愛する家族から自由になる。
東京在住の女性M様から「息子が自殺未遂をして混乱しているから会いたい」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。M様は「息子にも会って欲しい」と言った。だが、問題は息子ではなく母親にあるような気がした。息子が私に会いたいと言ったなら会う。だが、母親が「よかれと思って」私に会わせたいと思ったなら、それは違うと思った。何かを強制したり、何かを期待することは、たとえ善意であっても負担になる。救われるべきは息子ではなく、母親の方だと思った。
M様は言った。息子は嘆く。親も学校も嘘ばかり教える。何も楽しいことはない。生まれてこなければよかった。そんな言葉ばかり聞いていると、こちらも滅入る。何年も前から不登校になった。無理やり学校に行かせていたら、自分の部屋に閉じ籠って出てこなくなった。何を聞いても話してくれず、食事を一緒に摂ることもない。今はいいけどこれからのことを思うと不安になる。何かをしなければと思うけれど、何をしたらいいのかがわからない。M様は、そのようなことを言った。
私は「息子も同じ気持ちだと思う」と言った。今はいいけどこれからは、と、息子も煩悶しているだろう。ゲームをしながら、ネットを見ながら、頭の片隅では「このままではよくない」と理解しているだろう。何かをしなければと思うけれど、何をしたらいいのかがわからないと思っているだろう。母親も、息子も、同じ孤独を抱えている。自分のことを理解して欲しい。自分の話を聞いて欲しい。どちらも「自分、自分」となったら、会話は成り立たない。家庭に聞き手がいない。母親は監視員になり、息子は囚人になる。囚人は不自由だが、監視する側も不自由。自由を許せない。
本当の親孝行とは、親の期待に応えることや、親の言うことを聞くことではないと思う。親からもらった命を完全燃焼させて、後悔のない日々を生きることだと思う。頭の中に常に他者がいる状態は、自立をしていない合図だと思う。頭の中にいる他者の言うことを聞くのではなく、頭の中にいる他者に出て行ってもらう。強い言葉を使うなら「頭の中にいる他者に死んでもらう」くらいの気持ちでいないと、命を吸われる。無気力になる。自分のやりたいことのために家を出て、二度と会えなくなったとしても、命を燃やして生きることができたなら、真の親は喜ぶ。真の子供は喜ぶ。親離れ子離れができていないから、よかれと思って潰し合う。家庭が安全な場所ではなく、家庭が戦場になる。家族から自由になると自立をする。
世の中の常識がどこまで本当なのかは、誰にもわからない。働かなければ生きていけないと言われたが、無職の私は生きている。家を買う金はなかったが、家を貰うご縁に恵まれて持ち家がある。呼ばれた場所に移動をするため、お金を出してもらいながら日本全国や世界各国を放浪している。自慢をしたい訳ではない。ただ、人生はわからないものだと言いたいだけだ。みんなと仲良くしなさいと言われても「する気はない」と断り、これくらいの年齢になったら結婚をするものだと言う世の中の風潮に「従う気はない」と反旗を翻し、そんなんじゃ生きていけないよと言われても「そこまでして生きていたくない」と楯を突き続けたが、結果、親友もできたし、こいつに会えた俺は一生分の幸せを得たと思える女にも会った。真に受けないでよかった。妥協しないでよかった。九割の人間からは嫌われたが、一割の人間からは愛された。だからお前も生きてみろとは言わない。ただ、生きてみるのは悪くないよとは言いたい。人は絶対に死ぬ。常識に潰されてダメになるくらいなら、やりたいことをやって死のうよと思う。
おおまかな予定
10月3日(金)東京都中央区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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