「推し活」を十把一絡げに肯定するのそろそろ止めません?
どうも。特にファンである芸能人はいなくていまいち各種話題に親近感を持てない46歳のオッサンです。アイドルを取り扱ったソシャゲを提供するゲーム会社にいたときも温度差で台風が生まれるんじゃないかと思いました。
さて、最近結構な歳になった身内からこんな相談を受けました。「アイドルの推し活にハマってきたけれど、気づけば自分には仕事以外になにも残っていない。むなしくなってきた」
ショックです。独身であっても本人も気にしていないように見えていましたし、だからこそ、この告白には正直、困惑しました。正直にいいます。「今更かよ。お前、周囲から懸案事項にされたときもウザかっていたじゃん。誰にも迷惑かけていないとかキレていたじゃん。」とはいえ、身内ですし無下にもできません。困った。
「推し活」にもいろいろあるんじゃない?
いまや「推し活」という言葉は日常にあふれています。推し活全般を否定するつもりはありませんが、アイドルや芸能人への推し活は仕組み的に「搾取」に近い構造を持っていると思っています。なので、推しの対象は色々ありますが、推し活として一括りにしてそれを肯定する最近の風潮に危ないものを感じています。
なぜアイドルの推し活は「搾取」されやすいのか
私がそう考える理由は、スマホとSNSを基盤にした以下の仕組みの巧妙さにあります。
背景1.スマホユーザーの重症化
コンテンツ漬にされる消費者
スマホによりコンテンツを途切れなく浴び続ける環境が整いました。
気がつけば24時間推しの情報に触れられる状態です。そして実際、常に時間があいたらすぐにスマホを見る人たちが観測されています。覚えありますよね?
ファンはアプリからの通知などが来なくとも、自ら情報をとりにいきます。加えてブラウザもユーザーが興味ある情報を分析したうえで、広告やおすすめコンテンツを優先的に表示するようになっています。そうした流れを自分で遮断しない限り、コンテンツ漬にされるようにできています。
背景2.高いSNSとの親和性
エンゲージメントの強化とコミュニティ形成
SNSは低コストで情報発信、ファンの囲い込みが可能です。タレント自体のプロモーションも簡単に行えることはもちろん、プロモーションを依頼する企業アカウントやECサイトにファンを流し込むことができる。反応が増えることでプロモーション効果は高くなり、さらにその効果が明確に把握できる。
さらに、ファン同士のコミュニティも形成され、抜け駆けや過度な接触をしてしまうファン同士をけん制つきで互いに監視させつつ、ファン同士の接触もあるため実生活での孤独を埋めてしまう疑似的な連帯感を与えます。さらに、アイドル本人のアカウントがたまにレスポンスをするとファンは「つながっている」と錯覚しやすくなります。更にファン一人ひとりが投稿することでSNS上でのコンテンツが生成され更なる注目度が得られます。
背景3.マネタイズの多様化
背景1、2と組みわせたシームレスな購買導線の創成とSNS単体での課金体制とファンの競争意識を煽る
リアルなライブで販売していた物販や、インスタやXのアカウントからECサイトへの流し込みが上記の1と2で飛躍的に可能になっただけでなく、少額からでも可能な課金で承認欲求を煽ります。
従来のライブへの参加以外にも、最近は配信でのギフト機能などで課金されることが可能です。配信での課金はそのまま推しの収入になる感覚があり、財布の紐を緩めます。低所得層から高所得層まで、時間さえあればそれぞれの所得に応じて課金させられる仕組みです。
配信以外にも、プロモーションもSNSを通じた誘導をするだけでなく、自分の課金をSNSで公開することで承認欲求が満たせるように工夫が凝らされてます。
身内びいきかもしれませんが、調べていたら骨までしゃぶるような仕組みに戦慄しました。あんなもん「推し活」などというキラキラした言葉でラッピングしていいものじゃないと思います。以下に色恋営業で身を滅ぼされる客が大量発生して社会問題になったホストクラブとの類似点を並べます。
「搾取の代表格」のホストクラブとの対比
ホストクラブとの類似点
ライブ配信の課金はランキングで可視化され、更に誰がいくら課金したのかが判り、それにより推しが配信中にその課金ユーザーの名前を呼んでお礼を言います。などで承認欲求を満たします。
ホストクラブでのお金の落とさせ方によく似ていますね。自分の推しをランキング上位に持っていきたい、他のユーザーに自分が課金したこととそれに対するリアクションが取られたことを見せつけたい。そして、いくら課金したところで、その推しは自分のものにはなる日は来ないのでいくらでも課金させられる。
