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高橋良輔氏×大河原邦男氏、「スコープドッグ モニュメント設置5周年記念トークショー」
「ボトムズ」が繋ぐ、クリエイター×ファン×地域
2025年9月30日 00:00
- 【スコープドッグ モニュメント設置5周年記念トークショー】
- 2025年9月28日開催
- 会場:いなぎペアパーク
- 入場無料
稲城観光協会は9月28日、東京都稲城市の「いなぎペアパーク」に設置されている「実物大スコープドッグモニュメント」の設置5周年イベントを開催した。
今から5年前の2018年3月15日、弊誌でもその模様をお届けした除幕式から5年。JR南武線稲城長沼駅前のランドマーク、そして「メカニカルシティ稲城」を象徴する存在としてここに立ち続けているスコープドッグのモニュメント。除幕式のときにゲストとしてトークを行った、「装甲騎兵ボトムズ」監督の高橋良輔氏とメカデザイナー大河原邦男氏が再びこの稲城の地に立ち、作品や互いの仕事、稲城への思いについて語った。
当日は早朝から多くの“最低野郎”(「装甲騎兵ボトムズ」ファン)達や地元民が会場に集結し、2人のトークに耳を傾けた。本稿ではその模様をレポートしよう。
「装甲騎兵ボトムズ」の主役メカが、ファンと地域をつなぐモニュメントに
イベントの冒頭では、稲城市観光協会会長の徳尾和彦氏、稲城市副市長の石田光広氏が開会にあたり挨拶をした。
徳尾氏は5年前、コロナ禍に入ったばかりの除幕式のことを振り返り、以降国内だけでなく世界各国のファンがこのモニュメントを見にやってきたことを報告した。石田氏はこの稲城市が「メカニックの聖地」として新たな文化発信拠点としての役割を果たしてきたと述べ、大河原氏の出身地として「大河原邦男プロジェクト」を実施し、今後も稲城を文化発信と観光の拠点として発展させていくことを約束した。
ここでメインゲストの高橋氏と大河原氏が登場。高橋氏は「除幕式のときより悪くなった目でもはっきり見えるスコープドッグの大きさに感動した」と述べ、大河原氏も「まさか自分のデザインしたものを、実物大モニュメントとして立ててもらえるとは思わなかった」と5年前のことを振り返った。
トークは、ファンから募集した質問に2人が答える形で進められた。2人が最初に一緒に仕事をしたのは1981年放映の「太陽の牙ダグラム」で、当初高橋氏は「ゼロテスター」(1973年)以降監督仕事からは離れていたが、サンライズに呼び出されて「ダグラム」の企画に抜擢される。ロボットものは経験がなくちょっと尻込みしたというが、頼まれたものは何でもやろうという自身の方針を決めた頃で、数年ぶりに監督に復帰することとなる。そのとき大河原氏は既に「ダグラム」のメカを完成させていて、その出会いの第一印象について高橋氏は「僕らの業界にはあまりいないタイプの、ハンサムでオシャレな人だった」と述べ、客席を笑わせた。
一方大河原氏はタツノコプロに入社して4年目のときにフリーランスとなり、サンライズの前身となる会社のプロデューサーから声をかけられ作品に参加し、おもちゃの「デュアルモデル」の設計を行っていたときに高橋氏と対面したそうだ。当時大河原氏が30歳前後、高橋氏が40歳前後で、以降何度も一緒に仕事をすることになっていく。
話題はスコープドッグのデザイン着想についてを問われ、「ダグラム」に登場するメカの設定が10m前後で、劇中で作画されたものを見てガンダムなどとあまり変わらないように見えたことから、次の企画ででは人間とのスケール感が分かるサイズにしようと考え、手元にあったおもちゃの「ミクロマン」を乗せてモックアップを作り、4m前後というサイズ感を設定し、高橋氏もその提案に賛成する。
スコープドッグは「(『機動戦士ガンダム』の)ザクの流れを汲む小型ロボット」でモチーフなどは特になく、タツノコプロ時代から蓄積してきたメカデザインのノウハウを自然に反映した形となる。ポイントとしてはガンダムがおもちゃ化されたときに動かしにくかった腰アーマーを分割して違和感なく着座姿勢が取れるようにし、ターレットレンズは高橋氏からの演出上の指示で顕微鏡の対物レンズをほぼそのままの形でデザインしたことを挙げている。
