【PR】ドコモのサブスク【GOLF me!】初月無料
goo blog サービス終了のお知らせ 

日蓮とキリスト

日蓮とキリストはよく似ていると思います。日蓮は時の日本仏教界の矛盾を暴露し、自分の信じる新しい仏教?教義を説きました。
対して、イエス・キリストも当時のユダヤ教の指導者を批判し、自分の教えを説きました。
日蓮の教義は今日、内村鑑三が指摘するようにその大半が説得力を失っています。しかし、死を賭して諫言する行動力には目を見張るものがあります。その教義の中で注目すべきは日蓮独自の戒壇論です。戒壇と云うのはご承知の通り僧侶が得度する上で要になる部分です。
伝統的には円頓戒がその教義の中心でした。然るにそれを飛び越えて中心になる本尊と戒壇を作り出しました。
日蓮各派はその宗学も異なっているのですが、三大秘法の戒壇だけは各派一同許容し統一されています。仏教は師資相承が建前ですが、日蓮は自身の教義は本師釈迦牟尼仏から霊山で相承したと弟子たちに主張します。


イエス・キリストもモーゼの生まれる前から私は居たと言い、神の如き権威で人に自説を説きます。また、自分は神の右に座すもの、ユダヤの救い主であると言います。当時のパリサイ派の指導者は汚れを嫌い、病んだ人などに見向きもしませんでしたが、イエスは数々の奇跡によってその人たちを癒していきます。イエスも周りには取税人、病人、売春婦を含めた底辺に置かれた人が沢山いました。ユダヤ教の指導者からその点を揶揄されると、健康な人に医者はいらない。病んでいる人にこそ必要だと言い返します。ユダヤ教の改革者でもありましたが、教義内容が当時のユダヤ教の教えから外れていたため、ラビたちの讒言により処刑されました。
今日の信者数を比べると比較にもならない両者ですが、民衆に一番大切なものを広めようとした志は一緒だと思います。
権威を諸ともせず、命を投げ出す姿に人は感動を覚えます。


日蓮の戒壇論は大乗仏教の究極です。僧侶だけに留まらず、一般民衆も日蓮の戒壇論を信じれば仏種を得ると説きます。色々と批判はありますが、私は信じています。何故なら日蓮の戒壇論で核心部分での間違いを私自身見出すことが出来ないからです。
この広告を非表示にする


サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了しました。

最近の「日蓮・富士門流」カテゴリー

バックナンバー