ホストクラブより危険な点
1.社会的に肯定される風潮
もはや趣味の代名詞として用いられているくらいに「推し活」という言葉は社会に浸透しています。「推し」はさまざまな対象がある一方で、みんなまとめて「推し活」として肯定されています。その裏で起こっている問題について言及すると、推し活全体を否定したかのような錯覚を持たれて、そうした反応が返されてしまいます。
2.高い中毒性
24時間スマホを見ることができてしまいいつでもお気に入りのコンテンツを見られますし、スマホもユーザーが興味を持つものを分析して最新のコンテンツを流してきます。
結果、ユーザーはコンテンツ漬にされてしまいます。ホストクラブやキャバクラはホストやキャバ嬢から顧客に来店を促すメッセ―ジを流しますが、アイドルの「推し活」はユーザーが自分からスマホで見て気持ちを昂らせます。加えてSNSやそのコミュニティでファン同士のマウンティングや派閥などがあり、そこでの自分の立ち位置などもあるため、競争心が勝手に煽られます。
3.来店不要と課金の手軽さとそれゆえの長期化
ライブ配信はどこからでも参加できてしまいます。しかも一回あたりの課金はそれほど高くないため、心理的なハードルは低いです。それに加えてユーザー間の課金競争が起こります。
もう一つの恐ろしい点は、明らかに無理がある金額の課金額ではないことや、上述したコミュニティの存在により、金づるとしてのライフタイムが長期化してしまい、ファンとして(というより現実逃避としての)期間が長引き、取り戻せない時間が長引くことです。
「卒業」した後に残るもの
推しが引退したら?推しへの熱が冷めたら?
当然、残るものはほとんどありません。
「ファン同士のつながりがある」「思い出が残る」と言う人もいます。確かに一時的にはそうでしょう。でも時間が経てばつながりは疎遠になりますし、はっきり言って思い出は将来に資するものではありません。なんなら過去の楽しかった時期を忘れられずに同じようなミスをすることすらあります。
どう考えても、リアルな人間関係を軽視したり逃げ場として傾倒する価値があるとは思えません。私はどうしてもそう思ってしまいます。
そして忘れてはいけないのは、趣味にはお金だけでなく時間を費やすということ。お金はまた稼げますが、時間は戻ってきません。冒頭の身内も、気づけば友人も少なく独身のまま初老を迎えています。率直に言ってその人を相手にしてやらねばならない点で身内を巻き込むレベルでの危機です。
迷惑をかけていないから「良い趣味」なのか?
推し活への批判に対して、多くの人が「誰にも迷惑をかけていないからいいでしょ?」と返します。確かに赤の他人ならそう思います。ですが、身内や親しい人が同じ状況にいたら、暗澹たる気持ちにならざるを得ません。
私は最近、「合法ならよし」「迷惑をかけなければよし」という一見リベラルな自由な個人主義が、実は他人への無関心の裏返しになっていると感じています。人とのつながりを「面倒なもの」と切り捨てた結果が、社会全体に広がっているのではないでしょうか。あたかも一人で生きていけることは当然であるという風潮もありますが、私はジョブホッパーとして10社の多様な会社のバックオフィスで更に多様な人を見てきましたが、人はそんなに強くはないように思います。特に老いた後の自分を描ける人はそうはいません。人間関係を築くことから逃げた人は例外なく孤独が待っています。
私は自分の子どもたちに人との付き合いは宝であると教えていきたいですね。推し活に没頭するのも一興でしょう。でもその時間を、リアルな人間関係を育てるために使ったときに得られる充実感や安心感は、比べものにならないと思うのです。
まとめ
推し活は楽しいものですし、人生を彩る側面もあります。
しかしながら、その仕組みが巧妙に人を搾取する構造を持っているものもあります。お金以上に恐ろしいのは、人とのリアルな関係が面倒になったときに逃げ場になってしまい、そこを自分の居場所にし続けてしまうこと、そして時間は戻らないことです。
オッサンからの説教に聞こえるかもしれませんが、私が本当に伝えたいのはただ一つ。「人との関係こそが人生を支える最大の資産だ」ということです。
あー・・・本当に冒頭の身内どうしよう。
そもそもAKB商法が現代における推しの語源なので、搾取に近いってか搾取そのものでは…… あとどちらかというと推しはファンコミュニティーの人間関係ありきな気がしますね、コミュニティ内での承認欲求がめちゃ強いコンテンツだと思います なので「人とのリアルな関係が面倒になったときに逃げ場…