賛否が分かれるエスカレーターの乗り方。「言いたいことはわかるけど止まれない」という人も多いのが現実です。
であれば、「思わず立ち止まる方法はないか?」という発想で取り組んでいる大学生たちがいます。信じるのはデザインの力です。
それは「足の形」
2018年12月1日から、東京・品川区のJR目黒駅に隣接する商業施設で、あるユニークな試みが始まりました。
上りのエスカレーターのステップには2組の白い足形が、垂直な面には歩いてのぼる人に赤い斜線のデザインが施されました。
デザインによって、思わず止まって乗ってしまう効果を狙った試みです。
考案したのは文京学院大学の学生たち。エスカレーターの乗り方の習慣を、デザインで変えていこうと去年から取り組み始め、今回が2回目の挑戦です。
リーダーで3年生の橋本知佳さん
「2020年に向けて、日本語のわからない外国人も含めて、自然と止まって乗るようになるデザインを考えました。意見をもとに改善点を考えていきたいです」
それは学生の「気づき」から始まりました
ゼミの風景です
きっかけは2年前、経営学部の新田都志子教授のゼミで、当時のリーダーの佐久間百花さん(4年生)の発言でした。
佐久間さんは通学で使う駅のエスカレーターで、右側を歩く人たちにスペースを空けるため、止まって乗る人が左側で渋滞しているのを見て、「輸送効率が悪くて困る」と話したのです。
「私もそう思う」」「でも歩きたい」学生の間で議論が盛り上がりました。現実に起きていることを調べ、なぜそうなっているかを深く分析することはマーケティングにも通じるとして、そのままゼミの研究テーマになりました。
「正しいのに広まらないのはなぜ?」
学生たちはまず、エスカレーターメーカーや業界団体にヒアリングをしました。
すると「転倒や転落を防ぐために立ち止まって乗るのが本来の正しい乗り方」で、「手すりにつかまることを徹底させたい」と考えていることがわかりました。
またエスカレーターの利用者に聞き取り調査をすると、けがや障害が理由で手すりにつかまって立ち止まって乗りたい人が少なくないこともわかりました。
一方で学生たちが驚いたことがあります。
業界団体では2009年から、正しい乗り方を呼びかけるポスターを作成するなどして、キャンペーンを行ってきたというのです。
これがそのポスター!
そんなにも前から呼びかけているのに、広まらないのはどうして?
情報の伝達の仕方に問題があるんじゃない?
商品の価値をきちんと伝えることを研究する、マーケティングにも共通する課題が見えてきました。
この呼びかけ、届いてないよ!
学生たちはまず、このキャンペーンのポスターについて、WEBでアンケートを行いました。
その結果、ポスターを「見たことがない」「覚えていない」と答えた人は66%にのぼりました。貼り出す枚数が少なく目立たないことが原因と見られます。
66%に伝わっていないという結果でした。
さらにポスターのデザインだけを見て内容がわかるかどうかを尋ねたところ、 83%の人が「伝わっていない」と答えました。
「男性が右側乗車で、女性が左側乗車って意味?」と尋ねられるケースもありました。
学生たちが出した結論は、「この呼びかけ、届いていない」でした。
マーケティングの手法を使おう
目標は明確になりました。エスカレーターで広まった長年の習慣を変えることです。
大切なのは、消費者が思わず手にとって商品を買ってしまうように、エスカレーターの利用者を自然なかたちで誘導すること。
禁止的な表現や強制的な言葉は有効的でないばかりか、かえって反発心を喚起させる側面もあるからです。
そのためには文章ではなく、分かりやすいデザインを考案しようというアイデアも生まれました。
学生たちの好奇心とマーケティングの考え方が、エスカレーターの課題解決に向けた新たな視点をもたらしたのです。
「おみくじ」とか「氷河」とか
思わず立ち止まってしまうデザインとは?提案されたデザインは80種類を超えました。
例えばこれは、「おみくじエスカレーター」。
確かに立ち止まってしまう、かも
ステップがおみくじになっていて、大吉や小吉などが次々と出てきます。思わず足を止めてステップを見てしまうというねらいです。
ステップに、割れそうな氷河を描いたデザインもありました。
ペンギン?
歩くと氷が割れてしまい、怖くて立ち止まってしまう効果をねらったそうです。どちらも斬新で大胆ですが、「ボツ」でした。
制作してくれる企業を探そう
デザインとともに苦労したのが、実際にエスカレーターに描いてくれる企業を探すことです。学生たちは200を超える企業に掛け合いましたが、「前例がない試みで、事故が起きた場合のリスクを負いきれません」といった回答が続いたそうです。
そんな中で協力してくれたのが、冒頭で紹介した商業施設「アトレ目黒」でした。
JR目黒駅にあります
「小さな子どもやお年寄りも利用する施設で安全に乗ってほしい。熱心な学生さんたちに応えたい」というのがその理由でした。
オノマトペのチカラ
デザインを巡ってはユニークなアイデアが採用されました。「オノマトペ」の活用です。
「キンキンに冷えた飲み物」とか「サラサラの髪」といった、状態や動作などを音声で模倣した擬態語のことで、その語彙の豊かさは日本語の特徴でもあります。
理屈ではなく人々の感情に訴えるオノマトペを使えば、思わず止まって乗るのではないかと考え、できあがったのがこのデザインです。
「ぎゅっ」「ぎゅっ」?
淡いオレンジ色をしたエスカレーターの手すりに、ウサギや豚のかわいらしい顔と「ぎゅっ」というオノマトペが描かれています。
リーダーの佐久間百花さん
「思わず手すりをつかんで、そのまま止まって乗ってしまう効果が得られるのでないかと期待しました。協力してくれる企業からも、恐怖心や強制感を感じさせるデザインではないものを要望されていたので、そうした点からもこのデザインはいけると思いました」
テストの結果は
デザインは去年10月に約1か月間、実際のエスカレーターで試されました。その結果、手すりにつかまる人は以前に比べ7.5%増えた一方で、歩く人は10%減ったことが確認されました。
みんなつかまってくれてる・・・
文京学院大学 新田都志子教授
「利用者の心理に訴えかけるかわいらしいデザインは、やはり一定の効果があったなという気がしました。ただ、最終的には両側に立ち止まってほしいので、手すりだけではいけないということも話し合いました」
ゼミのメンバーも入れ代わった2年目の今年、新たな学生たちが注目したのは、手すりではなく“足元”でした。
調査の結果、エスカレーターの利用者が見るのは「足元のステップ」が最も多く、次いでステップの垂直の面であることがわかったからです。
また前回のデザインが少しわかりづらいという指摘も考慮しました。そうしてできあがったのが、冒頭で紹介した足形のデザインなのです。
こんどは足形!
新しいデザインについてNHKでもテレビやネットで伝えたところ、多くのコメントが寄せられました。また、ビジネスマンなどが読むニュースサイトにも引用され、反響を呼びました。
一方でこんな意見も寄せられました。
起きたか?化学変化!
今回のデザインについて新田教授は、「柔らかに訴える1年目のデザインからすると、訴求力が強まりわかりやすくなった分、反発を招く側面もあるのではないか」とも感じたそうです。
でも、いろんな意見がたくさん寄せられたこと自体、これまでの習慣になんらかの化学変化を起こしつつある証ではないでしょうか。
新田教授と学生たち
マーケティングの視点から訴えるエスカレーターの乗り方改革に、これからも注目していきたいと思います。