孟子を詠み解く8-2
◎離婁章句上 28章
9.民心掌握 - 仁政
暴君の桀・紂王が民心を失った結果が湯・武王の天下掌握に結び
ついた故事を紹介し、仁政の大切さを説いた孟子の言。
人民の信頼得ればこの天下手に入れること甚だ易し
その為には、
人民が欲するものをこれ集め嫌がることは行わぬこと
人民が不仁嫌って仁政に帰服するのは自然の理なり
虐政によって自分の民を湯・武王の下に追いやった桀・紂王は、
たとえれば魚を淵に追い込む獺や、雀を草むらに駆り立てる隼
のようなものであると孟子はたとえて、
いままさに、
仁好む君出なら諸侯らは民駆り立てる役目をなさん
そうなれば、
王となる意志がなくとも人々は放ってはおかずならざるを得ず
また孟子は、長患いで伏せっている時に、効能の高い希少な藻草
を急に求めても間に合うまいし、さりとて今すぐ手配せねば死ぬ
までに手に入らぬだろうという話をして、
今すぐに仁志さざれば王者などもってのほかで憂辱受けん
そして、
最後にはその身は死してまた国は滅びる破目に陥ることに
このことを詩経も詠っていて、
君臣のその振る舞いは悪しきこと共におぼれて死ぬ破目になる
10.自暴自棄
孟子が自暴自棄の人間を批判した言葉。
自らを暴う者と語り合うことは到底なしえざるもの
捨て鉢な生き方をする者たちと共に仕事はなしえざるもの
守るべき礼儀をそしり非難するこれを自ら暴うという
仁や義を守り得ざると放棄するこれを自ら棄てると称す
安住の家がそもそも仁であり人の正路がそもそも義なり
さりながら、
自暴自棄なる人間は安住の家をば棄てる情けなきこと
自暴自棄なる人間はこの正路棄て顧みぬ情けなきこと
11.人の道①
孟子は、人の道を行うことは容易なことだと説く。
人の道近きにあるも人々は遠きにありと探すは愚か
人として為すべき事は易きことそれを難しと思うは愚か
人の道を守ると云うことは、
各人が親を尊び年長の者を敬うそれだけで良し
このように孝悌の道尽くすなら天下自ずと治まることに
12.誠の道
孟子は、誠こそ天の道であり、万事の根本であり、誠を尽くす努力
こそ人の道だと説く。
臣として君の信任得られねば民を治めることは叶わず
信任をされるためには友人に信用されることが大切
信用をされるためには両親に孝養尽くすことが大切
孝養を尽くすためには両親に真心尽くすことが大切
真心を尽くすためには省みて誠育てることが大切
身に誠育てるために善悪を明らかにすることが大切
誠こそ本然の性そのもので万事の基本天の道なり
しこうして誠の道の実現に努力するのが人の道なり
至誠なる行為を為した人間に感動せざる者未だなし
誠なく嘘偽りで人間を感動させることは叶わず
13.文王の徳
天下の父とも称された伯夷と太公望が、その徳を慕って身を寄
せたほどの文王を、称えた孟子の言。
伯夷また太公望の二老人天下の父と仰がれしもの
文王は目上を敬し老人を大事にすると世に聞こえたり
二老人身を寄せ共に文王のブレーンとなって世を治めたり
このように天下の父が帰服せば子たる人民また帰服せん
諸侯らが文王習い政なさば七年にして天下治めん
14.悪業
孟子が、悪政の数々について語る。
まず、魯国の宰相となったにも拘わらず、悪政を改めさせるどころ
か増税などの悪業を行った弟子の冉求を、孔子が非難したという
故事を紹介して、
諫言も為さず悪政助長するかかる臣下を孔子は非難
すなわち、
仁為さぬ君主を諫めざる者は孔子に見捨てられる者なり
ましてや、
仁政を為さざる君に従って戦さするなど許されぬこと
このような不徳の臣のその罪は死刑にしても飽きたらぬもの
