米国には、トランプ大統領を熱狂的に支持する保守系キリスト教の一派「福音派」と呼ばれる人々がいる。2024年の大統領選では、福音派の白人の約8割がトランプ氏に投票したという。背景にあるのは、「自由」にアイデンティティーが脅かされているという危惧だ。テクノロジーや経済が発展し、世俗化が進むグローバル社会において、なぜ保守的宗教勢力が影響力を強めているのか。宗教学・思想史の研究者である立教大学の加藤喜之教授に聞いた。
※本記事は、実業之日本フォーラムが会員向けに開催している地経学サロンの講演内容(7月30日実施)をもとに構成しました。(聞き手:鈴木英介=実業之日本フォーラム副編集長)
——福音派とはどういう人たちですか。
もともと福音派(Evangelical)は、プロテスタントを一般的に指す言葉でした。16世紀のドイツで宗教改革が起きた時に、カトリックに対抗した者たちがプロテスタントです。20世紀に入ると、チャールズ・ダーウィンの進化論が宗教と科学の対立を引き起こし、米国では1920年代からプロテスタントが二派に分かれました。一つは、近代科学を認め、聖書をより歴史的・文献学的に読む「主流派」あるいは「リベラル派」と呼ばれる人たちです。反対に、そうした考えを否定する立場は「原理主義者」と呼ばれました。
しかし、神への信仰心がなくとも人間は道徳的でいられるという「世俗的人間中心主義」が米国社会に浸透していく中で、原理主義者は文化の中心から徐々に排除され、サブカルチャー化していきます。ただ、表舞台から遠ざかる中でも、原理主義者は当時の先端メディアであるラジオなどを通じて大衆にアプローチを続けました。1940年代になると、原理主義者は自分たちを「福音派」と名乗るようになっていきました。これが、われわれが現代社会でいうところの「福音派」の始まりです。
福音派は、1950年代には信仰の自由を認めない共産主義への対抗軸となり、1960年代〜80年代には人種間の融和やジェンダーフリーといった新しい「自由」がキリスト教の保守的価値観を破壊するとして抵抗しました。これが今トランプ大統領を支持する福音派の源流でもあります。
なぜキリスト教保守派がトランプを支持するのか
——トランプ大統領はスキャンダルも多く、キリスト教的な倫理観から逸脱した人物に見えます。
トランプ氏もキリスト教徒ですが、確かに刑事裁判で有罪評決を受けたり、不倫問題で告発されたりと、清廉潔白な信徒とは言えません。
それでも、福音派がトランプ氏を支持したのは「危機感」からです。米国で宗教的な多様性が進み、無信仰者も増えた結果、2016年の世論調査によると白人キリスト教徒の割合は50%を切りました。いずれ自分たちはマイノリティーとなり、抑圧される側になってしまうのではないか。そうした危惧があったわけです。また、彼らは2008年のリーマンショックの影響を大きく受けた白人労働階級とも重なり、経済的にも困窮しています。そこで、トランプ氏のような反リベラルでマッチョなリーダーに希望を託したのです。
実際、2024年の米大統領選挙の出口調査では、福音派の白人の約82%がトランプ氏に投票したという結果が出ました。彼の反リベラル・保護主義的な思想と、「自由」を背景とした多国間貿易や移民によって雇用が奪われたと感じるラストベルト(衰退した工業地帯)に住む白人労働階級の福音派の不満が共鳴したのだと思います。
——白人福音派の思想的背景として、「キリスト教ナショナリズム」という言葉が聞かれますが、どのような概念ですか。
キリスト教が米国の文化、文明の源泉にあって、自分たちのアイデンティティーを確保してくれるものと考えるのが、キリスト教ナショナリズムです。福音派だけがその考えを支持しているわけではありませんが、イェール大学の教授らが行った調査では、白人福音派の「キリスト教ナショナリズム度」が、他のどの宗教集団よりも高いという結果でした。
