“めでたしめでたし”ではなく、政府による対応を 「性同一性障害特例法」違憲決定と今後の対応 東京都立大教授・谷口功一【時事時評】

2024年05月11日10時00分

 昨年10月、いわゆる「性同一性障害特例法」に対する違憲決定が最高裁から出された。性別変更に際して身体への侵襲を伴う――生殖腺除去を求める要件が違憲とされたのである。また、移行する性別に合致した性器の外観を求める要件も複数の反対意見の中で批判され、これについても違憲判断が下されるのは時間の問題だろうというのが大方の意見の一致を見ている状況である。

 弁護士や法学者などによる本決定への評価はおおむねそれを「海外の趨勢(すうせい)」とも合致した「進歩的なもの」とする肯定的なものであったが、実際に最高裁から出された決定を仔細に読み込むと、そこには少なからぬ問題があるように思われた。

条件変更の影響は「まれ」?

 筆者は、今年3月末に自民党政調「性的マイノリティーに関する特命委員会」に呼ばれた際、この最高裁決定への批判的意見を述べて来た。本決定(法廷意見)は一本ハッキリと筋の通ったストーリー展開とでも言えるものを有する点で理解しやすく(読みやすく)、そこには最高裁としての統一された強い意志が感じられるが、以下のような疑問を生じさせるものだったからである。

 たとえば、法廷意見・反対意見のいずれにおいても、性同一性障害を有する者が「社会全体からみれば少数」であることを前提に、今回の決定に基づく性別変更の条件が変化することによる混乱などは「極めてまれ」あるいは「現実的ではない」と論じている。しかし、それは本当なのだろうか。また、たとえそれが「まれ」であったとしても、社会的に大きな混乱を生じさせる事例が生じた場合にはどうするのかという点への想像力が欠如している(後述の立法事実の収集に関する遺漏が生じている)ように思われたのである。

 この問題は、違憲決定の対象となったのが「非訟事件(手術なしでの性別変更を求めた家事審判)」であることに起因している可能性が考えられる。非訟事件は通常の訴訟事件とは違い、公開の法廷で口頭弁論を開く対審構造をとらない。つまり、本件では「特例法が合憲である」という立場から議論を尽くす当事者が存在せず、法令の根拠となる「立法事実」の収集に遺漏があったのではないかという疑いが生じるのである。さらに特例法は議員立法であり、その点、通常立法のほとんどを占める内閣立法(閣法※)とは性格を異にしている点でも、最高裁側の立法事実の知悉度(収集の度合い)が本当に十分なものであったのかについて、本法制定時の立法関係者からも少なからぬ疑問が呈されている。

 このような違憲決定を手放しで歓迎する向きも少なからず見られたが、長らくこの問題に関わってきた専門家で今回の違憲決定を手放しで喜んでいる向きは寡聞にして知らない。要するに、お伽噺のように「めでたしめでたし」で終わるような話ではないのである。本件は、そもそも医療と法が交錯する複雑で微妙な領域であることが、もっと認識されるべきではないだろうか。

必要なのは丁寧な検討

 しかし、いったん最高裁からこのような形での決定が出たからには、それに従った形での対応は不可避である。参院法制局によるなら「⼿術要件」が撤廃された場合に改正の検討が必要となる法律は相当な数にのぼるとのことだが、問題は作業の量だけではない。公衆トイレ・公衆浴場・更衣室・刑務所・入管施設などさまざまな場での取り扱いを憲法の私人間効力や合理的区別の問題、営業の自由や私的自治など、論点ごとに時間をかけて丁寧に整理してゆかなければならないのである。

 そもそも特例法は参議院による議員立法であったが、今回の最高裁決定を受けた形での法改正を含む諸手当ては法務省なりが引き取り、十全な態勢の下、政府が「閣法」で対応するのが筋であるように思われる。先述の自民党政調・性的マイノリティー特命委から「衆知を集めて冷静な議論をした上での改めての報告が望ましい」といった形での上申を総理総裁に対して行い、その上で「有識者会議」などを設置し、一年程度の時間をかけてじっくり丁寧に議論を行うというのもひとつの選択肢であろう。

 今回の最高裁決定を受け、特例法の対象を広義のトランスジェンダーにまで拡大しようとする「人権モデル」への接近も少なからず見られるが、《客観的な基準》という面では極めて脆弱(ぜいじゃく)なこのモデルには危うさが伴い、特例法制定時の理念であった「強い身体違和を持ち性別適合手術まで受けようとするような中核的当事者(トランスセクシュアル)の救済」こそを念頭に置いた「医療モデル」が堅持されるべきである。

 二十年近く前に本法の成立に末席ながら関与した者として、このような特例法のそもそもの立法理念に立ち戻った上での、現実的でしっかりとした対応がなされることを心から望みたい。

※ たとえば岸田政権下(第205~212回国会)では、内閣提出法案=閣法(括弧内は成立率)は157件(98%)、議員提出法案=議法は234件(10%)であり、全成立件数の8割を閣法が占める。閣法が、関係省庁内での綿密な審議を経て、しばしばさまざまな関係当事者からの意見聴取や利害調整にも晒され(パブコメも含む)、与党内審査(+協議)の関門も通過するという多層的な審議プロセスを経たものであるのに対し、議法の場合には関係省庁(本件では裁判所にあたる)側の関与・情報摂取の程度が相対的に低いことが、今回の「立法事実の収集」に影響していることが疑われる。

谷口 功一(たにぐち・こういち)東京都立大学法学部教授(法哲学)。1973年大分県生まれ。2003年施行の性同一性障害特例法の立法過程に関わった。「日本の夜の公共圏」というテーマでスナックを研究していることでも知られる。主な著書に『立法者・性・文明 境界の法哲学』『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』『ショッピングモールの法哲学―市場、共同体、そして徳』など。内外情勢調査会講師。
【今月の一冊】谷口功一『立法者・性・文明 境界の法哲学』(白水社)
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