したがって戦さ上手な連中を極刑に処すこと妥当なり
最後に孟子は、同類の諸子百家を評して、戦を好む兵法家など
は極刑に、合従・連衡策を推し進める縦横家などは重刑に、富国
強兵主義の法家などは重刑に準ずる刑に処すべしと難ずる。
15.瞳は心の窓
人物のその善し悪しを見分けるに瞳に勝るものはこれなし
瞳には人の心の中の悪隠しおおせることは難し
すなわち、
心持ち正しくあればその瞳明るく澄んで美しきもの
心持ち正しくなくばその瞳暗く沈んで汚れたるもの
言を聴きまたその瞳見るならば心の中を隠すは難し
16.恭倹の人
礼儀正しく慎み深い人は真実の心を持つと孟子は説く。
常日頃恭者は人を侮らず倹者人より奪うことなし
恭倹にあらざる君は反感を恐れて上辺だけを繕う
このような外見だけの恭倹は真の恭にも倹にもあらず
恭倹は見せかけだけの言動で取り繕えるものにはあらず
17.権道と常道
斉の評論家淳于髠の問い掛けに対し、人を救う場合でも、時に
より常道と権道(臨機応変の処置)を使い分けるべしと孟子は説く。
男女間では、
品物の授受で手渡ししないのは交際の礼それが常道
しかし子供が溺れているような時には、
異性でも手をさしのべて救うのは臨機応変それが権道
虐政下で溺れるような苦しみに耐えている民を救うには、
あくまでも熟考の上常道の仁義の道を用いるが良し
権道の如き一時の判断で処置講じうるものにはあらず
18.親子の情①
公孫丑の問い掛けに対し、教育に情が絡むことの弊害について
語った孟子の弁。
昔から君子直接おのが子を教え導くこと無しという
そのわけは肉親の情絡むときうまく行かないこと多きため
すなわち、
親として正しい道理守るようきつく導くのが当たり前
おのが子が教えたとおり為さぬ時親は立腹叱るが普通
そうなると、
教育に怒りの情が伴うと効果半減良いことは無し
しかも親が教える事となす事が違ったりすると、
子は親を時に厳しく批判して親子の情を害なう事に
したがって、
親と子の間で善の教導を無理に進める事は誤り
それ故に古の人お互いにその子を代えて教えしという
無理矢理に善の教導行えば恩愛の情害なう事に
親と子の間の情が離反するほどの大なる不幸あるまじ
19.真の孝養
真の孝養のあり方について語った孟子の弁。
仕えるには色々の場合があるが、
その中で親に仕える事こそが尊重すべき最高のもの
守るにも色々の場合があるが、
おのが身を正しく守る事こそが尊重すべき最高のもの
身を正し不善を為さず親によく仕えた話よく聞きしもの
身を失し不善を為して親によく仕えた話未だに聞かず
仕え方にも色々あるが、
親によく仕える事がその中で仕える事の根本となる
守り方にも色々あるが、
身を正し守り続けるそのことが守る上での根本となる
ここで孟子は、親に酒食を供する場合を例に引いて、孝養の
つくし方の違いを紹介する。
すなわち、
①曾子(曾参)は、食べ残りがあった場合には必ずその使い道
を親に尋ね、また余りがあるかどうかと問われた時には必ず
あると答えて、親の思いを尊重したという。
②子の曾元は、食べ残りがあってもその使い道を親に尋ねず、
また余りがあるかと問われた時にはないが作ろうかと答えて、
親の思いなどに頓着しなかったという。
曾元のなせる行為は肉体を満足させるだけの孝養
曾参のなせる行為は心まで満足させる真の孝養
子が親に仕えるためのあり方は曾子の如き行為が可なり
20.大徳の人
孟子が、君主さえしっかりしておれば国は治まり、これを補佐する
ための大徳の人が重要であると説く。
すなわち、乱れた世だからと云って、
携わる人をむやみに批判することなど技葉末節のこと
