法華未分を法体とするのは、天台、日蓮宗(日輝以前の教学。室町時代の日朝上人も未分)天台宗が法体を法華未分とするのは、島地大等氏の天台教学史に元三大師が著した書を考察して述べている。
対して日蓮教学のうち種脱論を宗学の基本に置いている興門派と八品派は衆生の機根により2種類あるとしている。西山本門寺を経て中山法華経寺にも伝承されたと伝えられている。
日向記を読むと明らかに種脱論は宗祖の基本に思われる。実際、種脱論が無ければあれ程艱難辛苦をしてまで布教する意味が無いように思うんだが。・・・・
小生は2種類あると確信している。宗祖が「余経も法華経も詮無し。南無妙法蓮華経なるべし」と御妙判にも記載されている。顕説法華こそ末法の機根無き衆生の受持すべき法華と極論している。しからば顕説法華とは何か?が問題になるように考えられるんだが?ここからは小生の考えなんで「そんなもんか」くらいで留めて欲しい。小生は「因果倶時」を指している法華経こそ下種の法体だと考えている。因果倶時を表明しており凡夫の我々が無二の法身と知覚する法門が顕説法華。いきなり、他の順序を踏まずに直達正観するのが特色。即身成仏するのが法華経の特徴とするなら、凡夫が冥益に置いて成仏するためには「因果倶時、不思議の一法」の文句こそ、これの表示と考えるんだな。いや、これは法華全体に当てはまるか?失礼した。それでは日蓮義に置いてどれが不思議の一法かと言うと、ご本尊に集約されていると考えている。お題目よりも、ご本尊にその功徳の全てが包含されている。(本尊のお題目でないと駄目なんだな。ここは意味深いよ。あるいは、理屈を理解してのお題目。しかしこれでは天台大師が毎日唱えた理観のお題目、行法になるが。・・)故に日蓮義に置いて、ご本尊の無理解は全ての日蓮義を否定するものである。一方、延命十句観音経はお経全体にこれらが盛り込まれており、理観に近くなるがこのお経の功徳は莫大なのである。
09/04/11 18:42






