団塊世代が大量に定年退職する2007年をまじかに控え、老後の生活が大きな関心事となっている。こんな時期、タイ・ミャンマー国境地帯の小都市チェンライで楽しい老後を過ごしている日本人がいる。
タイ北部の都市チェンマイからさらに北、ミャンマー国境の山岳地帯にあるチェンライは気候も温暖で、果物などがおいしい穏やかな地。
この、チェンライの郊外にある山岳少数民族のに日本人の男性が住み着いている。
いかにものんびりとした暮らしぶりだが、聞いてみると現地の若い女性と結婚し、第2の青春を存分に楽しんでいるというから、何ともうらやましい限り。
ここに住んでいる東京都出身の吉田孝雄さん54歳(仮名)に話を聞いてみると、彼は東京都にある中学の元数学教師。奥さんは同年代の同僚教師、25歳と23歳の息子2人の4人家族であった。妻とはセックスレスの生活が続き、何となく男としてはつまらない生活を送っていたところ、同僚5人とタイ旅行でチェンライに来た。
旅行も終わりに近づいた夜、チェンライ・ナイトバザールに行き家族のお土産を買っていたところ30代の男が近づいてきて「少数民族の少女を欲しくないか、安いよ」と話しかけられた。
その夜は食事の時、地酒(メコーン)を飲んでほろ酔い気分だったので同僚5人と一緒に男の車に乗り30分ぐらい走ったところにある大きな一軒家に行った。
一階の大きな部屋に通され3分ほど待っていると13才から18才ぐらいの少女8人が恥ずかしそうにうつむき横一列に並んだ。
男は「さぁ好きな子を選んでくれ、朝まで部屋代込みで4千バーツ、子供だから高いよ」。
始めは同僚も迷っていたが一人が決めると皆それに続き私は色白の15才ぐらいの子を選び部屋に行った。
次の朝、置屋を出るとき男から「チェンライにきた時電話をくれ」と携帯の番号を書いた紙を渡され夕方の便で東京に帰った。
東京に帰った後も少女の事が頭から離れない、学校に行っても女子生徒の体を盗み見るようになった。
半年後、再度タイに行くことを決心。妻に離婚を申し入れ親の遺産と彼の貯金2800万円を渡し自分は学校を辞めた退職金1300万円を持ってチェンライへ。
翌日、置屋の男とホテルで会った。男から「国境近くの村の娘達が日本人と結婚したがっている」と言われ4時間かけてミャンマー国境の村に行き男に3人の少女を紹介され。その中のナー15才を選び両親と交渉した。
結納、結婚式費用として65万バーツで話がまとまり男には手数料として5万バーツ渡した。
式は村の長老を前に両親、私とナー置屋の男がすわり、長老が生きた黒豚の腹にナイフを突き刺し肝臓を取り出し色形を見て「新郎は75才、新婦は65才まで長生きし子供は5人出来る」と言った。
村の人口は約300人、主に生姜・トウモロコシ・野菜・陸稲を作ってチエンライの市場に持って行き生計を経ている。村に住んで1年経つ。豚と鶏を飼いながらのんびりと暮らす毎日だが、月に一度は彼女が開いている駄菓子屋の仕入れに町へ行き日本レストランで食事をしながら新聞、雑誌を時間をかけて読む。
彼は「妻のことは忘れた、でも、ここに来ると本当に日本が恋しくなる」という。
私は彼が席を外した時ナーに「彼とは年齢が違いすぎるけど本当に後悔していないのか?」と聞いてみた。
彼女は「隣村に住んでいる同じ歳の男に好意を寄せていたが親にお金が必要だから、と説得された。今の気持ちは半分は彼のことが好き、でも半分はお金のため」。ナーの言った事は本心だろう、ここでも子供は親の所有物、子供の人権?いつになったら議論できるんだろう、この話題をこの村で。
この話は本人にインタビューし某週刊誌に記事を記載しました。
06/12/14 11:02