政策をただわけもなく批判することなど技葉末節のこと
何よりも大切なのは大徳の人の存在それが根本
大徳の人が君主を補佐すれば君の心を正すは易し
君主さえ仁心もてば国中の民も仁心持たざるはなし
君主さえ義心をもてば国中の民また義心持たざるはなし
君主さえ正心もてば国中の民も正心持たざるはなし
それ故ひとたび、
大徳の人が君主を正すなら国は正しく治まることに
21.風評
孟子が、世間の評判は全く当てにならぬと説く。
この世には思いもよらぬ事柄で褒められることありがちなもの
反対に、
万全を期して立派なことしてもかえって非難受けることあり
22.軽口
孟子が、人の口の無責任さについて語る。
世の人の口の軽さは責任を感ぜぬが為情けなきこと
23.悪癖
孟子が、何かと口出しをする人について難じた言。
世の人の憂うべき性あれこれと好んで人の師となるにあり
すなわち、
それほどの知識ないのに口を出す世間の人の悪い癖なり
24.礼を失す
挨拶に来た門人楽正子に、礼を失すると叱ったという孟子の話。
楽正子は魯から斉に来て、宿を決めるのを先にして師えの挨拶
が遅れたのだが、
楽正子おのが用事を先にして師えの挨拶遅れしという
これを孟子が咎めて、
私事よりも師えの挨拶先にすること目上への礼儀なるべし
25.従者の役目
前文に続くが、従者としての役目も果たさず、ただ無為に付き従っ
てきた楽正子を戒めた孟子の話。
聖賢の道志す学人が無為に供する何たることか
貴人に、
随行し道説く時を持ちながら無為に過ごせし事恥じるべし
26.最大の親不行
孟子が、三つの親不孝のうち子孫を絶やすことが最大のもの
だと語った話。
三つの親不孝とは、
①親の意におもねって親を不義に陥らせること
②貧乏で親が年老いても仕官しないこと
②妻を娶らず子供もなく、祖先の祭りを絶やすこと
この中で最たるものは嫁取らず子孫を絶やし先祀断つこと
舜王が親に相談せずかってに堯王の二女を娶ったのは、
明らかに反対されて娶れずに子孫を絶やすこととなるため
それ故に後人は云う、
舜王の場合はまるで父親に相談したも同然のこと
27.孝悌の道
孟子は、音楽の神髄は孝悌二つの道を詠い奏でてその実行を
促す効能にあると説く。
まず、
仁の道その神髄は孝にあり親に仕えることぞ肝心
義の道のその神髄は悌にあり兄に従うことぞ肝心
智の本は仁義の道を把握してしばしもこれを離れざること
礼の本仁義の道を調節しこれをほどよく整えること
これをふまえて音楽は、
音楽のその神髄は孝悌の道を奏でて楽しむにあり
楽しめば孝悌の愛自ずから実行せんと鼓舞されるもの
一度でもかかる気持ちが生ずれば止めようとして止められぬもの
かくなればリズムに乗って手拍子や足拍子して踊り出すもの
このように楽しみながら行えば仁義の道も自然身に付く
28.舜帝の大孝
天子になったことよりも、頑迷固陋な父親によく仕え、満足させる
ことが出来たことを悦びとした舜王こそ、大孝の手本だと褒め称
えた孟子の言葉。
帝となり民服してもその地位に関心なきは舜の王のみ
それというのも、頑迷固陋な父親に疎んぜられた舜の思いは、
まず親に信用されぬ子であれば人たる資格なきが為なり
まず親に悦ばれざる子であれば人たる資格なきが為なり
そのうちに、
舜王はかかる気持ちでよく仕え為に頑固な父も満足
父でさえかく悦べば人民は皆感化され孝尽くしたり
これにより初めてかかる世の中の父子たる者の道定まれり
このように舜王為せし行為をば世を感化した大孝という
終わり
10/03/20 15:43
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