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僕の人生を変えたミステリ。(鮎川哲也「薔薇荘殺人事件」と相沢沙呼『invert 城塚翡翠倒叙集』)

以上で事件の真相を把握するに足るデータはすべて出尽しました。
作者はつぎの設問に対する読者の回答をおきかせ頂きたいのです。
玉江を殺した犯人は?
知井を殺した犯人は?

鮎川哲也「薔薇荘殺人事件」P293より(『五つの時計 短編傑作選1』収録)

・薔薇荘への招待


上に引用したのは、最近読んだ鮎川哲也の短編「薔薇荘殺人事件」の一節である。いわゆる「読者への挑戦状」にあたる部分だ。

「読者への挑戦状」とは、物語途中で作者から読者へと突き付けられる「手がかりはすべて出揃った。さて、犯人は誰でしょう?」というメッセージのことである。

本格ミステリはそもそも「作者と読者との知的遊戯ゲーム」ともいわれており、その意味で「読者への挑戦状」は本格ミステリの一丁目一番地ともいえる。真剣勝負。あるいは花形、といいかえてもいい。

また、「読者への挑戦状」は通常、犯人当てフーダニットの形式をとることが多い。先に引用した「薔薇荘殺人事件」もその例に漏れない。

私もミステリ読みの端くれとして、「読者への挑戦状」が登場するとやはり心踊るものがある。有栖川有栖『双頭の悪魔』で作中で3度も、「読者への挑戦状」が登場したときは大変ときめいた(余談ながら、本作は僕のミステリオールタイム・ベストの一角を占める大切な作品だ)。

しかしながら、その挑戦状にきちんと向き合ってきたか――本気で解こうとしたかといわれれば、否といわざるをえない。「あいつが怪しいかもな」となんとなくあたりをつけるだけで、とくに読み返すことなく解決編を読んできた。

いいわけをさせてもらうならば、それほどクライマックス(「読者への挑戦状」はすべての手がかりが出揃った最終盤に挿入されることが多い)に差し掛かったミステリには、先へ先へとページをめくらせる魔力がある。

ありていにいってしまえば、
先が気になりすぎて推理とかしてる場合じゃない」である。

そういうわけで、僕はこれまで不真面目なミステリ読者であった。しかしながら、ミステリフリークのなかには案外僕と同じように「読者への挑戦状」にまともに”挑戦”したことがない人も、多いのではないだろうか。

この認識は書き手サイドもある程度は共有しているらしい。2012年、明治大学在学中に鮎川哲也賞を獲得しデビューした青崎有吾は、受賞作『体育館の殺人』のなかで、「読者への挑戦」を挿入しつつ、こんなことを語っている。

現代において、推理小説の途中に「読者への挑戦」が挟まっていたところで、実際にその挑戦を受け問題編を読み返して犯人やトリックを当てようとする奇特な読者などもはやどこにもいるはずがなく、したがってそんなものを挟むのは紙の無駄であり時間の浪費であり愚の骨頂である、というのが作者の個人的な考えであったが、ひょっとすると世の中には我々の想像をはるかに超えるような圧倒的物好きもしくは暇人がいるやもしれず、また、この知的で紳士的な素晴らしい発明をないがしろにするというのも実に無粋な愚行であると思うので、伝統にのっとりここに「読者への挑戦」を挟むこととする。

青崎有吾「幕間──読者への挑戦」(『体育館の殺人』Kindle版位置No.3299より)

この諧謔とも皮肉とも諦念ともつかぬ宣言こそ、「読者への挑戦状」の現在地を正確に語っているといっていい。やはり、いまどき大真面目に挑戦を受けて立つ読者は、そう多くはなさそうだ。

しかし、僕は「薔薇荘殺人」に挑戦した。

結果は惨敗であった。
事件を解決する最重要手がかりである「登場人物のある性質」の存在は見破ったものの、鮎川哲也が決して長くはない短編内に仕込んだ複数の誤誘導ミスディレクションに、まあ見事に引っかかり見当外れの犯人を指弾していた。

しかし、少なくとも、本気で解こうとはした。ゆえに、幾度も幾度も短編を読み返し、ノートに登場人物リストを作成し、あれこれと情報を書き込むこともした。それでもわからないのが悔しくて2、3日考える時間をとったりもした。

結果は残念でこそあった。しかしながら、そうやって頭をうんうん悩ませる時間は決して無駄ではなかったといいたい。

全力でテキストと向き合ったがおかげで、解決編を読んだときの快感は倍増し、
ミステリ作家とはここまで考え抜いて文章を紡ぐのか」とその執念に震えもした。

そして思った。
なるほど、「読者への挑戦状」とは「体験型読書」であるのだなと。

ではなぜ、曲がりなりにもミステリを10年以上読んできた僕が、いまさらそんな気まぐれを起こしたのか。それには1冊のミステリ小説が密接に深く関わっている。
というか完全にその1冊を読んだおかげである。

