自己アピールが苦手な原因と対策を考えてみた
私は昔から、自分のことに関する「端的な言語化」がすごく苦手である。
言葉を武器にして戦う営業や、編集という仕事についてきたにも関わらず、だ(本当に恥ずかしい)
noteのエントリのように、1つテーマを絞ってツラツラと書くのは苦ではないのだが、例えば面接のような場で「あなたの強みは?」など聞かれると、ぐぬぬ…と一瞬立ち止まってしまい、何をどう話せばいいのかがわからなくなってしまう。
この原因は2点あると考えた。
1つは、私が自分のことをロジカルに分析できていないということ。
そして2つめは無意識的に、自分のことを過小評価してしまっているということだ。
意外と同じようなタイプの人は多いのでは?と思い、このテーマで今日は書いてみようと思う。
(※一部業務の専門的な言葉が出てきますが、さらっと読み流してもらってOKです)
自分のことを正しく伝えられる人は意外と少ない
とはいえ、私は自分のことが実は大好きで「自分は何点か?」と言われると「50点くらいかなぁ」と語気を弱めてしまうが、「自分のこと好き度は?」と聞かれたら「100%好き」と言える自信がある。
もちろん嫌いなところも、コンプレックスもたくさんあるが、総合的に人として善く生きていると思うからだ。
自己中心的で、献身性や自己犠牲精神が低いため、私は今まで自分のことしか考えずに生きてきたとずっと思っていた。
だから、自分のことを聞かれたときに口ごもってしまうのは自分自身でも意外なことだった。
私は自分のことが本当にわかっていないのか?
自分を間違って認識しているのか?
一体その要因はなんなんだ?
私が導き出した答えは「自分のことを感覚では理解しているが、それをロジックに落とし込めていないので、人に適切に説明できない」ということだった。
自分がどんなタイプか、何に強くて、何に弱くて…考えてみると、これは自分で理解している気がする。
ただし、感覚的に。
この感覚が鋭いのが私の長所の一つでもあるのだが、とはいえ、それと一見相反しそうな論理的思考が抜け落ちていることは、何の言い訳にもならない。それは努力で両立できるものだからだ。
この努力を今まで怠ってきてしまった。
それがアラフォーといういい大人になった私の最大の反省である。
そして周りを見てみても、また自分が面接官の立場で面接をしていても、私と同じタイプの人は多いのではと思うようになった。
自分のことを論理的に捉えるってどうやるの?
さて、では自らを論理的に捉えるとは一体どうすればいいのか。論理的思考とは何なのか。
論理的思考とは、因果関係を整理し順序立てて考えること、あるいはわかりやすく説明することを指します。ロジカルシンキングとも呼ばれます。
出典:https://ferret-plus.com/5057
論理的思考(ロジカルシンキング)の説明は、上記の通りである。
「因果関係」そして「順序立てて」という2点がキーワードになっている。
因果関係、つまり結果と原因がキーになるのであれば、当たり前だがまずはその2点を知らないといけない。
そこで私はまず、ファクトの収集から始めることにした。
例えば、私は育休前にwebディレクターをやったのだが、1年しかやっていないので、自分には何のスキルもないと思い込んでいた。
確かに、何十年とディレクター職をやってきた人と比べると、その差は歴然である。
だが、この1年ぼんやりと仕事をしてきたわけではない。
私なりに本気で向き合ってきたことは間違いないのだ。死ぬ気でやったのであれば、習得したスキルがゼロなんてことは、理論上ありえない。
そこで私は、ディレクター、そして今までやってきた編集と営業という職種別に自分がやったことをまず書き出してみた。
うむ、意外と色々やってるではないか。
むしろルーティン業務が多い営業よりも、幅広く何でもやらなくてはいけないディレクターの方が、やったこととして羅列できるものは多い。
さらにそれをスキル名にして書き直してみる。
ちょっとまだうまく言語化できてない感が否めないが、書くだけでもだいぶ自分で整理ができてきた。
今まで経験してきた全ての知識を総動員しながら望む、マネジメントスキルについてはベン図の真ん中に書いている。
「インタビュー」「ライティング」など、ディレクターとしても編集としても経験して得たスキルもあることがわかる。
この「やったこと」と「そこで得たスキル」だけでも一つの因果関係が成り立つのがお分かりいただけるだろう。
それを文章化してみる。
・何のためのプロダクト・サービスなのか、またどのタイミングで何を目指すのかというロードマップを作成し常にチームに共有することで、ディレクターとしてメンバーの目線を揃えながら開発が行えた。
・チームでカスタマージャーニーマップを作成。ペルソナの意識、行動を具体的にイメージしてサービス開発に望み、またテストプロダクトを実際にユーザーに使ってもらい、意見を聞き改善を繰り返すことでユーザーファーストなサービス開発ができた。
といった感じだろうか。まだ荒いが、だいぶまとまってきた気がする。
これを繰り返し行なっていけば「あなたは一体何をしたの?どんな成果をあげたの?」という問いに、シンプルに答えていけるだろう。
「自分の強み」「弱み」に関しても、起きた事象、そしてその要因を考えて繋ぎ合わせれば、答えが導き出せる気がする。
私の例でいうと、
■強み
「起きた事象」…君のチームは社内で一番いいチームだと様々なレイヤー、職種のスタッフに称賛を受ける
