまだ読んでいない方は是非読んでください。人生の損失です。
また、筆者はシンボリクリスエスとタニノギムレットの育成シナリオを読んでいません。またエアシャカールやファインモーションの育成シナリオを読んだ時から時間が空いているので、もしかしたら記載内容に至らぬ点があるかもしません。ご了承ください。
リアルタイムの感想
全員キャラ立ちがええ
ギムレットの語彙力普通に欲しいのだが、このライター凄い
詩人シャカールも見たいです
外郎売ワロタ
アイスブレイクで有能感植え付けるとその後を気持ちよく読ませられるな
フルボイス良い、てかいい声しかいない、声優さん凄い
ファインシナリオの回収よき
実質シナリオ添削じゃん
マジの劇じゃん
演出も凄い
悪魔側で寂しさ作るのすげえ
凄すぎるぞこの話
ガラテアって何(彫像から人間になったものらしい)
シャカファイの差し込み方が完璧
ウマ娘の提示じゃん
良かった点
・キャラ立ちの良さ、導入のスムーズさ
今回はギムレットを始めとしてクリスエス、タップ、シャカールなどウマ娘の中でも特に口調が特徴的なキャラが勢揃いしている(ファインも)。特にギムレットのセリフはそれ単体で驚かせられるほど語彙が豊富であり、物語序盤のアイスブレイクの場面で読み手にこれからの物語への期待感を持たせることに成功している。人間は印象や気分によって良い作品も平凡に見えたり更によく見えたりするものなので序盤の見せ方はかなり重要であるが、今作は上記の通り序盤で面白いポイントを作りつつしっかりとキャラ紹介も済ませられている。
冒頭のこのシーンで既に物語への期待が止まらない。
・障壁の設定
物語には乗り越えるべき障壁が現れる。それをキャラたちがどう乗り越えるか、その過程をどう見せるかが物語の最終評価に繋がると言っていい。その壁の設定がクリスエスの表情だったりギムレットの感情で動くが故に詰まっている理由が分からないなどキャラに即したものになっている。そしてその解決が普段は無口で滅多に感情を表に出さないクリスエスの(おそらく彼女の育成シナリオと関連した)旅立ちに対する解釈によって一気に解消する。
よく見てみると問題発生から解決までが短いのだが、そこはクリスエスの育成シナリオという外付けの情報を組み込むことで8話という短い尺の中でも深みと納得感を得られる障壁設定・その解決に繋がっている。またギムレットが当初想定していた物語は別れと旅立ちという漠然と悲しい雰囲気なだけだったシナリオが、改訂版では物語の軸である存在意義を機械人形が見つけて旅立つという流れになり話としてちゃんと順当に面白くなっているのも納得感がある。
初稿は言ってしまえば機械人形が絶望するだけのシナリオだった。
・仲間がいること
序盤でギムレットは別れを、タップは大団円を好むという意見の食い違いが発生している。しかし中盤でギムレットが物語の筋書きを変え、それを良しとする理由を「単なるモチーフだったはずが、肉がつき……全く別の知性が閃いたのだ」「何せ、もうワタシだけの作品ではない。……我ら、劇団『フォルトゥーナの喝采』のものだからな。」と説明する。青春ものが面白い理由のひとつは美しい仲間との絆だが、他者が介入したことで作品がより良いものに昇華するというのはその他者との交流の必要性というテーマを十二分に表せているだろう。またモブウマ娘の協力や彼女らに対するシャカの協力などから相互扶助の尊さをここでも説きつつ、ラストのシャカファイ要素の伏線を敷いている。
この物語では「少女」のセリフなどから仲間の重要性が度々示される。
・劇の冒頭
詩人の照明との掛け合いやシャカの登場の仕方など、(体育館にいる)観客の巻き込み方が本物の劇のように工夫されている。そして詩人の語り→悪魔との会話→悪魔の思い出話、と現実から作中世界へと滑らかに引き込む手腕は非常に洗練されている。
またここで悪魔の「ちょうど仕事に飽いていたところだ……」という語り始めが物語最終盤の詩人の「実のところ、酒場で詩を詠みあげるだけの日々に飽いていてね」という返しに繋がっている点も良い。また悪魔の「ある怪物の、別れの物語を聞かせてやろう。」としたところの「怪物」が機械人形であり、話を聞き進めることで悪魔自身でもあることに気づく作りも素晴らしい。そしてその伏線は「全てはオレから過ぎ去っていく……」という物悲しい悪魔の語りにも練り込まれている。
・作中劇の作り
