200.第6章「平成の東映」
第8節 東映アニメの国際展開 制作編
東映アニメーションは、販売だけでなく制作においても1970年代から海外での委託制作を開始し、現在に至っては動画や背景そして仕上げ工程において東映アニメーションが制作する全作業量の約70%をフィリピンの「TOEI ANIMATION PHILS., INC.」にて行うまでになりました。
今回は、東映アニメーションの長年にわたる海外への委託制作について紹介いたします。
1.韓国への制作外注、海外制作システムの始まり
登石雋一(しゅんいち)社長時代の1973年6月、東映動画は韓国の東紀製作所と契約を締結し、演出、作画、美術パートの技術スタッフを派遣してテレビ作品の一部を海外制作する体制を構築。1973年10月1日から放映が始まった『ミラクル少女リミットちゃん』の第20話から東紀製作所が初めて制作参加します。
ここから、東映アニメーションの海外制作システムが始まりました。
その後、韓国の大元動画や世映動画、教育動画など複数の制作会社とも契約を結び、大元動画は製作のグロス受けができるまで成長します。
韓国への外注は、1980年代後半のソウルオリンピックで人件費が高騰するまで続きました。
外注がなくなって以降も、自社製作を進めた大元とは、韓国でのビジネスパートナーとして現在も密接な関係が継続しています。
2.制作業務提携先の開拓とフィリピンでの定着
人件費が高騰した韓国での制作を断念した東映動画は、新たな制作業務提携先の開拓に取り組みました。
1974年8月に東映動画社長となり海外戦略を積極的に進める今田智憲(ちあき)は、1986年8月、フィリピンの大手ゼネコン「EEI Corporation」とアニメ制作の技術提携を結びます。
EEIは子会社「Image & Film Technology Corporation(ITCA)」を創設、ITCAは東映動画から仕上げ作業を請け負いました。
その年9月には、台湾の「大願企業」、翌1987年8月にはマレーシアの「レンサメイション」、他にもタイの「カンタナ」などと提携します。
実務を通じて制作業務海外委託先の選定を行った東映動画は、タイやマレーシアなどに比べ日本から距離が近く人件費も安価なフィリピンを最終的に選び、1992年11月、EEI6割、東映動画4割の出資比率でEEIとアニメーション制作合弁会社「EEI-TOEI Animation Corp.」を設立しました。
「ITCA」を吸収発展させたこの会社が、東映アニメーション作品の東南アジアでの制作拠点となります。
3.デジタル技術研究と開発
韓国への制作の委託が始まる1973年。その年の2月、東映動画はコンピュータ研究開発室を設置、コンピューター利用の勉強会を開始します。
翌1974年2月にはアニメーションや特撮映像の調査研究と開発を目的として研究開発室を開設、アニメ監督の池田宏が課長として配属されました。
研究開発室はその年9月に開発室、1975年1月には開発部に格上げされ池田はひきつづき研究を重ねます。
1977年、コンピューターによるアニメ制作の可能性を検討する技術開発委員会が組成され、組み立て式のコンピューターキットLKIT-16を購入しました。
1980年3月には技術開発委員会の実務機関として新たに研究開発室が設置されます。
1980年6月、開発部次長に昇進した池田は、技術開発委員会研究開発室長に任じられ、コンピューターによるアニメ映像制作に向けた本格的研究を開始しました。
しかし、この時代はコンピューター技術がまだ未成熟の段階にあり、アニメ制作のデジタル化には莫大なコストがかかりすぎ、到底実用化の目途が立ちませんでした。
その過程で1985年に東映動画を退社した池田は、ファミコンを開発した任天堂に入社、初代の情報開発部長に就任します。ゲームソフトの開発の責任者として開発専門課長の宮本茂を育てるなど様々な実績を残しました。
1986年、任天堂から東映動画作品をもとにしたファミコンゲームソフト3本が発売されます。『ボルトロン』、『長靴をはいた猫』に続いて販売された『北斗の拳』のオリジナルゲームは150万本を売り上げ大ヒットしました。
