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地上にいるけど“空のシェフ” 関空とともに 機内食一筋30年

ゼロから海を埋め立てて空港をつくる。

世界初の挑戦で生まれた関西空港は、開港した1994年9月4日、1日中、お祭りムードに包まれていた。

だが、その片隅で小さな「地獄」を経験していた青年がいた。

丸2日徹夜して青年がしていた仕事は、機内食の盛りつけ。

「こんな状況が続くなら、とてもやっていられない」

それから30年。

青年は機内食工場の料理長になった。

(大阪放送局 関西空港支局 記者 高橋広行)

機内食工場の内側は?

関西空港の機内食工場はターミナルから2キロほど離れた貨物エリアにある。

担当者は開口一番「とりあえず、これを着てください」。

工場内は、衛生管理が命。

帽子、かっぽう着、マスクに加えて、靴をすっぽり包み込むカバー、ズボンの内側からごみが落ちないよう裾を覆うサポーターまでつける。

「眉毛も隠してくださいね」。

外に出していいのは目元だけだ。

これで準備万端、ではない。

40秒間、体中を掃除用のクリーナーで“ころころ”した後、30秒間の入念な手洗いを2回も行う。

最後に、強風でほこりを飛ばす「エアシャワー」を浴びて、ようやく関門突破だ。

中に入ると、大勢の人があわただしく調理にあたっていた。

関空には機内食工場が2社あるが、この工場では就航する航空会社のうちの21社、1日あたり85便の機内食を引き受けているという。

食材のカット、下ごしらえ、加熱調理、盛りつけ、使用後の食器やカートの洗浄など、ほぼ全ての工程が手作業だった。

機内食は、独自色を出したい航空会社ごとにメニューが大きく異なる。

しかも、季節ごと、月ごとに次々に変わっていくため、自動化はできない。

工場では、アナウンスが頻繁に流れる。

「○×エアライン999便、追加です。ビジネスプラス2、エコノミープラス5」

予約の変更に伴う追加注文は、出発時刻の1時間前から40分前までは可能となっている。

しかし、ここは客が目の前にいるレストランではない。

トラックに載せて、機内に積み込むための時間も必要だ。

追加注文が入れば、忙しさに拍車がかかる。

完成した機内食に生唾を飲み込んだ時だった。

「こんにちは」

声をかけてくれたのが、料理長の今西祐介さん(50)だった。

悪夢の30年前

「料理長」は、味に厳しく、表情も厳しい人だと思い込んでいたが、優しい笑顔が印象的な人だった。

「なんも特別な話なんてないんで、記事にならんと思いますよ」と言う今西さんに話を聞くことに。

兵庫県川西市出身。

高校生のころから、家族に手料理をふるまうのが好きで、調理師の専門学校に進学した。

就職先を探していた1993年、1枚のパンフレットが目にとまった。

双日ロイヤルインフライトケイタリング 料理長 今西祐介さん
「いまの会社の社員募集のパンフレットを見つけました。大きな飛行機にトラックの荷台が伸びている写真で『これからできる関西空港で働きませんか』と。かっこいいいなあと。まんまと術中にはまって、これやと応募したんです」

半年間、福岡の機内食工場で研修を積んだ。

開港の数か月前には、小さな漁船で大阪湾を渡り、関係者の好意で、特別に同期30人と、できたての滑走路を歩かせてもらった。

「こんなに大きなところで働かせてもらえるんだ」

開港日の1994年9月4日、関空は1日お祭りムードに包まれた。

ところが、今西さんは、いまでも思い出したくないほどの「地獄」の渦中にいた。

今西祐介さん
「めちゃくちゃでしたわ。どの航空会社がどういうメニューでどういう盛りつけなのか、わかっているようで正確には身についていなかった。会社も別の空港から応援を呼び、かなり余裕を持ってシフトを組んでたんですが、いざ作業が始まってみたら、想定通りには全然終わらなかったんです。でも、運航に影響が出たら社運にかかわる。結局、開港前日から当日、その翌日と寝ずにぶっ通しで働きました。みんな気が立っているから怒号も飛び交うし、立ちながら寝ているスタッフもいてましたね。1番機?飛行機どころから外すら見れなかったんやないかなあ。話が違うというか、ここまで家に帰れないなら、とても続かへんわと」

ほとんど焼かない肉?

それでも、がむしゃらに働いてノウハウを身につけた。

冷菜の盛りつけや下ごしらえを5年ほど担当した後、10年間、ホットキッチンと呼ばれる「加熱調理」を任されることになる。

ここに、機内食ならではの技があった。

それは「鉄板やフライパンの上では、肉は表面しか焼かない」ということ。

実は、加熱調理は、航空機が出発する、およそ半日も前に行われる。

理由は、やはり衛生管理。

細菌の繁殖を抑え込むため、完成した機内食は、少なくとも5~6時間は冷蔵室に入れ、5度以下になるまで十分に冷やさなければならない。

フライト中、機内にあるスチームオーブンであたため直された時に、ベストな味にするのが機内食ならではの流儀だ。

180度に熱した鉄板の上で、表面だけを2分程度、手際よく焼くのだが、求められる焼き加減やタイミングは、職人技の世界と言える。

「中はレアよりも、もっと弱い焼き加減になる。普通の飲食店ならありえないでしょう。中まで火は通さずに、肉汁とうまみを閉じ込めて焼けるかがポイントです」

頭の中で調理?

