通常、皮膚には様々な菌が付着し、なかにはブドウ菌のように常在しているものも多くありますが、これらの菌は細胞を破壊し、増殖することはありません。 #医師以外とは付き合いたくない話が合わない
posted at 04:15:52
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通常、皮膚には様々な菌が付着し、なかにはブドウ菌のように常在しているものも多くありますが、これらの菌は細胞を破壊し、増殖することはありません。 #医師以外とは付き合いたくない話が合わない
posted at 04:15:52
免疫は「病気(疫)を免れる」と意味で名付けられたものですが、そのしくみはかな。複雑です。まず、その基本となる「白血球が抗体を作るしくみ」について、ざっと追いかけていくことにしましょう。免疫のしくみには、マクロファージ、樹状細胞、T細胞、B細胞など、様々な種類の白血球が関わっています。 #医学 #医療 #東大内科
posted at 03:25:57
あかり「害虫駆除」 レイ「オー!ヽ(=´▽`=)ノ」 やるのは私。
posted at 03:25:57
「動かねば 闇にへだつや 花と水」 沖田総司
posted at 02:03:18
楽しく脳のヨボヨボ化を防げる…脳年齢が約3年若くなり協調性と決断力を鍛えられる一見「不健康そうな趣味」 偶然の要素が多いゲームだからこそ脳が活性化する #プレジデントオンライン president.jp/articles/-/102…
posted at 01:37:33
@ut2025_miss1 あやたがミス東大ですね? 雑魚「組長?組長?」 加州清光スラーリ 「フン!」 ゴホッゴホッ!
posted at 22:16:49
免疫バランスが崩れる理由はハッキリわかっていませんが、発症については大きく二につのパターンが知られています。一つは、Th1が生み出す抗体が細胞に結合することで、マクロファージなどの食細胞や補体の攻撃対象になるというものです。補体とは、食細胞の働きを補佐するタンパク質の仲間で、細胞膜に穴を空けるなどして貪食を助けるほか、アナフィラキシンと呼ばれる物質を産生し、攻撃した細胞の周辺に炎症反応を起こします。こうして引き起こされるのが、Ⅱ型アレルギーに該当する自己免疫疾患です。 #東大 #内科 #理化学研究所
posted at 22:16:49
風邪で黄色い鼻水や痰が出るのは好中球に殺された菌やウイルスの残骸が排出されるからです。こうしたマクロファージや好中球の一連の動きは、「自然免疫」と呼ばれています。 #医学 #東大医学部 #東京大学医学部 #理化学研究所
posted at 19:09:05
@ri_zento_deka Wieder kommt die Zeit für die meinte Symfonie von Beethoven.
posted at 16:19:14
@ut2025_miss3 Da bin ich nicht sicher.
posted at 16:15:43
@ut2025_miss1 man empfindet eine Herbstamosphäre.
posted at 16:13:14
風邪をひくと喉が荒れますが、これはサイトカインの働きによって炎症が引き起こされためです。炎症というとあまりよくないイメージがありますが、これによってマクロファージが活性化し、異物が排除されやすくなります。また、サイトカインは同じ食細胞である好中球を呼び寄せます。 #内科 #東大 #医学 #医療
posted at 16:10:36
頭が痛い。安定剤が効きすぎた。
posted at 14:31:25
2026年2月、エヴァンゲリオンシリーズから「レイ」のフィギュアが登場! eva-info.jp/25066 #evainfo #綾波レイ
posted at 10:34:19
近年も不思議な事件が多い…不思議だ…理解に苦しむ。
posted at 23:43:37
父の姉の長男が結婚をし、子どもにも恵まれたのに急に数日間帰宅しなくなり、捜索願を出して見つかったら山中で腐乱死体と化していた。事件性も無く、自殺をしたらしい。父から聞かされた時は「なぜ?」でしかなかった。私とは年齢差が離れすぎて親しく遊んでもらったことはないが危ない橋を渡るタイプには見えなかった。
posted at 21:09:05
経腸栄養剤、アミノレバン、お茶、入院中は「こんなに水分を摂ったことかない」と思いながら、病院食にもお茶が…。「こんなにカロリーも摂ったことかない」でした。 病院食の味が見た目とは一口食べて「いままで食べて来たものとは何かが違う」でした。経腸栄養剤、アミノレバンしかはっきりした味を感じませんでした。
posted at 20:24:18
入院している時は、日に当たらないから黄色みがかかって、退院してから直射日光は避けないとならないため、日が落ちてから散歩をしていたら、健康な人とは異なる日焼けの色になってしまいました。
posted at 19:43:38
離脱症状の現実なのか?夢なのか?がわからない感覚は気味が悪かった。私は部屋を消灯しないと眠れないから、フッと手元を見るとベッドで火のついたタバコを持っていて、「寝タバコは火事のもと」と灰皿も見当たらないため、洗面台に向かうと「よくよく考えれば喫煙をする道具は家にはない」。なぜ?洗面台に立っているんだろう。火のついたタバコも指にはさんでいない。 あれが幻覚なのかな?