キリスト教ナショナリズムの支持者には、宗教的実践を行ってない人たちもいます。つまり、キリスト教を信仰するけれど、教会に行ったりとか、聖書を読んだりはしていない層の数が増えているということです。福音派を自認する人の中でも、近年は10人に1人はほとんど教会に行かないそうです。世俗化、脱宗教化は進んでいるものの、アイデンティティーの源泉として、キリスト教を捉える人たちがいるのです。
裏返せば、アイデンティティー喪失の危機に直面し、キリスト教に救いを求めるほかない人々が白人福音派を中心にいるということです。例えば、1980年代の先進国はどんどん世俗化し、消費こそがアイデンティティーを表現するような時代でした。しかし、近年では、グローバル化が進んだ副産物として経済的格差が広がり、テクノロジーの発展に伴って製造業が衰退して中流層でも豊かな暮らしを望めなくなりました。そういう中で、例えば、社会進出してきた女性や白人以外の人種が、自分たちの特権を奪ってしまったという被害者意識が白人福音派にあるのです。
エリートをも魅了するキリスト教
——トランプ氏の「米国第一」に付き従うJ・D・バンス副大統領もかつて福音派だったそうですね。
バンス氏は現在カトリックですが、福音派の貧しい家庭の生まれで、教会にも通っていました。しかし、オハイオ州立大学、イェール法科大学院と進学し、世俗的な文化に触れる中でいったんキリスト教から離れました。
ところが、その後、バンス氏はキリスト教に回帰します。その大きなきっかけは、ペイパル創業者のピーター・ティール氏がイェール大学で行った講演でした。億万長者であるティール氏は「良い働き口を得るために競争することは無意味で、人類の幸せに貢献しない」と、競争主義を批判したのです。
ティール氏は、テクノロジーが人類を幸福にすると考える自由主義者「テクノ・リバタリアン」に位置づけられますが、同時にキリスト教を信奉していました。その思想は哲学的で、詳細は省きますが、イエス・キリストの行動を模倣することで、欲望から来る無限の競争から脱し、他者への愛に生きることができるようになると考えているようです[1]。
そうしたティール氏の思想に、バンス氏は強く影響されました。政治家としてのポジショントークか本心かは分かりませんが、バンス氏は「憩いは経済的な成功・名声ではなく、イエスにある」と主張するに至り、カトリックになったのです。
——テクノロジーがすべてを幸せにすると考えるテクノ・リバタリアンからすれば、宗教がもたらす幸せは不要に思えます。
ティール氏は「テクノロジーはゼロから1を生み出すもの」と捉えていて、創造主たる神と近いものだと考えています。彼の中では宗教とテクノロジーは矛盾しません。
そのように考えるのはティール氏だけではありません。例えば、16世紀末から17世紀に起きた科学革命をけん引した英国の哲学者フランシス・ベーコンは、本当の意味の救いとは魂だけではなく、身体の救いでもあるので、科学技術を発展させて医療を発展させることによって、より神の望んだ世界ができると考えました。
一般的な日本人が持つ宗教観は、「修行を通じて精神を研ぎ澄まし、肉体からの解脱を図る」といった、精神的・非身体的なものを肉体よりも上位に置くイメージが強いと思います。しかし、西洋文明では宗教は決して非身体的なものではありません。
もちろん、「天国に行くためには良い行いを積み重ねなければならない」といった精神的な死後の世界を意識した戒律はありますが、特に近代以降、魂と身体いずれも重視する傾向にあります。さらに、裕福になることも「身体的な祝福」であり、神の望んでいることだとキリスト教徒は考える。富める者全てが善ではありませんが、そう考えること自体には必ずしも矛盾はないのです。
政治と宗教のつながりという点から見れば、経済的困窮と被害者意識から自分たちに最大限の利益を与えるように求める白人福音派と、「憩いは経済的な成功・名声ではなく、イエスにある」と考えるエリートのバンス氏は、「キリスト教」という共通のプラットフォームでトランプ大統領を支えている、とも言えます。
「元祖エコーチェンバー」は福音派?
