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笑いの麻薬「うじとうえだ」について語る

「うじとうえだ」の魅力を語り尽くす

──偏屈と冷静が織りなす、泥酔バディ旅の愉悦──

すべては“偏食と不満”から始まった

「うじとうえだ」と聞いて、すぐにピンとくる人は、もしかしたら少数派かもしれない。だが、一度でも彼らの旅に同行(視聴)してしまえば、もう後戻りはできない。偏屈で愚痴っぽくて、すぐに不機嫌になる氏原さんと、それを淡々と受け止めつつ、時には煽り、時には本気で心配する放送作家・上田さんのコンビが繰り広げる旅は、今のバラエティ界隈にありそうでない「余白」と「間」を大事にした、独特の面白さが詰まっている。

始まりはTikTokから人気に火がついたブチギレ氏原。彼の動画ではブチギレながらも、どこか憎めない姿がウケた。その“怒れる男”が一転、旅に出る。しかも、彼が旅に出るというだけで事件なのだ。偏食である。人混みが嫌い。虫も嫌い。酒は好きだが、酔うと面倒くさい。そんな氏原さんを旅に連れ出す勇気と編集力を持ったのが、相棒・上田さんだった。

上田さんはテレビの放送作家。理詰めで企画を練り、構成を立てる力に長けている。にもかかわらず、企画内容は毎回カオス。「飲んだ距離だけ進む泥酔ドライブ」「都市伝説が大嫌いな男を福岡の怪スポットに引きずり回す」「偏食の男を韓国屋台に放り込む」……すべて、番組ではなく人生に悪影響が出かねないような、ギリギリのラインを攻めてくる。

しかし、その“ズレ”がいい。というより、「ズレを笑う」ではなく、「ズレたままでも一緒にいられる空気感」こそが、このチャンネル最大の魅力なのだ。


笑いの正体──“喧嘩”が生むドラマ

彼らの旅は常に小競り合いとともにある。氏原さんが文句を言う。「なんで俺がこんなもん食わなあかんねん」「くっせぇな、魚!」「もう帰りたいわ」。そのすべてが、本当に嫌がっているように見えるからこそ、笑えてしまう。だが不思議なことに、見ているうちに次第にその“愚痴”が“感情”として視聴者の中に染み込んでいく。

一方の上田さんは基本的に温厚で、論理的。しかしその裏には、視聴者が望む“いじり”と“追い込み”のバランス感覚が光っている。「もう帰る?」「でもこれもロケやで」と優しくも追い詰める言葉が、氏原さんを絶妙に煽る。この丁々発止のやり取りがまさに“喧嘩芸”であり、もはや演技とも素ともつかない空気感に中毒者が続出する理由でもある。

「ガチで不機嫌になってるやん」
「それでも旅は続けるんや」
「しかも編集が無駄にエモい」

こうした矛盾とズレの連鎖が、ただの旅動画とは一線を画している。


編集の魔法──カットのリズムで笑わせる

見逃せないのは、編集の巧みさだ。テンポの取り方、間の活かし方、ノイローゼになるBGM、時には不自然な静止画で抜け感を演出する――まさに“バラエティの呼吸”がここにある。

例を挙げれば、泥酔ドライブ旅での「テロップ」「車内での虚無感を強調する固定カメラ」「ノイローゼになるBGM」など、一見くだらないのに、完成度がやたら高い。しかも、そのすべてが「氏原さんの情緒」にリンクしてくるのがすごい。

特に、視聴者もツッコみたくなる瞬間すらある、その“瞬間に挟まるツッコミ”が、むしろ視聴者の没入感を高める。

編集とツッコミで笑わせる。これが上田さんの真骨頂だ。


たかが旅、されど旅──“偏屈”が導く真実

彼らの旅先は、決して映える観光名所だけではない。むしろ、夜の商店街、鄙びた食堂、うっすら怖い……そうした“どこにでもあるが、誰も行かない”場所にこそ魅力がある。そこに偏屈な人間が行くことで、視点が変わる。

たとえば福岡の回では、「都市伝説嫌いの氏原さん」を無理やり怪談スポットへ連れて行き、最終的に「もう信じたくなるくらいしんどい」状況に追い込む流れが笑いとスリルの極み。なのに、終盤になると「これもこれで、楽しかったわ」とポロリと呟く氏原さんの一言が沁みる。

旅の本質とは、行きたくない場所に行くことかもしれない。自分を嫌がる環境に投げ込み、それでも笑って、酒を飲んで、また歩く。それを見守る相方がいる。

こんな旅が、誰かにとっての「生き方のヒント」になっているのかもしれない。


“おもろい”の向こう側へ──癒し、毒、そして真実

「うじとうえだ」は、ただの面白動画ではない。酒と旅と偏屈と編集、そして奇妙な人間関係が交差する“ヒューマンドラマ”である。喧嘩しながらも別れない。気まずくなっても翌日はまた出発する。その繰り返しが、どこか人間の本質を写している。

