抜け駆けラヴェンツァ編
丸喜先生のところから脱出出来て少し経ったある日。世界は誰もが幸せそうなまま、それでいてどこか僕にはノイズ掛かったように見えていた。
けれども、それでも日常はいつも通り過ぎていく。僕は今日も学校の帰り、真っ直ぐに家に戻る気にもなれず、渋谷へと足を運んでいたところだった。
「こんなところで会えるとは、また奇遇ですね徹」
何か新しい本でも、あるいは参考書でも買おうかと訪れた本屋であまり目ぼしい収穫も無いまま店外に出た僕を迎えたのは、そんな嬉しそうな声だった。
「……ラヴェンツァ?」
「覚えていて頂いたのですね」
僕の足下には、そう言って嬉しそうに笑うラヴェンツァがいた。その後ろからは、慌てたような顔で蓮がこちらに向かってきているのが見えた。
「蓮とお出かけかな?」
「はい。私がこうして大きな力の消耗も無く外に出られる機会は貴重ですから」
そう言いながら、ラヴェンツァは僕の右手を取って握り締める。
「きゅ、急に走り出したかと思えば……!」
そうして息を切らしながら僕達に追い付いた蓮だったけれど、僕とラヴェンツァの繋がれた手を見ると、目をスッと細めた。
「すみません、徹の姿が目に入ったものですから」
「その割には走り出すのが早かったけど」
僕と繋いだ手をゆるゆると振って嬉しそうに話すラヴェンツァと、どこか冷たい雰囲気を漂わせながらそんなラヴェンツァを見下ろす蓮。二人に挟まれた僕はどういう顔をすれば良いんだろうか。
「二人でどこかに出掛けてたんだね」
「迷惑を掛けた。ラヴェンツァは連れて行く」
僕が声を掛ければ、蓮がラヴェンツァの空いている方の手を掴んで引っ張る。しかし、ラヴェンツァは僕の手を離さないままなので、僕も引っ張られることになった。
「せっかく会ったのですから、少しお話をしても良いでしょう?」
「……むぅ」
「むしろ、ちょうど良い口実が出来たと思いませんか?」
「……取引?」
「はい」
蓮とラヴェンツァのそんなやり取りがあったかと思えば、蓮は僕の方へと向き直る。
「ラヴェンツァがもう少し話したいみたい」
「構わないよ。どこか座れるところに行こうか」
この辺りなら僕のお気に入りのカフェもいくつかあるからと言えば、蓮とラヴェンツァもそれで良いと頷いてくれた。僕としても時間を潰そうと思っていたところだし、彼女達と話せるのならちょうど良いと歩き出す。ちなみに、お店に着くまでラヴェンツァは僕と手を繋いだままだった。
「カフェオレにしたけど、良かったかな?」
「はい、構いませんよ」
そう言ってラヴェンツァはテーブルに運ばれてきたカップを興味津々に眺め始めた。僕と蓮の前にもコーヒーの入ったカップが置かれている。
「そういえば、カロリーヌとジュスティーヌはハンバーガーでしたね」
「二人から聞いてるんだったっけ?」
「はい、楽しそうだったので、私も憧れていました」
確かにあの双子ともこんな感じで話したことがあったっけと思い出す。あの時は僕の飲んでいたコーヒーをジュスティーヌに奪われたんだったか。苦かったようですぐに返されてしまったけど。
「カフェオレは甘くて美味しいですね」
ラヴェンツァはと言うと、カップを傾けてほうと息を吐いていた。どうやらお気に召したらしい。一緒に運ばれてきたクッキーも摘まんでいる。
僕はラヴェンツァの隣でコーヒーに口を付けている蓮の方へと視線を移した。
「ここのコーヒーは個人的には好きなんだけど、どうかな?」
「うん、ルブランには敵わないけど美味しい」
「流石に佐倉さんのところには敵わないだろうね。今は僕もあそこが一番美味しいと思ってるし」
ただ、このお店も中々良いと思うのだ。店内も騒がしくないし、読書をする為に一時期通っていたこともある。アルバイトのお陰でここに通うくらいには懐に余裕もあったし。などと他愛もない雑談に興じる。最初は何故か胡乱な目つきをしていた蓮だったけれど、気付けばその表情から険は取れていて、ラヴェンツァも交えて楽しそうに話していた。