9年前からは、念願のメニュー開発の担当となった。

今西さんの開発スタイルは、かなり独特だ。

絵を描く訳でもなく、パソコンと向き合う訳でもなく、カタログを開く訳でもない。

裏紙とボールペンを片手に、開発室のデスクや調理台の上で黙々とメモを取る。

のぞき込んでみると、「オニオンスライス 50グラム」「パプリカ赤 20グラム」。

食材と分量だけが延々と続いていた。

今西さんが料理しているのは、なんと「頭の中」。

食材を書き出しては、頭の中で料理を進め、短い時は数十分、長い時は何日も経ってから、うまくいきそうだと思ったら、初めて食材を手に取るという。

「大雑把な性格なんで、これが一番性に合うんです」

このやり方で、これまで洋食を中心に計500以上のメニューを手がけ、航空会社に採用されてきた。

「検食」の現場 厳しい意見が…

今西さんは、ほぼ2日に一度は、航空会社の担当者と会っている。

1年分の機内食をまとめて提案・説明する「プレゼン」が会社ごとに年1回あるほか、提供中の機内食をチェックされる「検食」も毎月あるからだ。

今回、その「検食」の様子を、特別に取材させてもらった。

この日は、ある航空会社の担当者7人が今西さんのもとへ。

食事を終えると、厳しい意見が次々に飛び出した。

「エビの盛りつけが残念。もっと立体的にできるのではないか」

「バンコク線は、機内食の提供は午前2時ごろになるので、もう少しボリュームを落としたらどうか」

「和食の豚の角煮。味はいいんですが、あんが、さらさらし過ぎていて、食べるときにぽろっとすべってしまうので、食べづらい」

一度、航空会社側が合格を出した料理ではあるが、ブラッシュアップを求められる。

今西さんは、ひとつひとつに丁寧に耳を傾け「承知しました」と応じていた。

今西さんに「細かいし、厳しいですね」と聞くと「私らは、やれることを精いっぱいやるだけですから」。

担当者たちが帰ると、今西さんは、すぐに開発室の同僚たちとレシピや調理法の微調整を始めていた。

この30年で大きく変わったことがある。

それは、航空会社が機内食を重要視し、コストを割くようになったこと。

さらに、開港からおよそ10年間は、メニュー開発は航空会社みずから行っていたが、徐々に工場に任されるようになり、いまでは提案したほとんどが採用されているということだ。

これは、航空会社からの細かい注文にその都度応じてきたことで、工場全体の料理の評価が高まった何よりの証拠でもある。

大阪を代表する一品を

節目のことし、今西さんは料理長に就任した。

料理長は、ホテルなどでシェフを経験した人などが務めることが多いポストだが、関空の現場からの“たたきあげ”でなったのは今西さんが初めてだ。

いま開発中の「とっておきのメニュー」があることを明かしてくれた。

たこ焼きだ。

航空会社からよくある要望のひとつが「ご当地感を出してほしい」というもの。

できたてを提供できない機内食には向いていないが、大阪を代表する一品を盛り込みたいと考えた。

冷めたたこ焼きは、どうしても食感がやわらか過ぎる。

部下と検討した結果、天ぷら粉をつけて「揚げる」ことにした。

カリッとした食感を残し、冷めてもおいしい、機内食としてのたこ焼きを生み出そうとしている。

タレは、おなじみのソースではなく、だしをジュレにして大根おろしと混ぜる「和風」にするそうだ。

もうすぐ機内で食べられるかもしれない。

“機内食の可能性は無限大”

今西さんも、工場も、この30年間、決して順風満帆だった訳ではない。

特にコロナ禍では、便数の激減に伴って2年近く開発業務はできなくなった。

経営難で親会社も変わった。

340人いたパートなどのスタッフは半分に減った。

いまは、ネパールからの留学生およそ50人に支えられている面も大きい。

コロナ禍前を上回るインバウンドを取り込み、航空会社からの受注を増やすには、人材の確保が急務だ。

あらゆる食材費が高騰する中、航空会社から提示されたコストでメニューを仕上げるハードルも上がっている。

食物アレルギーに対応したり、宗教に配慮したりした、きめこまやかな確認が求められる「特別メニュー」の要望も増えている。

課題は尽きない。

こうした中でも、今西さんはモチベーションがわきあがっているという。

今西祐介さん
「一言で言えば、料理が好きなんですよ。いろいろな制約はありますが、じゃあこうしてやろうと、逆に奮い立たせてくれるものになっています。機内食の可能性はまだまだ無限にある。職場の仲間たちにも知恵がある。制約は時に重荷でもありますが、やりがいに変えて、食べた人によろこんでもらえる機内食をつくり続けたいです」

取材後記

最後に今西さんの人柄が伝わるエピソードを2つ紹介したい。

去年、外国の機内食づくりを学ぶために海外出張をしたときのこと。

そのときの機内食は、まさに自分が開発したものだった。

かねてから、乗客のリアクションを生で見てみたいと感じていた今西さんだが、いざその場面になると「これまでに経験したことないような緊張感に襲われた」という。

全身から汗が吹き出して、乗客の様子はほとんど見られず、出された自分の機内食ものどを通らなかったとか。

もう1つは夢について。

3人の子どもの父親でもある今西さん。

インタビューの最後に「今後の目標、あるいは夢はありますか」と聞くと、意外な答えが返ってきた。

今西祐介さん
「一度でいいから家族全員で飛行機に乗って、自分が開発した機内食を一緒に食べてみたいですね。『これは、お父ちゃんが開発した料理やぞ』と自慢できる日が、いつか来ればいいなあと思っています」

(9月4日「おはよう日本」「ほっと関西」で放送)

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大阪放送局 関西空港支局 記者
高橋広行
2006年入局
羽田空港、成田空港担当などを経て2023年から関西空港支局
現在の取材テーマは「空港の裏側に光をあてる」

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