怪無池と白十字の伝説『喫茶 白十字』(葛飾区・京成高砂)
京成線には、京成立石、京成高砂、京成小岩…と上に社名の付く駅がいくつかあるけれど、高砂に「京成」とわざわざ付けたのは兵庫の高砂と区別する意味合いがあったのかもしれない。もっともこの京成の高砂は大正初年の開業当初「曲金 」といったらしく、これは近くの中川の曲がりくねった流れが由来だという。高砂というのは、小字 の名を付けるときに、あの「高砂や~」の謡曲からいただいた、おめでたいイメージネームのようだ。僕の手元のiPadに「東京時層地図」という古地図のアプリが仕込まれていて、これで昭和30年代、昭和戦前、大正…と時代を遡っていくと、京成高砂駅のあたりが曲金の地名で一面田んぼだった明治初めの地図から中川の岸辺にほぼ同じサイズの丸池が表示されている。この池は通称・怪無池 といって、白蛇と雨乞いの伝説がある…なんてことがネットに解説されていた。
今回の高砂の町喫茶探訪では、まずこの怪無池というのを眺めてみたい…と、駅の北側の線路づたいに中川の方へと歩いていく。後ほど訪ねる喫茶店の前を通り過ぎて、赤青シマシマ看板が回る理髪店を横目に進むと道筋は田舎通のように湾曲してきた。少し先の新金貨物線の寂しい単線路を渡ると、古い民家と町工場の間の青龍神社と記した石柱の奥に、ひょろっと伸びた1本の柳と水草の繁った池の畔が見えた。
「ここは雨乞いの神事が行われた神聖な池です。釣り場ではありません。青龍神社世話人」
と、柵に警告が出ているが、向こうの池は水面もびっしり草に覆われて、釣りができる感じではない。池畔の奥に小さな鳥居と祠があって、ここが青龍神社なのだろう。この場所からは見えないけれど、すぐ西側は中川だから、日照りの雨乞いとは逆の大雨洪水からも守ってもらおうという、いわゆる水神様と思われる。しかし、都会の河川敷でこういう放ったらかしの池沼が残っている地、というのは、もはや珍しい。
来た道をもどっていくと、すぐ横に京成のホームが見える駅近くに「喫茶 白十字」はある。白十字という名の喫茶店、ひと昔前は銀座にも新宿にも、前回歩いた神田の神保町や本郷、そして地方都市(先日閉業したようだが、新潟・古町の店は取材したことがある)にもよく見られた。戦時中の満州の白十字(医療組織)の関係者が始めたとか、白十字型の花がもととか、由来は諸説あるようだが、この店はハクジュウジと読み、いまの店主夫妻の親御さんが昭和39年(1964年)に開業した。
「もとは東十条で焼肉屋をやっていたんですけど、ここが見つかって喫茶店を始めようというときにクリスチャンの友だちから『白十字』って名前にしてほしいって頼まれたらしいんですよ」とマダム。
つまり、ここは“キリスト教の十字架”が由来なのだろう。なるほど、店前の看板の白十字の字体もどことなくゴシックセンスの教会っぽい。マダムとマスターは趙 さんといって、韓国・済州 島の出身。店の説明をしてくれるマダムが饒舌多弁なのに対して、向こうの厨房にいるマスターは全く話に入る気配もなく黙々と水仕事をしている。
「マスターは口が無いからね」とマダムの恵順さんが絶妙な言葉で表現する。
「この辺は“老人モデル地区”といってとにかくお年寄りが多いんですよ。糖尿のお客さんもいらっしゃるんで、ランチメニューの味付けはあっさり。ただ休日になるとけっこう若い人がやってきまして。ナポリ、それとプリアラね、よく出るのは…」
恵順さんは、ナポリ(ナポリタン)、プリアラ(プリンアラモード)と、いきなり省略系で語る。若いお客の影響なのかもしれないが、なんとなくユーモラスだ。ユーモラスといえば、店内の壁に「医療用殺菌大型空気清浄機設置」「換気扇4台稼働中」などと、品書きよりも大きく“換気の環境”を謳った張り紙が掲げられているのも個性的だ。
2ミリの太麺を使ったケチャップ味の濃いナポリタン、大きくて甘いトマトの食感が心地いい白十字サンド、生のバナナとオレンジ、そして黄桃をミキサーにかけたミックスジュース…口の無いマスター が作る料理はどれもマジメな味がする。
◆◆◆
今回訪れた喫茶店
喫茶 白十字
住所 東京都葛飾区高砂5-29-13
電話 03-3600-6583
営業時間 8:20~19:00
定休日 日曜
電話 03-3600-6583
営業時間 8:20~19:00
定休日 日曜
※新型コロナウィルスの影響で、掲載したお店や施設の臨時休業および、営業時間などが変更になる場合がございます。事前にご確認ください。
※2024年1月19日時点での情報です。
※料金は原則的に税込み金額表示です。
PROFILE
- 泉麻人
- コラムニスト
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。近著に『黄金の1980年代コラム』(三賢社)『夏の迷い子』(中央公論新社)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)、『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』(三賢社)、『冗談音楽の怪人・三木鶏郎』(新潮新書)、『東京いつもの喫茶店』(平凡社)、『大東京のらりくらりバス遊覧』(東京新聞)などがある。『大東京のらりくらりバス遊覧』の続編単行本が2021年2月下旬、東京新聞より発売された。
- なかむらるみ
- イラストレーター
1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。
https://www.nakamurarumi.com/
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