池田の後、研究開発室を引き継いだ吉村次郎を中心にした研究スタッフたちは、アニメーションの制作工程へのコンピューターシステムの導入の研究を地道に続けます。
そして、日立、東芝など専門分野の企業からの助言を得つつ富士通の協力でプロトタイプシステムを制作しました。
1989年8月からは実用化に向けた実験を開始。画像処理専門の中型コンピューターを中心に、各制作工程用の端末に配する形で構築されたシステムを使い、1991年12月に10分ほどのテスト画像が完成させます。
この独自のシステムは、「CATAS(Computet Aided Toei Animation System)」と命名され、試験的な運用を行う中で、専用オペレーターの育成も図りました。
4.東映アニメーション研究所創設
1990年代に入り、アニメ制作に大きな技術転換が訪れます。
これまで使われてきたセルとフィルムがデジタルデータに代わり、「もの」だった画像は「情報」になりました。
1995年4月1日、東映動画は、アニメーションとCGのクリエーター養成及びCGなど各種映像の企画・製作を目的とした「東映アニメーション研究所」を東京・お茶の水に創設します。
来たるべきデジタル及びインターネット時代に対応できる人材の育成と技術開発を目的とした業界初の取り組みは、その後のアニメ業界を担う多くの人材を輩出しました。
5.コンピューター性能の加速度的進化によるアニメデジタル制作の実用化促進
1990年代、コンピューター技術と性能が加速度的に発達します。パソコンは高性能化と低価格化が進み、「RETAS」など高機能アニメ制作ソフトも発売されました。
東映動画は、誰にでも使え、分業による作品の大量生産が可能となるシステムの実現に向けて、これらのパソコンやソフトを使用し「CATAS」の再構築を図ります。
1996年8月、この新たなシステムを使用し、彩色から撮影まで始めてデジタルで制作したPR用映画『ゲゲゲの鬼太郎 コピー妖怪対鬼太郎』が完成しました。
翌1997年4月には外注委託にて、仕上げ工程のデジタル化の技術を使った初テレビアニメ作品『ゲゲゲの鬼太郎』第4シリーズ第64話「激走!妖怪ラリー」が放映されます。
7月放映の『あずみ マンマ・ミーア』からは東映動画スタジオでも仕上げのデジタル作業が開始しました。
ここから作業工程のデジタル化は各分野で加速度的に進んで行きます。
6.100%子会社「TOEI ANIMATION PHILS., INC.(TAP)」へ
1999年4月には、EEIの所有する全株式を買い取り、製作部長の吉岡修が社長に就任、東映アニメーションの100%子会社「TOEI ANIMATION PHILS., INC.(TAP)」と改称しました。
1999年10月、TAPと大泉スタジオを結ぶ光ケーブル専用回線が開設され、サーバーを通じスタジオ内のパソコンどうしのデータ受送信が可能となります。
アニメの制作がセル画からパソコンデータに代わったことで、大容量通信回線の開設によって大泉とフィリピン間で制作物のやり取りの速度が速くなり、送料の経費が大幅に削減されました。
東映アニメでは、これと同時にタブレットを使って描画を直接入力する作画実験も進めます。モニタとタブレットを合わせた液晶タブレットを新たに導入し、2000年10月からは専用回線を経由して液晶タブレット同士をつなげ、相手の画像修正も可能になりました。
2001年4月からは本格的に実用化し、7月にはこのシステムで作画した『ののちゃん』が放映されます。
回線のより高速化も進み、TAPでは仕上げだけでなく、作画や背景作業まで請け負うようになりました。
TAPは、現在、「美少女戦士セーラームーン」のプロデューサーだった東伊里弥が社長となり、東映アニメーション作品の作画、着色、背景などの工程のおよそ70%をフィリピンのこのスタジオで制作するまでに成長しています。
こうして東映アニメーションは、海外での作業も含め日本で最大規模のアニメ協業制作システムを構築しました。


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