いわば、「人生を変えたミステリ」。

紹介しよう。
僕に「推理することの楽しさ」を教えてくれた先生――

相沢沙呼『invert 城塚翡翠倒叙集』である。

・人生を変えたミステリ

『invert』は『medium 霊媒探偵城塚翡翠』に連なる「霊媒探偵城塚翡翠」シリーズの第2作である。

第1作は「霊の姿を見ることができる探偵」が登場する長編作品であり、昨今の本格ミステリシーンの流行トレンドでもある「特殊設定」を扱った作品である。

ミステリに明るくない方のために補足しておくと、「特殊設定ミステリ」とは、超常的な現象や存在(魔法や霊など)を”前提”とした上で、ロジカルな推理のおもしろさを追求した作品群のことを指す。

わかりやすい例として、映画化もされた今村昌弘『屍人荘の殺人』や、「Anotherなら死んでた」というネットミームを生み出した綾辻行人『Another』などを思い浮かべてもらえると、なんとなくイメージがつかめるだろうか。どちらも超傑作なので、未読のかたはぜひ手にとってもらいたい。

『medium』に話を戻すと、本作はそんないま流行りの「特殊設定ミステリ」への批評的なアプローチ――わかりやすくいえば、アンチテーゼを含んだ作品といえる。

これ以上の前情報は新たな読者の興趣を削ぐので詳述は控えるが、『medium』は間違いなく、2020年を代表するミステリといえるだろう。私も特殊設定好きとして発売当時に読んで、大いに驚かされた。大好きなミステリのひとつだ。

そしてその続編である『invert』はタイトルにもあるように倒叙形式――すなわち、「犯人視点」を採用した作品である。ミステリに明るくない人も、「刑事コロンボ」や「古畑任三郎」シリーズを想像してもらえばわかりやすいだろう。

さて、そんな『invert』は、犯人の完璧な殺人計画が名探偵によっていかに突き崩されるか――そこに焦点を当てた倒叙ミステリとしても白眉ではある。しかし本テキストのテーマとして、「読者への挑戦状」のオルタナティブに”挑戦”した作品として評価したいと考えている。

そもそも倒叙形式で「読者への挑戦状」を挿入すること自体がめずらしい。くりかえすように、犯人当てフーダニットに挿入されることがほとんどだ。

これは、「より論理ロジックに集中できるように」という、著者である相沢沙呼の狙いゆえだとは思うのだが、このあたりは本人のツイッターの言葉を借りよう。

本テキストのテーマにとって大変重要な証言なので、少々長くなるが引用する。

相沢のツイートを踏まえて、『invert』内の「読者への挑戦状」を見てみよう。これと先ほどの鮎川哲也の挑戦状を比べれば、相沢が問題の提示にいかに注意を配ったかがよくわかるだろう。

なお、本作は連作短編集なので、各事件の解決編直前に挑戦状が挿入されている。

「さて、紳士淑女の皆さま、お待たせしました。ここからは解決編です。すべての手がかりは提示されました」
(中略)
「犯人は自明。ただし、私はこう問いかけましょう。はたして、あなたは探偵の推理を推理することができますか?」
 翡翠はリビングを緩やかに歩きながら、高々と宣言した。
「要点は二つ。勘のいい皆さんはもうおわかりですね? 狛木繁人はどのようにアリバイを確保したのか。そして、デスクのCが示す物証とはなんなのか――?」
 翡翠は、花が咲くような仕草と共に、指先を開き、いたずらげに微笑む。
「ヒントは、プログラムは思ったとおりには動かず、書いたとおりにしか動かない。城塚翡翠でした――」

※太字は書籍では傍点。
相沢沙呼「雲上の晴れ間」P97より(『invert 城塚翡翠倒叙集』収録)

まず、「読者への挑戦状」が物語中に吸収されていることに気がつく。これは相沢自身が前掲のツイートで「物語の流れを崩すことなく挿入する仕掛け」と語っていた部分である。

なお、通常の「読者への挑戦状」では、いちど物語の流れをストップして、作者視点から読者へメッセージが語られることがほとんどだ(鮎川哲也の挑戦状はその典型)。

しかしそれ以上に、この挑戦状がワトソン役の助手・千和崎真に向けられた言葉であることに注目したい。つまり、真に語りかけることにより、擬似的かつ実質的に、読み手に「読者への挑戦状」を仕掛けているといえそうだ。

そしてこのパートは、3つの中編のなかで解決編のまえに欠かさず挿入される。いいかえれば、まいどまいど、翡翠は真(=読者)に「自分の頭で推理すること」を求めている。

そして、翡翠(=相沢)は真(=読者)にわざわざご丁寧にヒントも出している。このあたりが先のツイートで作者が語った「直前にわかりやすいヒントを出したり」、「考えるべき問題を複数に分けたり」といった言葉の意味である。