作中劇は2話分しかないにもかかわらず、「人工生命が自らの存在理由を見つける話」という王道の展開であること、少女の純白さを村人のセリフと少女のセリフ、荒廃した背景とクローバーの対比で端的かつ効果的に表現しているため短いシーンでも少女という重要な要素を十分表現しきれている。またハロウィンだから機械人形が外に出られる、というのも物語の短さを逆手に取った上手い設定だろう。
また機械人形の「触れられたから。この心の形を……知ったのだ。」というセリフも他者がいることで自己を知ることができるというテーマを的確に表した好ゼリフである。この「触れられた」というのも最後のシャカファイの「オレを友だちと呼ンだところから、な。」というセリフと対応している。
そして詩人の語りも相変わらず特徴的かつ劇のキャラクターとウマ娘としてのシャカールの双方に掛かっているなど味わい深いセリフが多い。
シャカのアイロニカルな性格が表れている。
このセリフは神から見放されたシャカールにとっても救いだろう。
・ファインの育成シナリオとの兼ね合い
ファインは育成シナリオで来たるべき別れを見据えて思い出作りをしていた。それが今回の話と被っている。確かこの時期は別れが変えられないものであるということを伝えられて、みんなで思い出クローバーを集めようという話になっていた。そこでファインはシャカールや他の生徒たちとの交流を深めていく。その中に存在したエピソードとしてピタリとはまっている。
・悪魔の寂しさ
シャカールは史実で7cmが越えられず、三冠馬になることを逃し、引退後に事故で亡くなった。そしてウマ娘世界のシャカはその7cmに囚われて何度も何度も試行錯誤を繰り返しそれでも越えられずに絶望してそれでも運命に抗おうとしている、という解釈をされている。つまり彼女は生(7cmの先)と死(7cmを越えられない史実)の狭間を永劫彷徨っているという点で今回の悪魔と重なっている。そして育成シナリオで7cmを越える希望を見せてくれたファインを少女役に据えることでファインの帰国と白く貴き魂を持つ少女が悪魔のいる村からの旅立ちという2つの別れを重ねている。
またそれを詩人が助けに来た、とすることで別れという避けられない運命でもそれを何とかしようとしてくれた機械人形(そしてその心を芽生えさせた少女)の暖かみが流れ込んでくる。その言葉も詩人の語り口にしたことで間に長い時間が流れたことを表現し、また機械人形の錆びつきながらも満足げな声、という表現し辛い部分を上手く回避している。
ここで真の主人公は悪魔だったことが明かされる。
・シャカファイ要素
最後にシャカファイ要素を置いたことで前述の要素が一気に集約されてクライマックスに相応しい盛り上がりが作り出せている。トラウマにして運命を無理やりぶち壊そうとするシャカと運命を尊いものだとして美しい思い出にしようとするファイン。この両者の優しく暖かみに満ちた離別が彼女たちの魂の清廉さをより強調している。
当然だがラストの「地獄に攫ってしまおうか?」もここに掛かっている。
・タップの最後の語り口
上記があった上で語り部という物語全体を俯瞰するメタ的な配役が次のセリフを放つ。
「"別れ"……そう、舞台はもう終わりだ。――だが!」
「終わらせないさ。アタシが永遠にしてやる。物語を……仲間たちとの時間を!」
「だってまだ役者が舞台にいて、観客もそこにいる。そう、今は"幕間"に過ぎない。……次のセットの準備をしよう。」
「――まだまだ、思い出を積み重ねるのさ!台本も筋書きもない、自由な物語を……始めよう!」
これにより正史ではシャカとファインは離れ離れになってしまうかもしれないが、トレーナー=プレイヤーが夢の第11レースを望むことでその未来が変わり得る可能性を示している。これは「ウマ娘」という作品が何度も示してきたウマソウルの強制力、そしてそれをプレイヤーが介入することによって我々が望んだifの世界を夢見ることができる、というウマ娘の根底を表している。
役者(声優やライターなどの制作陣)が舞台にいて、観客(我々プレイヤー)がそこにいる。今は(批判だったり訴訟だったり色々あるが)"幕間"に過ぎない。『ウマ娘』というコンテンツはまだまだ思い出を積み重ねるのだろう。台本も筋書きもない、熱くて和やかで時に涙を誘い、それでも最後には皆が笑顔でいられるような、そんな夢のような自由な物語を。
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