第三点については会社から退職を余儀なくされたり、一方的に取引契約を破棄されたりで江崎グリコを恨んでいる人たちが想像以上に多かったことが記されている。合併をめぐる騒動に限らず無借金経営の優良企業にどうしてこんなにトラブルが多いのかと訝る捜査員もいるほどだった。外部の人間を雇って強引な労務管理をおこなって組合運動を潰したり、一方的な理由で取引先や下請け業者との契約を破棄したりといったことが日常茶飯におこなわれていた。戦前に3年後に正社員にすることを約束してもらって働き始めたのにその約束が履行されなかったなど、創業者の時代からトラブルが多かった。江崎利一氏が設立した「グリコ青年学校」の卒業生の会である「青雲会」で挨拶をする利一氏を公然と非難する人もあったそうだ。
江崎勝久社長が水防倉庫に監禁されたときに着せられた黒いオーバーコートが戦前から戦時中にかけて「グリコ青年学校」で支給されたコートである可能性が捜査中に高くなった。これも「かいじん21面相」はグリコ関係者であり会社の草創期を知っている人物なのではという推測が出る要因となった。
江崎家に菩提寺である和歌山県の高野山に江崎グリコ株式会社墓所があり、犯人がここを訪れた可能性があると見て寺の過去帳を捜査員が調査したこと、1977年(昭和52年)4月に東京駅八重洲地下街で青酸入りのチョコレートが見つかった事件、1978年(昭和53年)にグリコの常務宅に届いた脅迫テープ(捜査本部は送った犯人を「かいじん21面相」と同一人物と断定している)についての記述が続いている。常務宅に送られた脅迫テープは「五十三年テープ」と称されており、社長の誘拐、会社への放火、青酸混入菓子のばらまきなど、1984年(昭和59年)の事件を先取りする内容になっていた。高野山で過激派の計画を聞いたということが吹き込まれていたことが寺にまで捜査が及ぶ要因になった。
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2017-01-26
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