問題の難易度」を意図的に落としているとでもいおうか。
もっといえば、「何が問題で何を考えればいいのか」と読者にガイドを与えている。補助線を引いているといってもいい。

なぜそこまでするのか。簡単である。

推理に挑戦してほしいのだ。

それが相沢の意図であり、少々ウェットに表現してみるならば、「願い」でもある。

その願いは、たしかに、僕に届いた。
だから、受けて立ってみることにした。
いままで10年以上も無視してきた「挑戦状」に人生で、はじめて。

冒頭からページをめくり直し、怪しいところに線を引き、不自然に詳細に書かれた描写に着目し、なんとかかんとか自分の推理をこしらえた。

そして、解けた――。

もちろん完答できたわけではない。テストでいえば、せいぜいが部分点だ。大問のなかの「問1」は解けるようにしておいて、問2以降に難易度があがるみたいなものだろう。

しかし、たしかに「自分の頭で考えた」手応えはあった。
そしてそれが、めちゃくちゃ楽しかった。ほんとうに。

そしてそのあとに解決編を読むと、
「自分がどこまでわかっていて、どこで道を間違えたのか」が大変よくわかって、悔しさもひとしおであった。
そしてその時間は大変贅沢で楽しいひとときだった。

逆に、いままでどうして「読者への挑戦状」をスルーしつづけてきたのかと、自らの愚かさを呪ったりもした。

すみませんでした、『双頭の悪魔』、『禁じられたジュリエット』(古野まほろ)、『オランダ靴の秘密』(エラリー・クイーン)ほか、無数の傑作たち。

いちどスルーした犯人当ては、もう二度と取り戻すことができない
それが、「体験型読書」の欠点でもある。

というわけで。

自分の本の読み方を決定的に変化させた作品――。
これだけで僕にとって、『invert 城塚翡翠倒叙集』は大傑作ミステリに違いない。

しかし。

相沢沙呼が真に恐ろしいのは、いままで述べてきたような「読者への挑戦状」もまた、物語中に仕込まれた強烈な誤誘導ミスディレクションに利用している点である。

どういうことか。
このあたりネタバレにギリギリに抵触しないように書くが、仕掛けをまったく知りたくない方はご注意願いたい。

…………よろしいか?

「読者への挑戦状」こそがミスディレクションであること。すなわち。

執拗に「読者への挑戦状」を仕掛け、なおかつ、「解ける内容」にしたこと――それが、ラストの中編「信用ならない目撃者」でのある大仕掛けの威力を限界ギリギリまで高めている。

いいかえれば、
まじめに「挑戦状」に取り組んだ読者であればあるほど、本作最大のトリックに引っかかりやすいようになっている。

なんて性格がわるいんだ、ミステリ作家という生き物は。
最高か。

さらにさらに、「読者への挑戦状」はそういった読者へのメタ的な仕掛けの効果のみを狙ったものではない。
すなわち、翡翠が真に執拗に「挑戦」したこと自体が、実は前述の大仕掛けに密接に関わってくる。

そのとき読者は気づくだろう。
本作が真にとって、かなりひねくれた形の成長小説ビルドゥングスロマンであることに――。

・祈りよ、届け。

『invert 城塚翡翠倒叙集』の最終話、相沢沙呼は霊媒探偵・城塚翡翠にこんな言葉を語らせている。

推理小説においても、読者にとって論理は蔑ろにされるもののような気がします。たいていの人たちは、ぼんやりと犯人がわかればいいと思っているんです。(中略)誰もが納得できる論理なんてまるきり無視です」

「推理小説は、推理を楽しむよりも、驚くことが目的となって読まれているんじゃないんでしょうか。意外な犯人に意外な結末。推理小説といいながら、驚きの犯人や意外な結末さえ示せれば、探偵の論理なんてどうでもいいのです

「ミステリとは、すなわち謎、そして推理小説とは、つまり推理をする小説……。だというのに、普通の人たちが求めているのは、びっくり小説、驚き小説、予測不可能小説なんですよ

相沢沙呼「信用ならない目撃者」P296~297より(『invert 城塚翡翠倒叙集』収録)

推理小説マニアでもある翡翠に読者批判ともとれる言葉を語らせつつ、最終的に演説は、
「人間というのは基本的に頭を使いたくない生き物です。わかりやすさだけを求めるのが賢い生き方なのだと学んでしまう。誰もそんなもの(=論理ロジック)を必要としていない」と少々悲観的な結論へと着地する。

しかし、翡翠はその直後に真にこうも語る。
せめて真ちゃんだけは、考えることを放棄しないでいてもらいたいものです」と。

このメッセージは真を通して、いままさに『invert』を手にしている読者に向けられたメッセージと見ていいだろう。

あるいはそれは――。

ミステリを愛したひとりの作家の、痛切な「祈り」なのかもしれない。

祈りは届いた。
少なくとも僕には。

『invert』。
大傑作だと思います。

(終わり)


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