——福音派はラジオで自分たちの考え方を広めていったという話がありましたが、彼らはメディアをどう活用しているのですか。
彼らが考え方を広めようとする動機から説明します。背景にあるのは「福音派の政治化」です。1976年の大統領選では民主党のジミー・カーター氏が勝利しました。彼は自分のことを福音派だと公言し、ニューズウィーク誌が同年を「福音派の年」と呼ぶなど急速に福音派のプレゼンスが高まりました。
ただ、カーター氏は「人権外交」を標榜してパレスチナ人国家建設を容認する発言をするなど、リベラルな考えの持ち主でした。信仰として保守的思想はあったかもしれませんが、政教分離の原則を守りました。しかし、カーター氏に期待した保守的な福音派は、彼の振る舞いは自分たちの古き良き文化を壊していくと捉えたのです。
続く1980年の大統領選で、福音派は、共和党のロナルド・レーガン氏なら保守的な社会を確立してくれるだろうと、「モラル・マジョリティー」という政治支援団体を作り、彼の勝利の原動力となりました。宗教右派と呼ばれる流れです。彼らは、ジョージ・H・W・ブッシュ氏も、その息子のジョージ・W・ブッシュ氏の大統領選でも共和党の強力な支持母体となりました。
福音派が自分の望む政治リーダーを後押ししていく中で、メディアとして用いたのが「説教」です。われわれ日本人には分かりにくいですが、米国では教会がメッセージを伝える媒体として非常に大きな影響力を持ちます。牧師の中にも政治的に見て非常に保守的な人たちがいます。ただ、教会は税制優遇を受ける代わりに政治活動に制約が課されており、説教の場で牧師がどの大統領候補を支持するか述べることは許されません。でも、「妊娠中絶に反対する候補を支援すべきです」と言ったら、それは支持表明と同じです。また、米国には大規模な教会があり、特に1990年代以降は「メガチャーチ」と呼ばれる2000人以上を収容可能な大教会が郊外にたくさん作られています。こうした教会での説教は大きな影響力を持ち、信徒の政治的な決断に影響を与えるメディアになり得るのです。
こうしたメガチャーチや代表的な福音派のリーダーの中には、自前の出版局や放送局、番組も持ち、保守的な政治家を招いて議論することもあります。最近では、YouTubeチャンネルやポッドキャストを通じて思想を伝えています。近年SNSでは、「エコーチャンバー」(閉鎖的環境で同質の声が集まり思想が過激化すること)が指摘されていますが、すでに米国では1920年代から原理主義者、後には福音派を中心としてエコーチェンバーが生じている。ラジオは、そういう意味で先駆的なメディアだったのです。
——米国はイスラエルに対して支援を続けています。福音派にとってイスラエルはどのような位置づけなのでしょうか。
政治的に力を持つようになった1980年以降、福音派はイスラエルの右派政党で現与党のリクードを支援しています。
当初、イスラエルを支援していた米国のキリスト教徒は、冒頭で触れた主流派・リベラル派が中心でした。ホロコーストを二度と起こさないためにも、1948年のイスラエル建国以降、リベラル派は同国を支援していたのです。しかし、1967年の第3次中東戦争でイスラエルは東エルサレムを占領し、国際法違反として世界から批判を浴びました。その後もイスラエルがエルサレムの実効支配を強め、人道的にパレスチナを支援すべきだという動きが生まれ、リベラル派はイスラエルから少し距離を置くようになります。
一方で、保守的な福音派はイスラエルを強く支援しました。彼らの考えでは、イスラエルは神の救済史において中心的な役割を担っており、「終末」に至るまで重要な位置を占めるとされます。聖書には、イスラエルの民が散らされた後に、終わりの時に再びイスラエルという国が復活するという預言がある、と解釈されています。
紀元前に古代イスラエル王国は滅亡し、またローマ人との戦争を経てユダヤ人は離散しました。しかし、福音派にとっては近代におけるイスラエル建国こそが、その預言の成就に映るのです。特に、パレスチナにユダヤ人国家を建設することを認めた1917年のバルフォア宣言、そして1948年のイスラエル建国は、預言が実現したと彼らに受け止められました。米国社会において非主流派と軽視されてきた福音派にとって、これらの出来事は信仰的アイデンティティーを強める絶好の機会だったのです。