「……ところで、どうしてラヴェンツァはそこまで徹に拘るの?」
しばらくして、蓮は不思議そうな顔でラヴェンツァへと問い掛ける。それについては僕も気になっていたところだ。
「確かに、初めて会ったのはクリスマスイブの日だったっけ。その時から僕のこと知ってたよね? 何故か手も繋いできたし」
「……そういえばそうだった」
僕の言葉に、蓮の目がまたスッと細められて僕を貫く。余計なことを口走ってしまったかもしれない。
「ベルベットルームで会ったイグの影響?」
「きっかけはそうであることは否定しません」
蓮の口にするベルベットルーム、というのはよく分からないけれど、イグという名前は聞き覚えがある。丸喜先生のところに連れ去られていたときに出会ったもう一人の僕。彼と蓮達もまた別の場所で顔を合わせていたのだろう。
「確かに彼の者と繋がりの深い徹は、私から見ると主様に近い雰囲気を持っている。けれど、それだけでなく徹は温かい人ですから。双子のときも、無意識に甘えられるくらいには」
「……イグの影響だと言ってくれた方がまだマシだった」
ラヴェンツァの言っている内容はいまいち掴み切れていないけれど、蓮にとっては十分に理解の出来ることだったらしく、右手を額に当てて深いため息を吐いていた。
そしてラヴェンツァの方はそれを見ても気にする事無く、僕の前に置いてあるクッキーの載っているお皿に目を留めていた。
「徹、良ければそちらのクッキーも一枚貰っても? 味が違うのか気になります」
「ん? 構わないよ」
僕がそう言ってお皿を彼女の前へと滑らせようとすると、ラヴェンツァはふるふると首を横に振り、僕の方へと小さな口を開けてみせた。そしてちょいちょいと人差し指で口を指すその仕草に、何を意図しているのかを察した。僕はお皿からクッキーを一枚取り上げると、それをラヴェンツァの口元へと運ぶ。彼女は楽しそうにクッキーを口で受け取った。
「フフ! 美味しいですね。手ずから食べさせてもらうと一層」
「そういうものかな……?」
「な、な……! なにをしてる……!?」
楽しそうなラヴェンツァとは対照的に、蓮が目を見開いて僕とラヴェンツァを交互に見やっていた。ラヴェンツァの方はと言えば、そんな蓮を横目にクスクスと笑う。たまに外見からは想像が出来ない表情を見せる子だなぁ。
「ん、以前はあなたからポテトを頂いたので、今日は徹からクッキーを頂きました」
「……宣戦布告と受け取った」
「そう言われるのであれば、蓮も同じことをすれば良いのでは?」
「!? ……いや、それは」
そして二人して顔を寄せ合って何かを囁き合ったかと思うと、蓮は何故か僕の方をチラチラと見ながら最後には両手でカップを持ち上げて顔を隠してしまった。何を話してたんだろうか。
「こんなところでも会えるとは、嬉しい偶然もありますね」
「本当に偶然かなぁ?」
ラヴェンツァとの再会は、思っていたよりもすぐだった。蓮も含めた三人でカフェに行った翌日、帰り道でふと季節外れの蝶が目の前を過ったような気がして、思わず目で追った先に立っていたのが彼女だ。
「今日も蓮とどこかに出掛けていたのかな?」
「いいえ、今日はトリックスターは別の用事があるみたいでした」
なので、私一人で会いに来てしまいました、と言ってラヴェンツァは優雅なカーテシーを披露する。
「よろしければ少しお話でも如何でしょう? イグ、と呼ばれる者について私が知っていることで良ければお話し出来ますよ?」
「それについては気になるけど、聞こうとは思わないかな」
自然な動作で僕の右手を取ったラヴェンツァと連れ立って歩きながら、僕は彼女の提案を申し訳ないと思いながら断った。