posted at 18:42:30
睡眠導入に入った、途端に体が熱くなり導入が打ち切られます。時計の針を見ると5分しか過ぎていない。 関節炎は治療薬で治まりましたが、微熱は改善していません。
posted at 17:39:53
離脱症状がインターネット動画や漫画、資料で説明してある通りに起きました。3日間苦しんだため、飲酒はしないと決めた。あとは、一瞬のためにこれから治療を続けないといけない道を選んだ自己嫌悪だけが残った。
posted at 01:11:31
呼吸器内科の担任医師に「眼が黄色っぽくなってない?」と断酒をしているのに、さらにショックを受けた。外来前に深夜に発熱し、睡眠が取れていなかったからか?治療薬の副作用か?
posted at 00:50:03
採血検査をして来ました。ビリルビン値が改善されてなく落ち込みました。悪くするのは早いのに、改善をするのは遅いものです。
posted at 23:20:12
父は祖父が高齢になってから産まれ、父親参観に友達から「爺ちゃんが見に来てるぞ」と言われ、恥ずかしい思いをしたため、自分は早くに家庭を持とうと決めたらしい。20代前半だから男性として早いほうだと思う。
posted at 05:35:19
祖母が生きていた間は父と父の弟とは仲良く杯を交わしながら昔話をしていたり、海釣りに行っていた。祖母が他界した際の父の弟の葬儀準備の態度が父は気に入らず、絶縁状態になった。後妻で父と弟とやっと男子が産まれた。前妻の子は(父の姉たち)は女子しかいない。
posted at 05:31:29
父の姉も腸が弱く有名な個人クリニックに定期的に診察に行っている。父の父(祖父)は腸に狭窄が出来、手術をして切除したが、本来なら腸は癒着しやすい臓器だが最初はうまくいっていたが高齢だったため癒着せずに、縫合が取れてしまい他界していった。私に弟が出来る前にお見舞いに行った時代だから、私も父方の祖父の思い出と言えばこれくらいだ。兄や私を見つめて祖父が笑顔だった。
posted at 05:25:14
結核か?肝臓か?クローン病が悪化したのか?わかりませんが、控えたほうがいい食品を少しでも摂るとお腹を壊してしまいます。結核になる前は少しくらい食べても壊さなかった。
posted at 03:22:28
高齢の結核の男性の気持ちは理解できますが、食欲は落ちます。食事からの栄養も治療薬と考えて食べないと結核は治りません。
posted at 03:17:43
飲酒をすると思い出したくもない過去ほど堂々巡りをして、それが楽しかったか?と問われると「全く、体を悪くしてしまっただけ」と言わざるを得ない。
posted at 03:12:11
あの時期は、三男が生きていれば変わっていたのかな?ばかり考えていました。 私が小学校4年生の時にクラスメイト、同地区の人が真冬のソフトボールの練習後に浴室でヒートショックで他界しました。その弟さんと四男が友達になっていたのは嬉しかった。
posted at 03:12:11
肝臓は体にとって重要な免疫の「防波堤」であり、体内に入ってきた異物を排除したり、ウイルス感染した細胞を処理したりする免疫細胞が豊富に存在します。肝機能が低下すると免疫力も低下し感染症にかかりやすくなるため、肝臓の健康を保つことが免疫力を維持する上で大切です。また、肝臓の免疫機能に関わる「クッパー細胞」や「NK細胞」、「T細胞」が異物の処理や免疫の調整を行っており、その働きが私たちの健康を支えています。
posted at 01:33:03
私は熱に弱い体質らしく、平熱より一度上がっただけで「熱くて仕方がない」です。ストロング系チューハイは「危険なお酒」だったことを実感しました。間違いなく肝臓を傷めてしまう。免疫力が下がり結核に感染です。
posted at 01:25:23
