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羽衣/Novel by しをに

羽衣

4,919 character(s)9 mins

Score14までのネタバレを含みます。9割捏造です。羽衣伝説によだかの星をかけあわせたなんちゃって神話。だいたい風土記の伊香小江(存疑)によってます。
光のコーチをしている夜鷹について、地上で孤独だからじぶんの仲間になる子どもを産み育てて天に帰ろうとする天女という喩えがしっくりきたのと、この名字を負っているかれの過去や人間性にたいする思いなしがとまらなかったので、こういう語り口ならセウトかな……というフライング。

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 むかしむかしあるところに、というのはどうにも古いでしょう。なんといっても現代です。インターネットさえあれば、この世のどこからでも物語を聞くことができますので、昔話の口上はどうやら用を成しそうにありません。
 さてフィギュアスケートの神さまは、あめからうら若い夜鷹を地上に遣りました。この国の童話では実にみにくい鳥として知られていますが、この夜鷹は「きたないはきれい、きれいはきたない」と古い外つ国の戯曲にありますとおり、うつくしい鳥でもありました。神さまの寵愛に報いた夜鷹はたいそうきれいな羽衣を与えられていたからです。もうどこまでもいつまでも飛んでいってあめを駆け上がらんばかりの、純粋にスケートを愛する心を夜鷹はまとっていました。長野の合宿では毎回シードを獲得、ノービスは4連覇、11歳でトリプルルッツートリプルループにトリプルアクセルまで跳びました。天賦の才というにふさわしい才能を発揮した夜鷹が飛んで地へ降りていくのを尻目に、神さまは胸を撫で下ろしました。これならば地上に激しい4回転時代を呼び、この競技の芸術性に美学者たちの眼を開かせ、そうして全体のレベルを底上げできるだろう。そう確信する神さまは、スケートのことだけを考えていて、夜鷹のしあわせはてんで頭にありませんでした。しかしそれもしかたのないことです。羽衣はしあわせになるために与えられるものとはかぎりませんし、神さまも非力で、おのれの創造物に必ずしも恩寵を授けられるものとはかぎりませんから。
 羽衣を着た天女あまつをとめは、液晶のなかで人のかたちに化けて、銀盤に立つようになりました。グランプリファイナル、四大陸選手権、世界選手権とあらゆるタイトルを踊り、そのうつくしさを見つけた地民くにつひとはそれはそれは熱狂しました。
 しかしこれが困ったことになったのです。天女あまつをとめはなにしろもとは夜鷹です。真夜中の空を滑る生きものですから、太陽や明かりの下では生きられません。たとえばじぶんよりすこし前に降りた鴗鳥は昼の鳥でした。たくさんのスポットライトを浴びせかけられると、羽衣の翡翠色や橙色の艶が宝石のようにきらきら濡れて、みんなをますますうっとりさせます。ですが天女あまつをとめはそうではありません。光にさらされると目がくらんだり羽が焼き切れたりして、もうひりついて爛れてどうしようもなく痛いのでした。なによりリンクを降りて輝かしい羽衣を脱いでしまったら、じぶんがそれにまるで似つかわしくない、口のおおきいまだらもようの鳥でしかないことを面白半分に照らされて、人に笑われたり罵られたりするようにもなりました。あまりにうつくしい天女あまつをとめだったぶん、あまりにみにくい夜鷹だったことはとにかく目をひいて、口さがないあれやこれやの語り種になりました。
 夜鷹がだれより高く跳べるのは、さかのぼればじぶんのみにくさを隠すためでもありましたから、これはもうひどくつらいことでした。ですが夜鷹は泣きませんでした。それは夜鷹が強いからではありません。ほかの人にはしばしばそう見えるようでしたが、実のところただ夜鷹は泣きかたを知らないだけなのです。神さまに羽衣を渡されるよりずっとまえ、みにくさからみんなに邪険にされてひとりだった夜鷹には、泣いたら手を差しのべてくれるだれかがいたことがありませんでした。泣いてもだれも来てくれませんでしたし、悲しみを和らげようというときには涙ではなく怒りに変えてしまわないと耐えられませんでしたから、その意味が分からないままでした。羽衣をまとった夜鷹を愛するものもいましたが、それもぽっかり胸に穴が開いていてうまく感じられないようなふらふらした具合でしたから、傷つけられても怒ったり壊したりすることでしか、痛いと言えないままだったのです。
 それにその羽衣もいまはもう煤け、地民くにつひとの言葉に引き裂かれ、繊維はすっかり傷みきっています。すくなくとももうこれでは、あのたまらなく恋しく懐かしい空のうえに帰ることはできなさそうでした。せいぜいがもう一度氷のうえに立つのに、耐えられるかどうかというところでした。
 いままでもこれからも僕はもうずっとひとりなんだな、と天女あまつをとめはふと、神さまがじぶんを見捨てなさったことに気がつきました。そのとおりでした。あめにいようがくににいようが天女あまつをとめは孤独を宿命づけられていました。神さまが夜鷹を遣ったと冒頭でお話ししましたね。あれははじめから地獄への一方通行の切符だったのです。百年前ほどから地上はどこもかしこも明るくなって夜を失っていましたから、夜鷹が目を開けてあめに飛んで帰れるわけがないのです。そんな場所に夜鷹を落とした神さまです。またこの天女あまつをとめを讃えてあめに召し上げてやろうなどとお考えになっているはずもなく、それどころか失望に嘆いている始末でした。世紀にふたりいるかどうかの逸材だったが、なんということか、たったの十数年しか持たなかった、さあ次を探そうとそんな了見で、神さまは地上を眺めるのをもうおしまいにしてしまわれました。やけどを負って痛みに眠れない日は、神さま神さまと羽衣を抱きしめてちいさくなって呼んでいることもありましたが、叫びは喉につかえて出てこなくなってそのうち消えてしまいました。