「気になっているのではないのですか?」
「気にはなるけどね、それを君の口から聞くのも違うのかと思うんだ」
イグは僕と同じ姿をしていたし、僕の一部を映す存在なのだとしても、僕は彼とは違うと言った。そして、一人の人として彼の名前を聞いたのだ。
「だとしたら、ちゃんと友達になってその人の口から、その人のことは知りたいじゃない」
「そういう、ものですか」
「少なくとも、僕は人づてに聞いた噂だけで、友達を判断したくはないよ。自分の目で見て、自分の判断で天秤を傾けるんだ」
キョトンとした顔で僕を見上げるラヴェンツァに向けて、僕はそう言った。簡単に言ってしまえば、僕は頑固な人間なのだ。自分が見たものを第一とするような頭の固い人間とも言えるだろう。それを伝えれば、ラヴェンツァはどうでしょうと言って柔らかく微笑んだ。
「その在り方によって救われた人間は多いと思いますよ」
「そうだったら嬉しいね」
「ええ、やはりあなたは父なる蛇に見出されるに相応しい方でした」
彼女の口ぶりからすれば、それはイグを指して言っているのだろうとは分かるけれど、あえて深く聞くことは止めた。そうして少し歩けば、ラヴェンツァが何かに興味を惹かれたのか、足を止めて視線をどこかに固定している。その視線の先を辿ってみれば、
「自動販売機?」
「そういう名前なのですか、これは?」
ラヴェンツァが見上げていたのは、日も沈み掛けて薄暗くなり始めた道に煌々とした明かりを投げかけている自販機だった。
「もしかしてあんまり使ったこと無い?」
「これまで外に出る機会があまり無かったものですから」
僕の質問にラヴェンツァは少し恥ずかしそうにそう答える。所作も気品があるし、身に付けているものも質が良さそうだからやはりどこか良いところのお嬢様なんだろうか。蓮や怪盗団の皆とも知り合いのようだけど、どういった縁で知り合ったんだろう。
イグよりもどちらかというとラヴェンツァの方が謎が多くて気になると思いつつも、僕は財布を取り出して小銭を何枚か自販機に挿入する。
「せっかくだから何か買おうか、好きなのを選んで」
「良いのですか?」
「もちろん」
僕がそう言うと、ラヴェンツァは一歩自販機に近づいてどれにしようかと視線を巡らせる。しかし、どれかを選ぶことも無くすぐにこちらに振り返った。
「その、上の方が見辛いので手伝って頂けませんか?」
「ああ、確かにそうだね。それじゃ、少し失礼するよ」
ラヴェンツァの身長だと確かに上の段に並んでいる商品を見るのが難しい。彼女が両手を僕の方に差し出しているのを見て、何を言わんとしているのか察した僕は、地面に片膝をついて彼女を迎えるように両手を広げた。
「よっ、と。これで見える?」
「はい、とてもよく見えます」
僕の首に手を回し、同じ高さの目線になったラヴェンツァは改めてどれにしようかと自販機に顔を寄せた。しばらくの逡巡の後、彼女が選んだのは温かいココア。僕も自分の分として缶コーヒーを購入する。取り出し口から商品を取り出そうと屈むついでに彼女を降ろそうとするが、ラヴェンツァは僕の首に手を回したまま降りる気配は無かった。
「折角ですし、もう少しよろしいですか?」
「それだと飲み辛くない?」
「これはもうしばらくこのまま持っていようかと。お出かけの記念に」
「冷めちゃうけど、大丈夫?」
「ええ、今はとっても温かいので」
「……なら、もう少しだけ散歩でもしようか」
「普段とは景色が違って見えて……、フフ、とても楽しいです」
こうして僕は機嫌良さげに鼻歌を歌い始めたラヴェンツァを抱えたまま、少し回り道をして帰路につくことになった。その途中、物凄い形相の蓮に声を掛けられ、ずっと意味ありげに笑っているばかりのラヴェンツァに代わって僕がまるで浮気の言い訳染みた弁解をする羽目になったのだけど。