「その要因」…ディレクターとして未熟さを認識していたので、指示を出すのではなくメンバーに一緒に考えてもらう、教えてもらうスタンスを貫き通した。わからないことは素直に聞きあう、教えあう文化があり、プランもディレクターの指示で動くのではなく、チーム全員で考えたため、全員が当事者意識を持って開発に望めた
「私の強み」…わからないことはわからないと言える素直さ。目的のために何をすればいいかを常に考え、そのための最善の手段を取れるところ
■弱み
「起きた事象」…チームメンバーにもっと褒めて欲しいと言われる
「その要因」…自分に厳しい分、人にも厳しくしてしまいがち。また厳しくされると自分のやる気が出るので、それを周囲にも押し付けていた。
「私の弱み」…自らの経験則が正義だと思い込みがちなところ。自分基準で人のモチベーションのあり方を考えてしまうこと
こんな感じでワークできる。
自分に自信をもてない
さて、もう一点の要因は「自分を過小評価してしまっている」という仮説である。
これは無自覚にやってしまう分だけ、実に根深い問題である。
周りに優秀な人がたくさんいたため、評価の基準値がどうしてもわからなくなってしまい、このようなことになる。
自分のスキルや強みを絶対評価するのは中々に難しい。
その評価自体にまず、自信が持てなくなるからだ。
そのため、周囲の人物と比較しながら自分の立ち位置を考えてみるのだが、私は上昇意欲が強く、それが仇となり、ものすごいできる人と自分を比べて「私なんて所詮うんこです、すみません」と思ってしまいがちなのだ。
逆にいうと自分よりできていない人もたくさんいるのだろうが、目線に入っていないのである。
あくまでも自分が求めるレベルが高く「あんな凄い人みたいになりたい!」と上だけを見続けてしまうので、そこと比較して、自分の強みとか恥ずかしくてとても言えないんですが…と萎縮してしまう。
例えば「コミュニケーション力があります!」という時。
確かに私はそれを人から褒められることも多いし、社交性も行動力もあり、強みといっていいレベルだと思う。
だが、どうしてもそれを言う自分の脳裏に、天才的なコミュニケーション力を持つ人が浮かんでしまって、これを自信を持っていっていいんだろうか…!?私レベルで!?と不安に襲われるのだ。
料理が得意だと自負していても、隣にミシュランレストランのシェフがいたら言えなくなるだろうし、
スタイルがイケてると思っていても、横にパリコレモデルが並んだらその場から逃げたくもなるだろう。
そんなレベルと比べてもしょうがないことはわかっているし、自分の能力を故意的に低く見積もっているわけでも、謙遜しているわけでもないのだが、正しい判断基準に迷ってしまい、結果過去の面接などではモゴモゴと自信なさげな発言をするか、逆に自信を持たなきゃ!と過度に思いすぎて、アホみたいな熱意だけのスピーチになってしまっていた。
(思い出すだけでも恥ずかしい)
ここについての対応だが、私はこれを人に頼ることにした。
自分で評価できないのならば、周りに評価してもらえばいいのである。
一緒に働いてきた同僚、上司、先輩、後輩、つまり360度評価である。
家族やパートナーに評価してもらうのもいいだろう。
自分が思いもしなかった自分の強みや弱みを、フィードバックしてくれるかもしれないし、例えばパートナーとであればそれを共有することで、関係性をよくするための、より建設的な議論に発展ができそうだ。
あまり日本に住んでいてそんな場面には遭遇しないが、私はビジネスの場でなくても、自分のことを正しく自己紹介・アピールできる人になりたいという憧れがある。
こんなことをやってきて、こんなキャリアで、こういう強みがあって、こういうビジョンを持っているんです。
そんな風に自信を持って言えたらどんなにいいだろう。どれだけそれを魅力に思ってくれる人との繋がりができるだろう。
自己アピールとは、もはや就職や転職の場面だけで必要なスキルではない。
これから個のスキルをより必要とされる世の中で、生きていく上で必須の技術になるはずだ。
例えば私の友人が遊びにきたとき、夫をみていると、日本人からすると「自信家なのかな?」と思うくらい、彼ははっきりと自分のことをアピールする。
やはりまだ謙遜の文化が根強い日本では例えば、仕事を聞かれて答えて「すごいですね〜」と褒められたとしても「いやいや、そんなことないんですよ」と返すのが一般的だろうし、自分から初対面の人にアピールする発言をするのは、品がないようで嫌煙されがちだ。
私もやっぱりその癖がまだ抜けないのだが、「つまらないものですが」と言われて渡されるよりも「美味しいのでぜひ」と言われて頂く方が嬉しいのと同じで、過剰ではない自己アピールは周囲の人の気持ちも明るくすることを、夫を見ていて学んだ。
彼はできないことはできないと言うし、苦手なことは苦手だと言う。
でも、人よりキャリアがなくても、実績がなくても強みだと思う部分ははっきり主張する。
ああ、こんな人間になりたい。
まずは人から褒められたら「いやいや〜」と謙遜するのではなく「ありがとう」というところから始めよう。
そして過大でも過小でもなく正しく自分を理解して、ありのままの私をいいと思ってくれる人や組織と一緒に、自分ができることを精一杯やっていこう。
もちろんパートナーシップも含めて。
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