メカデザインに対する高橋氏からのリクエストは全て演出における指示で、小さなロボットになったのも、「ダグラム」ではリアルに描きづらかったスピード感を描くための設定で、ローラーダッシュやターンピックなども高橋氏が演出としてやりたいことをデザインに反映させたもだそう。「当時のアニメの仕事はブラックだったので(笑)」と冗談を交えつつ、「ウラシマン」や「レイズナー」など4本掛け持ちで仕事をこなすハードスケジュールだったことを明かし、1本に費やせるのは2日程度という多忙の中であのようなメカを作り出したことに客席から拍手が上がった。一方高橋氏は自分は「自分は仕事が溢れるほどではなかったので、どれも楽しんで取り組めた」と対照的な当時を振り返っている。
会場となる稲城市について尋ねられた高橋氏は、「通い慣れた府中(東京競馬場)の近くにあることに親しみが湧く(笑)」と答え客席を笑わせる。高橋氏の出身は東京の東側の足立区だったので、西側の多摩地区にはあこがれがあったそうだ。
稲城は大河原氏が生まれ育った地として知られる街で、その家筋は江戸時代から続いているという。子ども時代は学校にプールがなく多摩川で水泳の授業を受け、街となる前の野山を駆け回って遊んでいたたことを振り返る。終戦後に育った2人は当時の思いを共有していて、大河原氏の鉄の質感が強いメカデザインはその頃の思い出に直結しているのではないかと高橋氏は分析している。
大河原氏は稲城市の公式マスコットキャラクター「稲城なしのすけ」のデザインも手がけていて、そのことについて聞かれると「あれは本当に申し訳なかった」と前置きし、マスコットキャラということをあまり考えずにデザインしてしまったことを後悔していることを明かした。その後に出てきた同じ梨をモチーフとする千葉県船橋市の「ふなっしー」と対比して、自身が手がけたデザインではふなっしーのようなアクションができず、以降は作画のすべてを漫画家の井上ジェット氏に任せてしまった無責任さを反省している旨を述べた。
話題は2人が今後一緒に作品を作る機会があるかという話となり、高橋氏は「(年齢的に)明日どうなるかはわからないけど、アイデアはある」と答える。メカ作品は登場するメカがその世界の中で居心地がよければいいので、その理屈を整えたらあとは大河原氏のようなクリエイターに全てを任せれば大丈夫だと、今も作品を作りたい気持ちをあらわにした。
大河原氏は最近あまりアニメの仕事をしておらず、宇宙ステーションや電車、絵本、釣具のデザインまで、面白そうなメカデザインの仕事は全て受けていて、まだ言えないこともたくさんあるが、それらを楽しくやっているとのこと。ともに受けた仕事を断ることは基本的にないそうなので、2人が再びタッグを組む可能性がゼロではないことに客席も沸いた。
最後に仕事を長く続ける秘訣について問われた高橋氏は「秘訣ではないけど方針は決めている」述べ、「注文をいただいたら何でもやります。頼む側が“こいつがこういうことをできるんじゃないか”と思ってもらえる限りは、僕ができることであれば受けたい」と力強く返答し、それが現在も仕事をもらっている理由だと答えた。また無理に新しいことをやろうとは考えず、とにかく楽しみながら仕事をやることを信条としていると続けている。
大河原氏のモットーは「適当な仕事をやること」で、この「適当」はいい加減という意味ではなく、対価に合わせた無理のない仕事をやるという意味が込められている。自身が多数のメカやキャラクターを発信していた'70~'80年代を思い出しながら、今も企画書をもらうとワクワクするとのこと。あとは人との巡り合わせも大事にしていて、若い頃に現場で出会った人物のおかげで生活ができ、それを繰り返してきたことで50年も仕事を続けてこられたと語った。
作品やモニュメントに込められた愛や夢が稲城市と結びつき、新たな文化交流の場を築いていることが再確認されたこのイベント。トーク後の記念撮影に応じる高橋氏と大河原氏には来場者から温かい拍手が贈られ、イベントは締めくくられた。
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