第26代継体天皇の皇后・手白香皇女(たしらかのひめみこ)について、草の実堂(史実に基づく深掘りコンテンツを中心に、知的好奇心を満たす情報を発信する歴史・雑学専門メディア)の記事がヤフーニュースになっていました。
現皇室の血をつないだ知られざる女性「手白香皇女」秘められた古墳の謎【ヤフーニュース】
(追記 リンクが開けなくなっているようです。宜しければ同様の記事をご覧ください。10:00)
(追記 いまリンクを開いたところ、読めるようになっていました。17:00)
第6回 皇統の断絶を救われた継体天皇と手白香皇后【京都宮廷文化研究所】
概要
・第26代継体天皇は『日本書紀』では越前、『古事記』では近江を治めていた王族で、先帝・第25代武烈天皇とは4親等以上離れた応神天皇の5世孫
・「ヤマト王権とは無関係の地方豪族が、実力で大王位を簒奪したのではないか」という議論が現在まで続いている
・第26代継体天皇は先帝・第25代武烈天皇の同母姉(どうぼし)で第16代仁徳天皇の四世孫「手白香皇女(たしらかのひめみこ)」を娶り、応神系統の血統がかろうじて継承
・手白香皇女の存在なくしては継体天皇の即位が危ぶまれただけでなく、その後の天皇家における皇統の維持にも大きな影響を及ぼしたことは間違いない
・「手白香皇女」こそ現皇室にとっての始祖的存在であり、その重要性は計り知れない
どなたでも気軽に読めるヤフーニュースにさえ、「手白香皇女(たしらかのひめみこ)」こそ現皇室にとっての始祖的存在、すなわち女性によって皇統が継がれてきたことの重要性が報じられています。
今回の記事をヤフーニュースに提供した草の実堂は、7月には-「闕史八代(けっしはちだい 欠史八代)」の天皇は神話上の存在で実在しなかったと考えるのが一般的-とも伝えてくれていました。
『愛子天皇論3』をお届けいただき、麗しき御影を日々、拝しているはずの国会議員は、そろそろ安定的皇位継承のための唯一の方策とは何かを悟ってもいいはずではありませんか?
「愛子天皇への道」サイト運営メンバー まいこ
6 件のコメント
まいこ
2025年9月26日
いまリンクを開いたところ、読めるようになっていました。
宜しければご覧ください。
mantokun
2025年9月26日
Yahooニュースのほうはエラーが出てしまいますね…。何か問題が出てるのかな?
まいこさん、いつも興味深い記事のご紹介ありがとうございます。継体天皇の即位1500年は2007年だったのですが、その頃は福井新聞が大型特集連載を組んでいました。ただ、福井県民には足羽山の顔デカ像(笑)で知られる継体天皇も世間一般ではそれほど知名度が高くなく、当時はご即位1500年よりむしろ、57歳で地方から出てきて即位した遅咲きの天皇として、団塊世代へのアピールに使われていたインパクトのほうが大きかったように記憶しています。
これも「バカでもわかる女性天皇の歴史」の感想とつながりますが、やはりその時代の状況の空気や流れで歴史の解釈は変わりうるものであり、手白香皇女にスポットが当たり、彼女こそ皇統を繋いだ始祖という歴史解釈が生まれてきたのは、当代に愛子さまという女性天皇になり得るご存在がいらっしゃり、国民の敬愛と注目を集めていることと無関係ではありません。
愛子さまは手白香皇女のさらに上を行き、ご自身が皇位を継ぎ始祖となるべきカリスマ的な皇女だと思っています。
まいこ
2025年9月26日
リンクが開けないとのこと。情報ありがとうございます。
宜しければ同様の記事をご覧ください。
https://kyoto-kyuteibunka.or.jp/column/1846/
百式改
2025年9月26日
草の実堂さんのページが開けなくなてますね。
殺到したのか攻撃されたのか。
SSKA
2025年9月26日
元の記事が繋がりませんが。
大王の位に男が優先されたのはこれより前の時代、倭の五王から続くシナとの外交関係によるものが大きいのか、国内基盤も安定せず揺らいでいた様に見えます。
残る記録を基にすればこの時代から凡そ100年前後経た後に推古天皇が在位し、当時最大の王朝であった随に屈しない史上初の偉業を成し遂げるのを見れば、ここ数百年の価値観の変遷と我が国を誇る意識の芽生えの成長が目覚しいですね。
歴史を振り返れば必ず混乱と安定を繰り返すのは自明の事ですが、節目において嫋やかに束ねられたのは果たして何方の力によるものなのか、現憲法の国民統合に近いと言える概念を過去からも全く見出す気のない男系の主張に何の意味もないですよ。
突撃一番
2025年9月26日
義江明子氏ですら、継体天皇は元々「畿内周辺部で勢力を蓄えた豪族」であり、当時スタンダードだった「群臣推戴」というシステムによって、豪族からの支持を得て王位に就いたと分析しておられます。
(『女帝の古代王権史』p45)
当時はまだ、婚姻と血統で繋がる「王族」すら、形成される前段階だったようです(前掲書p47)。
男系派はよく、「皇統外の男を皇室に入れてはならない。だから女帝は生涯未婚しかあり得ない!」みたいな事を言いますが、歴史を振り返ってみれば、パンピー男が皇族どころか、「天皇」になっとるやないか!!
持統天皇期の天孫降臨神話成立も然りですが、皇統のターニングポイントは全て、「女」から始まると言っても過言ではありませんね。
手白香皇女を、「世襲王権の始祖」と見なしてもいいぐらいだ。