深夜に微熱が出るのだろうか? 高齢の方も昼間はイビキをかき、深夜はイビキをかかない。私と同じタイプで深夜に微熱を出すのかな。
posted at 01:01:33
クローン病の手術時に全身麻酔中は真っ暗だったのに、最後に黄色の花畑で三男と亡くなった秋田犬とが戯れていて、私が「あれ?生きていたの?」近づこうとしたら「兄ちゃんこっち来るな」で起き上がろとした瞬間、麻酔科の看護師に「術後です。動いてはいけません」と両肩を捕まれベッドに押さえ込まれた。父も複雑骨折をし、意識を失った時に父の母が出てきてて「あっちいけ」と。三途の川を見るものなのかな。
posted at 21:12:00
兄の小学校の担任の先生から、私の幼稚園年少組の先生、四男の保育園の先生まで泣き崩れていた。 手術に耐えたのに、ある本に親より先に他界した子供は罰として三途の川の石を10個積めば家族達が見える、が9個目で必ず鬼が積み上げた石柱を破壊をすると。私「そんなに無常なのかな」三男何もしていないじゃないか。
posted at 21:04:07
寝たきりになっていた四男。すっかり昔の穏やかな姿になっていた。 父「これで解決する」の予想は当たりました。
posted at 20:51:11
四男が荒れてどうにもならず母にあたる父が毎日いて、仕事も上司が入院したり、同僚が転職していなくなったり、心休まる場がなかった。転職を考えて退社し、母がいないから私が家の掃除や料理や父の手伝い。四男の部屋から他界した三男との一歳時の誕生日パーティーの二人の写真を見たときは、なんとかなりそうだと感じました。
posted at 20:47:37
高校卒業後に、長い春休み中に運転免許証を取得する人が沢山いて、私も取得しなければと考えた矢先に、風邪をひき、通院しても良く成らず。自分の体に異変を感じた。通院し、処方箋の治療薬を服薬して一晩睡眠を取れば風邪が治っていたのだから、次に痔瘻の手術、数年後に原因不明の深夜の腹痛。
posted at 19:44:33
父が診療内科に連れて行こうとすると、四男が見当たらない。私も探していたら工場の上から四男が落ちてきた。運良く途中のタイヤがクッションになり、脊髄には損傷はなく、腰の骨を骨折していた。 父が酔った勢いで母に「出ていけ」と言ったら本当に出ていった頃の話で、私の家も瓦解するのかと心配だった。母が戻って来て、それ以降は四男も仕事に一生懸命になった。
posted at 19:04:17
長年、サービス業で働いていたがコロナ禍で休業や時短で安定しないため工場で働いています。二児のお父さんで40代。あの時期は麻疹にでもかかっていたのだろう。
posted at 18:49:41
私が高校生で四男が中学生になり、私が自室から廊下に出たら、逆方向のトイレから超サイヤ人になった四男が歩いてきて、私「このような子だったかな」大人しい子だった気がする。 父に「金色はさすがにダメでしょ?」 父「わかった」バリカンで丸刈りにされる四男。丸刈りもどうかな?黒色に染め直すとか。
posted at 18:39:38
私が中学生になってからは、四男は全く宿題をしなくなり毎日居残りさせられ、心配をした父が「みんなが帰るのに辛くないのか?」と尋ねると、四男「16時まで待てば先生が帰らせてくれる」。父「発想が違う」と悩んでました。
posted at 18:14:55
5年生になり、四男がランドセルを背負って、といいますか、ランドセルが歩いているみたいでした。 四男はその頃は食べ物の好き嫌いがあり小柄でしたから。
posted at 18:10:53
幼稚園にはプールの設備がなく、小学校にプールを借りに来ていた。何故か?水着でなく、新品のショーツ。何度か体育の時間に一緒になりました。 幼稚園児らが来た!初々しいな!
