私が初音ミクを見限った理由 ~元イベンターの懺悔~
序文 ~理想と現実~
自称、世界でちやほやされる日本のモダンカルチャー。その中でも多大な実績を挙げている初音ミクは、今や日本人なら多くが知る存在となった。
初音ミクが創作を広げた、など初音ミク=創作の代表のような態度を取り続けているがその謳い文句は本当なのだろうか?正直に申し上げよう。
そのような理想像は既に過去のものとなった。
執筆わずか8時間の駄文だが、よろしければご一読いただきたい。
それぞれの立場の現状
創作の現状 〜自由という名のレッドオーシャン〜
SNSや動画配信サービスの発達に伴い、個人が世界に創作を発信できる今、創作は世界に飽和し、有象無象のものとなり、濁流となってしまった。
初音ミクの成功以降、他のコンテンツ、今で言えばVTuberもその流れに追随し、新参クリエイターの発掘というのは、ブームとともに各界隈でよく議論される問題でもある。
それは単に有名、無名というだけの問題ではない。有名であればSNSで拡散される、ネットメディアに取り上げられやすくなる、大手事務所などのバックボーンを受けやすくなる。それは創作の枠を超えて個人事業となったり、大手VTuber事務所などは3次元の芸能事務所と何ら変わらない規模になっている。
商業コンテンツ化した成功者/古参と高層ビルのようにそびえる彼ら彼女らの陰で日の光を浴びられない新参/趣味創作者。それは初音ミクでも例外ではない。
初音ミク公式 ~クリエイターをどう見ているのか?~
当初、極端な言い方をするのであれば初音ミクはクリエイターの道具であった。クリエイターは初音ミクを使い、自分の思うように創作をしていた。
確かに昔ながらの創作も未だに根強い。しかし、創作が氾濫することで、かえって初音ミク公式として取り上げることが年々難しくなってしまった。
更に、プロとなったクリエイターを支える為の特に大きな受け皿が初音ミクとなった結果、受け皿が大きくなるほど、他の創作を不可視化する効果が大きくなってしまった。
今、初音ミクや初音ミクのイベント、各コンテンツを動かすためにだいたいのイベントはクリエイターに仕事を依頼している。悪い言い方をすれば目に見えやすい範囲ではクリエイターが初音ミクの道具になってしまった。そして、皆がちやほやするのは、そうして作られたイベントなのである。
イベンター界隈 ~自己顕示欲の成れの果て~
初音ミクの拡大とともに初音ミクのイベントも増え、並行して推し活ブームが到来した。リスナーを経由していない、イベントから入ってきた人間が増え始めたのもこの時期である。それはリスナー文化を、本当の創作の多様性を知らないと共に、推し活文化の自己顕示欲も相まって初音ミクを道具に輪を作りたいだけなのだ。
しかも、この界隈の悪しき風習は自己顕示欲にとどまらず、自分の世界を他人に強要し始めた。自己ルールを作り、あるいは自分の感性だけを押し通し、それは他人の感性を、創作の種を否定する行為でしかない。
そんな他人の勝手マナーを叩く人間に限って、去年まで全6公演チケットを取っていた分際で今年は取れないと不平を口にする。
誰しもが自分の望む世界のために他人を平然と否定する世界であり、そこに本当の創作が芽生えることは決してないのだ。
では具体的に何が起きたのか?何をやってきたのか?
マジカルミライ 〜初音ミクの商業化の元凶か?〜
初音ミク最大のイベント・ライブであるマジカルミライ。当初は、初音ミクの捜索を集めた、正真正銘の創作の祭典であった。
しかし、その拡大と商業的成功は創作への還元ではなく商業ビジネスの拡大、マジカルミライの拡大へと舵を切った。ここ数年、マジカルミライというものは、それっぽいテーマを決め、それっぽいテーマ曲が出てきて、それっぽいグッズ展開やコラボが様々な企業から展開される。
そしてライブの成功を見越してライブ前にライブのブルーレイの発売が発表される。
「創作で繋がる」と謳うが、その主語は創作ではなく、イベントを通してイベンターが繋がることになったのではないか?その創作は、このイベントは他の商業コンテンツと何ら違いはあるのか?