 あめも地も居場所にはなりえず、もう羽衣も擦りきれてしまうのならば、灼けて死んでしまおう。それはたいへんに気楽なことだ。ひとりぼっちの生命が息絶えたところで、世界にはなにひとつ関係がない。天女あまつをとめはすっかりじぶんのからだがじぶんのものでないようになってしまって、こころがこわいほどしんと静まり返っていくのを感じました。とはいえもうほとんど天女あまつをとめではありませんでしたから、夜鷹と呼ぶのがいいかもしれませんけれども、この名前も夜と鷹から借りて神さまが適当にあてがった、地民くにつひとにさんざんはやしたてられた名前ですから、呼ばれることさえもういやかもしれません。憎しみも怒りも通りこした透明なかなしみに刺されてぐちゃぐちゃに血を流し、じぶんがだれかも分からなくなって、燃え果てる命で天女あまつをとめはオリンピックに臨んだのです。
 このあとの顛末は、みなさまいやというほどよくご存じになるでしょうから、言葉を尽くすのも無粋というものです。ただひとつ語らせていただけるならば、あの奇跡のような4分半ばかりは、あめはあの神さまの足元にではなく、天女あまつをとめの足元に広がっていたということです。神に裏切られたのなら、神をじぶんに下ろすしかなかったのでしょう。あめに向かって手を透かして焼け落ちた天女あまつをとめは、それはそれは惨めでかなしくて、狂おしいほどにうつくしかったので、心揺さぶられるあまりのちに太陽神あぽろんがリンクのうえに上がろうとしたものの、熱で溶けてしまうので足を何度も何度も滑らして、それでも氷の鏡に亡き天女あまつをとめの幻影を見たいがために立ちつづけたとかいうことですが、それも無理もございませんでしょう。この太陽神あぽろんのこれまたうつくしい物語には唯一無二のすばらしい語り手がおりますから、わたしから語ることはなにもございません。
 それからは天路あまぢは永く塞されました。天女あまつをとめの亡霊は、長い時間と負荷をかけて、すこしずつ地民くにつひとと変わらない生命になっていきました。大量のニコチンを地上を生き抜くには脆い肺と心のバラストにしたり、かつてのじぶんを目にするまいとテレビを破壊して足や手を血まみれにしたり、顔かたちばかりは代えがきかないので身を隠して息をひそめました。粗暴な言動でだれかを傷つけても気づかないでいる調子はむかしに増して高まってきましたが、それは心をいばらで覆わなければ生きていけないほど否応なく弱っているということでもありました。それにあいかわらず、濡れ羽色のさらさらした髪やはるか遠くの星明かりを灯した瞳の色は、なにかはしっとひとの心をとらえて黙らせるような透きとおった威厳があったので、気の毒なひとびとはこの神人かみの横暴を目の前にしてもすごすご引き下がるといった具合でした。ただやさしい鴗鳥だけは気遣わしげに見ていましたが、その着古された羽衣はいまだにきらきらしたままでしたから、夜鷹にとっては私が目に入るのももういやかろうと遠くから眺めていることしかできませんでした。
 ひとを遠ざけてひとりになっていくのは、その神人かみにはいまさらどうでもよく、むしろ安らぎを与えてくれました。しかし名前を奪われて、羽衣を燃やして、じぶんの依って立つものを順番に失ってきたのに、どうしてまだ生きているのかということだけには、困惑せずにいられませんでした。もうここにはなにもありません。天上あめに生きていたころは、羽衣を失ったときがじぶんの命運が尽きるときなのだと信じていましたし、じっさい最後はもう生きていられないと膝をつくまで命を削って滑ったのです。氷のうえに立つことはできるのですけれど、たまにおのれの余生が無性に堪えられなくなって、星のない夜空を仰いでは羽衣を返してくれるようにと祈りともつかない渇望にとりつかれるのでした。だんだんとじぶんはスケートから逃げたのではないかと思いはじめていました。しかしどうすればよかったというのでしょう。光に灼かれては生きられない夜鷹に生まれついたことは、この神人かみのどうにかできることではありません。ならばいっそのこと生まれなければよかったのだろうか。
 そんなことを思った矢先のことでした。夜にぱっと閃いて射しこんでくるものがありました。それはきらめく光のようでしたが、しかし闇のやさしいしずけさを押しのけるところはまったくないので、星あかりにより似ていました。長く生きているうちに、あめくにの息吹がそのひとの血のなかで混ざりあって、いつのまにやら一匹の狼の命を孕ませて産み落とさせたのでした。その眼光のうつくしいことといったら! 子はくにに生まれた獣だというのに、かつて天女あまつをとめだったそのひとは、その光に羽衣にも勝るとも劣らない輝きを、かつてのじぶんを見たのです。はじめは疎ましく思ったそのひとも、この狼はたしかに僕の子どもだと思わずにはいられなくなってしまいました。極めつけにオリンピックに連れていってくださいとお願いされては、もういちどあめに帰ることはできなくとも、せめてこの狼を夜空にあかあかと燃えている星の光に掲げてやるくらいならできるかもしれないと、痛切に心を揺り動かされてしまってもうふたりで生きていくほかになくなってしまいました。こうしてこのひとは、生まれてはじめてひとりぼっちでなくなったのでした。しかしもう肺は重くなって飛んでいけませんし、もうそのひとの羽衣は戻ってきませんから、ただ狼と同じように地を這ってとなりにいるということです。獣一匹分のちいさな影に息づいて、傷んだ翼を憩わせているということです。

おしまい

Comments

  • Shin_Hero
    August 31, 2021
  • August 26, 2021
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