1980年代以降、米国の福音派とリクード党との関係はより緊密化していきました。リクード党は「修正主義シオニズム」の流れをくみ、ヨルダン川西岸を含むイスラエル全土を一国として統治すべきだという立場を取ってきました。この立場は、終末においてイスラエルを守ることを重視する福音派の終末論的世界観と親和性が高かったのです。その結果、宗教的信念と現実の国際政治とが結びつき、米国におけるイスラエル支持の強力な基盤となりました。
そして、米ソ対立の中で、米国はイスラエルを中東における共産主義・反米主義への対抗手段として、軍事的にもイスラエルを支援するようになりました。1970年のヨルダン内戦などを受け、米国はイスラエルへの軍事支援額をそれまでの3000万ドルから一気に5億5000ドルに増額しました。米国はおしなべて親イスラエルですが、イスラエルとの結びつきを強め、軍事支援を正当化する動きの背景に、福音派によるイスラエル支援があるとは言えるでしょう。
宗教と軍事は矛盾しない
——宗教と軍事力は相いれないイメージがあります。
確かに、日本も含め、近代の宗教観は軍事力から分離されたものとして捉えられがちですが、それは近代リベラリズムの影響を受けた考え方です。
近代的リベラリズムが生まれたのは、17世紀、最大の宗教戦争と呼ばれる三十年戦争で、カトリック陣営とプロテスタント陣営が欧州を破壊し尽くしたことの反省からです。1648年に締結されたウェストファリア条約は、主権国家体制や国際法に加え、宗教的な寛容性が生まれる基礎となりました。こうした中で、宗教からできるだけ軍事を引き離そうという考え方が生まれたのです。
一方で、保守的な福音派は近代的リベラリズムを受け入れず、「宗教とは、科学も経済も文化も軍事も少しずつ包括するものだ」といった考えを持ちます。彼らにとっては、文明を守る宗教と、その手段としての軍事力は全く矛盾しません。もちろん、非人道的な戦闘に対する批判はしますが、イラク戦争が起きた時それをイスラム原理主義勢力に対する「正戦」(Just War)と見なし、米国主体の軍事行動を支持したのは福音派でした。
——トランプ政権が交代すれば、福音派の勢力は失われていくのでしょうか。
科学技術の発展に伴って、世俗化、脱宗教化は進んでいますし、若者たちの間に価値観が浸透していないこともあり、福音派の数は減っていくでしょう。ただ、経済的な格差が是正されない限り疎外感を持つ人はいるし、グローバル化やテクノロジーがどれだけ進んでも、自分には恩恵が及ばないと感じる層はいます。教会に行かなくなるとか、聖書を読まなくなったとしても、アイデンティーとしてのキリスト教はなくならないし、その一部としての福音派も残り続けると思います。
写真:ロイター/アフロ
加藤 喜之:立教大学文学部 教授
プリンストン神学大学院博士課程修了(Ph.D.)。東京基督教大学准教授、ケンブリッジ大学クレア・ホール、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス客員フェローなどを経て現職。専門は思想史、宗教学。著作に『福音派——終末論に引き裂かれるアメリカ社会』(中央公論新社、2025年)や『キリスト教から読み解くヨーロッパ史』(共著、ミネルヴァ書房、2025年)などがある。月刊誌「Voice」2025年9月号に「トランプを支える『聖書の政治学』——キリスト教シオニズムとは何か?」(208~215ページ)を掲載。NewsPicksでトピックス「宗教とグローバル社会」を運営。
[1]バンス氏とティール氏の宗教的背景の詳細は、「ピーター・ティールによる福音書:自壊する帝国と副大統領のキリスト教信仰」(NewsPicks「宗教とグローバル社会」、2024年12月7日)を参照。
地経学の視点
富や学歴の獲得には多大な労力が伴うが、信仰は誰もが平等に持つことができる。そして、民主主義においては一票の価値もまた平等であり、自らの信仰にかなう候補に一票を託すこともできる。政治と宗教はもともと結びつきやすい性質を帯びていると言えるだろう。
米国の福音派は、グローバル経済から取り残され、また宗教的多様性の広がりによって自らがマイノリティー化するのではないかという危惧を抱く。経済的成功者でもあるトランプ氏とは対照的な立場のように見えるが、同じ「キリスト教」というプラットフォームで両者が結び付いた、と加藤氏は指摘する。
しかし、トランプ政権の方向性は、グローバル経済の否定によって「古き良き米国」に戻ることではなく、追加関税や規制緩和などを通じてグローバル経済の恩恵を寡占したいということではないか。「新しい米国」が、一般市民にとって「良い米国」になるかは分からない。分断が続く限り福音派は米国社会の亀裂を映す鏡として生き続け、影響力を保ち続けるだろう。(編集部)