posted at 18:08:12
「キックベースボール」というバットの代わりに自分の足で蹴って、塁に走るゲームが流行っていて、私図書委員でしたから1週間に一度は「借」「返却」の印鑑を押し、返却の本がたまってきたら番号順に並べるというもの。 「みんなキックベースボールしているのだろうな。いいな」でした。
posted at 18:01:42
「ビックリマン」の前身「マジャリンコ」でレアなシールを持っていると聞いたから見せていただきました。「本当にこのシールは当たるんだ」と私。 小学生のおこづかいなんて、300円の模型を買えば来週まで我慢です。週刊少年漫画が170円、マジャリンコが1つ30円。どちらを選ぶかを考えていました。
posted at 17:51:07
体を悪くした営業の人の妹の誕生日パーティーに呼んでくれて、「竹」組に変わった人と。二人してプレゼントを片手にお呼ばれしました。鶏卵の方も実家はされているようで、パーティー後に、その方の母親から新鮮な卵をもらいました。調理法も教えてくださって。 営業マンとして現れた時は「偶然はあるのだ」と感じました。
posted at 17:43:25
1年から3年生まで同じクラスで仲が良かった2人が「竹」、「梅」とバラバラになった。「梅」に変わった人がある日スズキの営業マンとして現れたときは驚かさました。 結婚されてお子さんが産まれた途端、病気に見舞われ、母「痩せ細って、これからという時に」。 クローン病が再燃し、入院している時に聞かされた。
posted at 16:04:25
「松竹梅」でクラス分けされていて、私父と同じ六年間「松」組。5年生の時は全敗したのに、6年生の時は2連勝で担任の先生「大喜び」。勝者は他校とサッカーの試合があり、負けてしまった。
posted at 15:58:58
小学校の上級生だった頃の担任をしてくれた先生が「バッテリーがあがったみたいで困ってます」と修理依頼があったと聞いた。覚えててくれたんだと嬉しかった。最後の年の遠足前に担任の先生の母が他界してしまい、遠足の予定を変更し、葬儀に参列しようというものになった。喪主の挨拶時に先生泣いていた。もともと優しい先生だった。
posted at 15:53:01
ダイハツだったらしいのが私が物心がついた時には、スズキに変わっていた。「ワゴンR」を初見した時は「また変わった車」が大ヒットするから世の中不思議だ。
posted at 15:45:59
浴室での怪我や事故は意外に多い。手すりを設置したりして対策しないと、いつまでも若くはいられない。
posted at 15:41:16
昔みたいに足腰の自由とか、安全性を考えてリフォームした。それで引退した。 アルバイトをしながら、少ない年金で細々と生活している。 仕事関係の財産は兄に譲歩した。
posted at 15:32:46
父は自分の書く文字が嫌いで、通信教育のペン字で文字を修正してた時期もあった。 かなり上手い文字を書けるようになり、「効果があるのだ」と私は感心しました。
posted at 15:28:34
島に向かうフェーリの波で父の釣り船のエンジンが落ちたこともあり、私「どのようにして帰ってきたの?」。父が「他の釣り船の人にお願いして、ロープで引っ張ってもらった」。次の釣り船はもっとパワーやサイズのあるものに変わった。経年劣化や釣りに興味を失ったのか?処分したそうだ。
posted at 15:24:52
田舎だから主婦にも買い物に自動車が必要なところ。父が見据えた軽自動車で正解だったみたいだ。 買い物に大きな車は必要がないもの。電車も頻繁に走っていない。
posted at 15:17:52
いくら軍手やオイルを洗い流す手洗い石鹸を使っても、完全には落ちないので「仕事をしている人の手だ」と父の手を眺めていた。
posted at 15:13:57
本家を継いだ弟が求心力が乏しいのか。父の姉たちも孫が出来忙しいのか。新年会も本家に行かなくなった。姉たちに「父が本家を継げば良かったんだ」と責められたらしく、飲酒で嫌な思い出を一瞬忘れたいのだと思う。
posted at 15:05:23
その前に、父は三男のお墓を立派なものにした。
posted at 15:00:46