たかさきさんという“第三者”の加入や、韓国・台湾といった海外回でのカルチャーショックも加わると、彼らの旅はより多層的な意味を持ってくる。「異国で偏屈は通じるのか?」「日本人の内向きな嫌がり方は、世界でも通用するのか?」──そうした問いが、笑いの下に潜んでいる。

そして何より、視聴者はこう思うはずだ。

「ああ、自分も文句ばっかり言ってるけど、生きてるなぁ」
「嫌なことばっかりでも、誰かと一緒なら笑えるなぁ」
「偏屈でも、旅に出てええんやなぁ」


“笑い”と“情緒”の狭間で

「うじとうえだ」の旅は、きっとこれからも続くだろう。旅先で飲み、怒り、泣き、笑い、また飲む。偏屈であることを許容し合い、どこにもない「バディの形」を見せてくれる。

一見、不器用で、どうしようもなく“めんどくさい”ふたり。でも、だからこそ、私たちは彼らに癒される。

この世界には、うじとうえだのような旅がもっとあっていい。いや、むしろ、そういう旅こそが“リアル”なのかもしれない。

「うじとうえだ」の旅路に乾杯を

――偏屈と理性が出会うとき、人はなぜ笑うのか――

旅というのは、誰と行くかで、すべてが変わる。
どこへ行くかより、誰と一緒か。どんな絶景よりも、隣の人の機嫌ひとつが空気を変える。そういうことを、三十を過ぎてようやく知るようになった。

だから私は、「うじとうえだ」を観てしまう。というより、時々“帰る”ような気持ちで再生してしまうのだ。彼らの旅を観ていると、「誰かと行くことの面倒くささ」と「その面倒くささを笑いに変える尊さ」を思い出す。

氏原さんは偏屈だ。いや、偏屈というより“偏食で人間関係にちょっと敏感な人”なのだ。知らないものを食べたくない、見知らぬ地で油断したくない、なのになぜか旅をしている。誰よりも旅に向いてない人が旅に出る。すでにこの時点で、番組としては勝っている。

上田さんは放送作家。仕掛ける側の人間なのに、旅に同行してカメラを回し、氏原さんの愚痴を受け止める。淡々としていて、でもどこか楽しそうなのが不思議だ。時に煽り、時に心配し、時に沈黙する。彼の「引きの芸」こそが、このチャンネルの肝だと思う。

たとえば、韓国の屋台で、氏原さんが「なんやこの味は…」と顔をしかめる。けれど、その後、ひとくち、またひとくちと食べている。上田さんが言う。「嫌いな味ではないんですね?」
氏原さんが言う。「……悔しいけど、うまいな」
こんなシーンに、私はなんともいえない幸福を覚える。

ふたりは旅先でも、よく喧嘩をする。
いや、喧嘩というほどでもない。「言い合い」だ。
「なんで俺がこんなもん食わなあかんねん!」と氏原さんが怒鳴り、「だってそのために来たんでしょ」と上田さんが返す。
けれど、怒鳴りながらも席を立たないし、食べ終わったら、次の場所へちゃんと向かう。そんな姿が、妙に愛おしい。

私たちは、日々を“まあまあ”で乗り越えている。心の奥で小さな不満を抱えながら、誰かに本音をぶつけることもなく、そつなくやり過ごす。それは大人になるということだけれど、同時に「怒る」という感情をどこかに置き去りにしてきた気もする。

だからこそ、氏原さんが旅先で“本気で怒っている”のを見ると、ほっとするのだ。
怒ってもいいんだ、嫌がってもいいんだ、喧嘩しても、誰かと一緒にいられるんだ。
そんな当たり前を、彼らは笑いながら教えてくれる。

思えば、誰かと旅をすると、気づくことがある。
その人の好き嫌い、口癖、心配性なところ、子どもみたいなわがまま、気づかい、しぐさ。
そして、気づかされた自分の性格にも、少し驚く。

「うじとうえだ」の旅は、ただの珍道中ではない。自分の“器の小ささ”や“わがまま”を晒し合いながら、最後には「まあ、ええか」と笑って酒を飲む。そんな“人間の不完全さ”を肯定してくれるから、私はこの番組が好きなのだ。

泥酔旅も好きだ。
進むほどに酔い、酔うほどに進む。途中で文句が増え、道に迷い、ちょっとだけ感情的になり、でもなんとか宿にたどり着く。
人生みたいじゃないか、と思う。

彼らの旅には、映える景色も、高級グルメも、自己啓発的な“気づき”もない。
けれど、何度観ても「また会いたい」と思わせてくれる。
そんな旅番組が、他にあるだろうか?