近年では同人即売会も併設しているので一方的な商業コンテンツじみた傾向は若干改善された。即売会に入るにも発売即売り切れの前売券か、当日昼過ぎにようやく解禁され数も保証されない当日券が必要なことを除けば。
余談だが、ミライという割に演出や宣伝に過去の実績を持ち上げるのは皮肉でしかない。
広がるイベント ~マジカルミライの悪しき成功体験~
そうしてマジカルミライが商業コンテンツとして成功し、拡大するとともに他のイベントも商業コンテンツ色を強めていく。
コラボレーションの名の下に、生まれの北海道では「雪ミク」というスノーホワイトのキャラが生まれ、マジカルミライと同等の商業コンテンツとして表向き成功している。
「桜ミク」という桜の花を象った初音ミクも近年青森県弘前や北海道函館との繋がりを強めている。
その他にも拡大した商業コンテンツとしての初音ミクは、関連企業やイベンターの依存を生み、それが形式上の創作でも打ち切れないものとなり、悪循環を生み出したのだ。
初音ミクシンフォニー ~世界は広がらない~
初音ミク楽曲をオーケストラ編曲で楽しむイベント、初音ミクシンフォニー。ただオーケストラ編曲するだけではなく、東京フィルなどの本物のオーケストラ楽団が演奏する、楽曲が初音ミクであるということ以外は本物のオーケストラコンサートである。
ドレスコードを強要こそしていないものの、公式の注意書きでもドレスコードを楽しむという文化に触れている。しかし、そうした願いが通じることもなく、痛々しいTシャツに法被で着飾った人間は後を絶えず、フィナーレでテープが飛べば東京フィルの演奏中でも席を立ち回収するイベンター。
結局、我々イベンターが求めていたのは初音ミクを通して様々なコンテンツを巡ることではなく、例えその世界本来の姿を踏みにじってでも、初音ミクというミームで汚染された世界を楽しむことなのかもしれない。
ミクフェス24春 ~創作の否定の始まり~
2024年春に試行された公式によるDJ方式の大規模ライブ。この5年10年ほど、そうしたライブが無かったが故に、このスタイルが定着することを願っていた。それが実を結ぶことはなかった。公式も、我々イベンターも、全員で新たな芽を踏みにじり、枯らしたのだ。
準備期間が無くとも金欲しさに強引にグッズを売ろうとしたのか、今まで単品で売ってたグッズを強引にくじ=ガチャ方式にして買わせた公式。
作曲者(ボカロP)が出演するという断り書きがされていたにも関わらず初音ミクを観ることだけを目的に、初音ミクを生かしているボカロPの出演にSNSではブーイングすら浴びせたイベンター。
クリエイターや作品への敬意なく、ただ全員が自分の欲求だけを求めた結果の地獄絵図。それは創作への侮辱であり、否定ではないのか。
結局初音ミクとは何なのか
そもそも初音ミクの功績は何か
初音ミクが今の創作世界を作ったのか?一部事実にしても、過大評価されていることは間違いないだろう。
そもそも初音ミクは何をしたか?初音ミクというキャラクター自体が何かしたわけではないのだ。
キャラクターライセンスを条件付きで緩和開放した先駆者であること
同様に、成果物のライセンスも条件付きで緩和開放した合成音声ソフトであること
1,2の双方を満たす初めての存在であること
これにクリエイターが集まって、動画配信サイトやイラスト投稿サイトを母体に創作が拡大した、というのが初音ミクの草創期であった。クリエイターやWebサイトなしに、初音ミクは先駆者にはなれなかった。
先駆者という地位だけで維持する現状
初音ミクの成功を見て、他のメーカーも音声合成ソフトに参入したり、キャラクタービジネスでも二次創作を公認し始めた。そうして初音ミクは唯一ではなく、先駆者以外の何物でもなくなったのだ。
その頃か少し前か、名をあげたクリエイターは個人事業主として独立できる実力にあったが、それを支える土壌はなかった。そこに先駆者、初音ミクがいた。
こうして初音ミクは先駆者ゆえに、創作のレッドオーシャンの中で創作と商業コンテンツの狭間に挟まれることとなった。プロでも当初は確かに創作から生まれたものだった。だがそれも上で述べた現状を見るに、形骸化してしまったのだ。
初音ミクに縋る理由は無くなった
クリエイターも我々受け手も、初音ミクという偉大な存在に縋ってきた。何が偉大だったのか、間違いなくこれまでの功績と結果なのだ。それは先駆者という地位以外の何物でもない。
だが、初音ミクは先駆者以上の地位で創作に貢献することができなくなった。それは公式が、我々イベンターが初音ミクの商業コンテンツ化を望んだという理由に尽きる。
しかし作曲家もVTuberなどへの楽曲提供が増え、ついに初音ミク以外でプロとして生活を維持できる土俵ができた今、初音ミクが選ばれるとは限らない。ましてや初音ミクに提供しても、それを拡散する公式や受け入れるイベンターが上記した状態で、これからも好意的に受け止めるのだろうか?
私の懺悔
ミクフェス24という上で述べた大惨事の後、イベンター内でのいざこざもあり私はX(旧Twitter)を休止していた。ちょうどその頃、ニコニコ動画がシステムハックにより停止した一件があった。
仮説サイトが開設されて久しぶりに閲覧したそこには、初音ミクというキャラが立っていなくても聴く人がいた。名を残せなくてもコメントする人がいた。それこそが初音ミクを支えてきたリスナーの姿であった。
私は今の自分にそれができていないことを悟り、自分が典型的な悪しきイベンターであり、初音ミクの創作を壊した一員だと理解した。
そうして私はイベンターであることを捨てたが、リスナーであることをとうに捨てた私に、初音ミクというコンテンツから去る以外の択はなかった。
初音ミク界隈に今言いたいこと
君たちは初音ミクという存在に拘り過ぎている。創作をないがしろにしてでも初音ミクが生き残る道は、初音ミクが生まれた理由の否定でしかない。
初音ミク自体がこれ以上何かできなくても、初音ミクに影響を受けた誰かが創作を残し続ける、一見初音ミクと無関係に見える彼らの活動を今でも誇っていると思うが、もっと誇ったほうがいいのだ。
寿命と引き換えの無駄な足搔きで名声を地に落とすより、一過性のブームでも創作史に名声を残し消える方がいいのだ。
編集後記
本文を執筆している最中にポケモンとのコラボ企画でライブをやるという情報が入ってきた。(ポケモン公式から知ることとなった。)
ポケモン世代でポケモンが好きな人間としてこの企画が成功することを、せめて初音ミクのイベンターによって亀裂が生まれないことを切に願う。
2025年8月31日
名もなき元イベンター
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