その女性は生まれた時、息をしていませんでした。

その影響で体を動かすことも話すことも自由にできなくなりました。
それでも10年前、周囲の反対を押し切ってひとり暮らしを始め、
私はその第一歩を取材しました。

去年、神奈川県で障害者19人が殺害される事件が起きたあと、
私はどうしてもその女性に会いたくなりました。
ある言葉が心に引っ掛かってしかたがなかったからです。
(報道局 牧本真由美記者)
※2017年月5月25日にNHK News Up に掲載されました。

10年前 私が出会った女性

その女性は中原和夜さん。山口県で暮らしています。
中原さんは、重度の脳性まひです。
手足がかたまり、筋肉も常に緊張しています。
へたり込むように座ることしかできません。
理解力はあるものの、すぐにことばは出せません。
体を震わせ絞り出すように、声を出します。

なので、幼い頃からずっと施設の中での人生でした。
多くの介助者がいて、安心だからです。

生まれてから30年以上、
中原さんの暮らす世界は施設の中がほとんどすべてでした。

せっかく生まれてきたのだから

10年前、私と初めて出会った日、
中原さんが言いました。
当時、中原さんは34歳。

「せっかく・生まれて・きたの・だから、外の・世界を・見てみたい」

“外の世界”とは、
私たちが普通に暮らす社会のことです。
中原さんは10年近くひとり暮らしをしたいと訴え続けていたのです。母親も医療者も心配して大反対してきました。
それでも、「1度きりの自分の人生、生き方は自分で決めたい」と
諦めませんでした。

一変した生活

NPOが中原さんに協力してくれることになり、
私は施設を出る第一歩を取材をしました。
NPOの代表も障害があり、車いすで生活しています。

「どんな重度の障害者だって自分の希望どおりに生活する、
これはもう人として当たり前の権利です」

代表はそんなことを語りました。

中原さんは生活保護を受けNPOが用意した
小さなアパートに住むことになりました。
黙っていても誰かがサポートしてくれた生活は一変しました。

例えば食事。
食べたいものを自分で考えてヘルパーと一緒に買い物に行きます。
さらにヘルパーに「にんじん4分の1を角切り、塩5振り」などと
細かく伝えて自分の意志で味をつけるのです。
取材した日、想像以上に辛いカレーができてしまいました。
「からいぃ~!」と、
一口食べて叫んだ中原さんの顔はうれしそうでした。

“普通”に暮らしている人には当たり前のことが、
大きな壁だったり喜びだったりしていました。

あの殺傷事件

今から10か月前、去年7月26日、
神奈川県相模原市で障害者19人が殺害される事件が起きました。

逮捕されたのは施設で働いていた元職員。
「障害者は不幸を作ることしかできない」と話していたと聞きました。

私は中原さんに会いに行きたくなりました。
“不幸を作ることしかできない”という言葉が
心に引っ掛かってしかたがなかったのです。

10年ぶりの再会

連絡を取り会いに行きました。
住んでいたのは以前とは別のアパートでした。
1日11時間ヘルパーの支援を受け、いまも1人で暮らしていました。

変わったのは部屋に3匹の猫がいたことでした。
路上で弱って動けなくなっていたところを助けたのです。
そしてその猫が原因で住まいを追い出されたこともあったようです。
それでも助けた猫のために、苦労して別の住まいを見つけました。
中原さんはそういう人です。

“かなえた夢”

手が硬直しているので猫をなでることはできません。
えさは足の指であげていました。

「小さい・ころ・からの夢・は、動物園・の・飼育・係。夢が・かなった」

背筋を伸ばし、笑顔で言いました。
自分の意思で生き方を選び、自分なりの夢をかなえていました。
小さなことと思うかもしれませんが、料理の手順も、
10年前と比べてうまく伝えられるようになっていました。
10年前はひとり暮らしに大反対だった母親は、
いま、応援してくれるようになったそうです。

悩んでばかり でもそれが

横に座っていまの気持ちを聞いたら、
「自由・だけど・難しい。ひとり・は・さみしい。
これで・良かった・か、悩んで・ばかり」
と、時間をかけて答えました。

私は自分が、中原さんが頑張る姿ばかりをとらえようとしていたのだと思いました。月並みなことばだけれども、障害があることで現実は厳しいのだと思いました。
ただ、少し間を置いて次の言葉が続きました。

「でも・それが・しあわせ・で・・・たのしい」

人生は不公平だけど

私は、人生は不公平だと思っています。
努力ではどうしようもならないことが突きつけられるからです。
「どうして自分だったんだろう」という思いの連続です。

生まれながら、重い障害がある中原さんも、
“なんで、なんで、どうして”と思うことがあるはずです。

ただ中原さんは別れ際に、
「これ・が・わたし・の・じんせい。
たいへん・だけど・これが・・・じんせい」と笑顔で言いました。

不公平な人生に見えても、それが不幸かどうか、
人が決めつけられるものではないと感じました。
相模原市の事件について、
中原さんのことばは「人生を勝手に奪って許せない」でした。

“生き方を選ぶ権利は誰にでもあって、
それを奪う権利は誰にもない”という当たり前のことも
再会して強く思いました。

中原さんは笑顔で送り出してくれて、
「出会えてよかった」という幸せな思いを今回も私にくれました。
次の再会を誓って私たちは別れました。

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