氏原さんの「もう帰りたいわ」という一言すら、もはや番組の看板みたいになってきた。
上田さんの、控えめな“ツッコミ”も、ファンにとっては癒しである。

これは、旅をしない人のための旅番組かもしれない。
いや、旅をしたことがあるすべての人に、「こんな旅もあったなぁ」と思わせる、“記憶をほどく時間”かもしれない。

今日もまた、私はYouTubeを開いてしまう。
偏屈な男と、冷静な相棒が、酒と文句と笑いを積み込んで、どこかの街を歩いている。
彼らの旅は、私の旅でもあるのだ。

次はどこへ行くのだろう。
また懲りずに、笑いながら、怒りながら、歩いていくのだろう。
その旅路に、私はそっと、乾杯を送る。


笑いという名の合法ドラッグ ――「うじとうえだ」に酔う夜

夜中の2時半、ひとりきりの部屋で、私はまた再生ボタンを押してしまった。
酒も入ってへんのに、気分はすでにほろ酔い。画面の向こうには、案の定ぶつくさ言いながら何かを食ってる氏原さんと、それをまるでペットの世話でもするように見守る上田さんの姿。

「うじとうえだ」。
なんちゅうことないYouTubeチャンネル。旅して、食べて、文句言って、また飲む。それだけ。
でもな、それがたまらんのよ。
これを観てまう夜は、たいてい現実にちょっと疲れてるときや。気の利いた映画や、おしゃれなドラマなんて受けつけへん。そんな夜に、“ちょうどええ”のが、このふたりなんや。


笑いって、普通は“作る”もんやと思ってた。
芸人や作家が、緻密な台本と絶妙な間合いで生み出す、手練れの芸。
でもこのふたりの笑いは、ちゃうねん。
勝手にこぼれる。むしろ、こぼれ落ちる

韓国の市場で、謎の魚を焼いたやつを無理やり食わされる氏原さん。
顔をしかめて、「これ…無理やろ……なんの罰ゲームやねん……」とぼやく。
ところが、数分後には「……うまいな、これ」って言い出す。
その一連をカメラは引きでずっと撮ってる。
静かで、テンポも遅い。
でもな、気がついたら笑ってんねん。

これや。この“効き方”や。
即効性やない。じわじわ沁みてくるタイプ。
ちょうどええ温度の風呂に、肩までゆっくり浸かったときのあの感覚。
脳みそが「ふわぁ〜」ってなる。


で、やな。これがクセになる。

仕事終わりにちょっと観る。
「1本だけやで」と言い聞かせながら観る。
でも終わる頃には、「もう1本だけ、ほんまにこれで最後な」って再生ボタン。
結果、夜中の3時。「わかってんねん、でも止まらんねん」って呟く自分。
気づいたら、完全に“依存”してる。

笑いってほんま、脳に効くんやな。
これ、合法のドラッグやわ。
しかも常習性つき。副作用は「ちょっと飲みたくなる」と「氏原さんの声が脳内再生される」ぐらいやから、まあええやろ。


この笑いの効力の正体、何かって考えてみた。

たぶんそれは、“不完全な人間”を丸ごと見せてくれるからやと思う。

氏原さんは、はっきり言って旅向きちゃう。
文句言うし、偏食やし、知らん料理食べたらテンション下がるし、21時以降食事できへんし。
でも、その全部を晒してる。取り繕わへん。
そして上田さんは、それを笑って受け流す。ときに無視し、ときにツッコミ、でも絶対にキレへん。
あの“距離感”がええ。

人と人の間には、どうしても摩擦がある。
旅という非日常に放り込まれたら、なおさらや。
「うじとうえだ」は、そんな摩擦を“隠さへん”。
むしろ、晒す。
その代わり、笑いに変えてくれる。

だから私ら視聴者も、自分の“不完全さ”をちょっと許せるようになるんや。




“笑いの麻薬”って、誤解されたらアカンから言うとくけど、
それは“毒”やない。むしろ、“癒し”や。
日々、ちょっとずつ擦り減った心に、じわ〜っと沁みてくる、
静かな治療薬や。

おしゃれや気取った編集はいらん。
過剰な演出も、大仰な感動も、いらん。
ただ、ふたりが旅して、怒って、笑って、飲んで、また怒る。
それだけでええねん。


「うじとうえだ」は、笑いという名の処方箋。
効きすぎたらアカンけど、効かへんとやってられん夜もある。
今夜もまた、私は「1本だけやで」と言いながら、「うじとうえだ」の旅に酔うんやろな。
ほんで、寝る前にひと言だけ呟くんや。

「……あぁ、ほんまええもん見つけてもうたなぁ」って。

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