整備するためのリフトやコンプレッサーとか、特殊な工具は値がはるから、徐々に移住スペースを変化させていった。浴室に行くのに靴を履き替えて行かないといけなかったし、2階にキッチンがあったのを1階に作り直し、兄の受験に備えた部屋も増築していった。 まだ完成していない戸建ての縁に座りピースしている写真の父は嬉しそうだった。
posted at 14:59:26
兄が産まれ、母と父の母が仲が拗れだし、父は「離婚をすれば産まれた子が可哀想だ」と本家を弟に任せ、自分は分家を選んだ。何もないところからスタートだと聞いていたから、四肢が伸ばせて、雨や露をしのげる場所を確保してくれただけでもありがたいと感じてる。
posted at 14:52:25
もし?自分が三男と事故に会う前に助けられたら、根づいてしまいます。父、母、私の三人の共有する口惜しさ。
posted at 14:43:18
兄の長男が卵アレルギーと診断され、ショックだった。他界した三男によく似ていたから抱っこや散歩に行っていたもの。近くのケーキ屋さんの甘い香りに反応して、指をさし「ウッウッ(入ろう)」と入ったものの、卵を使うし、店員さんも「甥っ子ちゃんが食べられるようなものはないね。ごめんなさい」。 兄の長男の誕生日には一切卵を使わないデコレーションケーキを作ってくれて、母がさらに切り分け前に指で鷲掴みして食べていた。よほど食べたかったんだな。つなぎとして卵をつかっても発疹が出ていたが、成長したら完治したようだ。
posted at 14:39:46
兄の長男が赤ちゃん帰りを起こし、本当の赤ちゃんもいる。義姉も「あの当時はノイローゼになるかと思った(笑)」。一人暮らしを始めてから実家に行くこともなかったら、行く度に成長ぶりに驚かされた。母から数年前に兄の子供たちの写真を見せてもらいましたが、誰が誰なのかわからないくらい。
posted at 14:25:06
兄の長男が産まれた翌年に手術をした気がします。その前に四男が家庭を持ち。羨ましいとは感じたけど、クローン病では・・・。 その年に兄の次男が産まれて、集合住宅では手狭すぎるから家業を継ぎ、昔私たちが生活した場所に引っ越した。その前に次男がいつまでも実家暮らしではいけないと感じて一人暮らしを始めました。
posted at 14:21:01
父から「弟が産まれる」と聞いていたから、母が退院してからベビーベッドを見ると「同じ顔の赤ちゃんが二人いる」と驚かされた。三男は腸捻転の手術をしたためか四男より細く、入院生活が長かったため肌の色が白かった。
posted at 13:16:58
父から電話があり、父の弟が母や父や三男を迎えに行った。帰宅した母は号泣しながら三男を抱き抱え、隣に険しい表情の父。 0歳で手術に耐えたのに、この結末は酷くないだろうか。あまりにも薄幸すぎて、みな泣き崩れていた。
posted at 12:06:03
父が先に駆けつけてくれて、救急車を呼び、三男、父母も飛び乗って救急車は走りさった。 父の母が来てくれて、私や兄や弟の夕飯を作ってくれたが、嫌な予感がして、味はしなかった。希望をもとうと考え直したが、父の姉や旦那、父の弟、母の母や父が続々集まり、誰もテレビを見たり会話をせず、重い空気だけが流れていた。
posted at 11:55:40
快気祝い、一歳の二人の誕生日を迎えた数ヶ月後に事故で他界してしまった。あまりにも接する時間が短った。浴室を開くと三男が水面と並行に浮かんでいるから、ただ事ではないのは子供心に感じ、三男を抱き上げて脱衣場に、四男を抱き上げ、脱衣場に、五歳の私に蘇生術など出来るはずもなく、ただ両親を叫んで呼んだ。
posted at 11:50:00
赤ちゃんの腸捻転は珍しい例で、三男が腸捻転になり、開腹手術が必要になったと知ったのはずいぶん後の事。 「ベビーベッドに弟たちがいない。母もいない」。父が兄と私と自分の夕飯を作ってくれて、父が運転をする車で暗闇の山道を走り、覚えているのはガラス越しに見た三男が何事も無かったかのように眠っている姿。
posted at 11:42:33
30代で小さいながら幸せな家庭を築きたいという願望が強かったから、「クローン病」と宣告された時には諦めないといけないかも、眼の前が真っ暗になりました。縁が薄いし、それ以降10年間は毎年入院と退院を繰り返し。女性の場合は理解して頂けるそうだが、男性は諦めた方もいると本に書かれていました。
posted at 05:43:11