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アラブの自然観、日本の自然観、西洋の自然観

ドバイに行った事がある人に聞きました。緑が申し訳け程度にしか無く、すごく精神的に疲れるそうです。一方アラブ人には大変居心地良く感じるみたいです。どうも彼らは砂漠を眺めていると気持ちが安らぐようだと。

彼らは生まれた時から砂漠で暮らしていて、その茫漠とした風景は目に親しんだものだし、その砂漠が彼らに富をもたらしてくれた。当然我々とは砂漠のとらえ方が違う。果てしなく広がる砂地の向こうに上り、落ちる太陽、それを見て心が安らぎ、またその雄大さに畏敬の念を抱く、よくよく考えればわからないでもありません。

その正反対に、日本人は深山幽谷を尊び、また神々しく感じるところがあります。でも、果たしてアラブ人の考え方と日本人の考え方は本当に正反対なのでしょうか。確かに一方が茫漠とした砂漠、一方が緑豊かな深山幽谷と見かけは全く正反。でもそれらを神々しいと考え、神性を感じるところが、対象が砂漠と深山幽谷という違いはあるにせよ、どこか共通しているような気がするのです。特に森羅万象をあるがままにとらえているという所において。

さて、西洋に移りますが、中世の宗教画(画像はフラ・アンジェリコの受胎告知)なんかご覧になって感じる方もいるとは思いますが、どうも取って付けたような感じで木々が生い茂り、花は咲き乱れ、小鳥が飛び交う。イスラエルに行ったことがありますが、そこはシナイ半島、砂漠の国、木々が生い茂り、花は咲き乱れるなんてジェリコ(エリコとも読む、北海北西部のオアシス)くらいしかない。エルサレムだって現在でも茶色っぽい世界。昔はもっと、と思う。

イスラム教がキリスト教の旧約聖書を「完全無欠」と、また新約聖書を「真理を照らす光」とみなしていることからも基本的にキリスト教とイスラム教は同じ土壌の上に成立しています、これは歴史的事実。つまり茫漠とした砂漠の風景、厳しい生活環境。そして自然への畏敬。畏敬、この点においては基督教、イスラム教は日本人の自然観とさえ共通しています。

そういった原始の基督教の自然観を完全にゆがめてしまったのが西洋社会じゃないでしょうか。緑と生命豊かな熱帯、亜熱帯でもなく、克服不可能な乾燥した砂漠でもなく、いわば中途半端な、生きていくためには自然を克服し、支配せざるを得ない世界。この世界は、もしかしたら、かってはあったかもしれない、自然への畏敬を徐々に忘れていき、宗教画における生い茂る木々や花は自分たちが切り開いてきた世界の象徴として加えられたのではないでしょうか。

自然観という点ではむしろ日本とアラブ社会は近いものがあり、西洋の方が異質であるということは、新たな発見ですね。旧約聖書には人間がすべての生き物の頂点である、という記述はあるものの、生物、自然を治めるという記述はない。むしろ失楽園で人間は豊かな自然から追い払われている。その時点では圧倒的な自然の優位性があったのですがね。自分が生まれ育った土壌から離れつつあるキリスト教、だからこそ普遍的であるともいえますが、なにかちょっとさびしい気もします。
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