goo blog サービス終了のお知らせ 

ヒトへの進化。そしてヒトの限界と可能性。

私たちの体には38億年の歴史が詰まってます。偶然と必然が組み合わさり進化をしてきた我々の祖先の謎とは?

「死」が支配する生命史(4)

2008年03月17日 | Weblog

※絶滅が生命に多様性を与える影響を示す系統樹イメージ

大量絶滅が地球を生んだ?

ラウプ博士はもうひとつ興味深い説を持っている。それは、生物の絶滅がなければ地球史の多様な進化はなかったかもしれない、という事だ。博士はコンピューターシミュレーションによる2つの仮想的な進化の系統樹を描き出した(※写真参照)

ひとつは絶滅が無かった場合の、もうひとつは絶滅があった場合の生命進化の様相を示したものである。どちらの場合もひとつの種から出発した生命が、時間の経過とともに種の分化をを行っていく。異なる点は、絶滅がなかったとした場合の系統樹では、一度生まれた種は決して消え去ることがないという点である。

ラウプ博士は言った。生物の住む生態系の空間(ニッチ、生態的地位)には限界がある。そのため絶滅が起こらない場合には、やがて生物種の数が飽和してしまう。つまりそれ以上新しい種が生まれなくなる時期が必ず訪れるのである。

一方、絶滅がある場合の系統樹の形はまったく異なるものになる。絶えず、種の枝が短く「刈り払われて」しまうのだ。その代わり、決して生物種の数は飽和しない。つまり、いくら時間が経過しても新しい種の誕生の機会は失われないのだ。

進化の実験が繰り返され、より優れた生命が誕生するためには、絶滅という現象が欠かせないというのがラウプ博士の考えなのである。

そして、絶滅の中でも最も規模が大きい大量絶滅は、その後の進化のチャンスを一気に開くものだということができる。事実、恐竜を消し去ったKTの絶滅では、私たち哺乳類に大きく飛躍するチャンスが与えられた。恐竜が絶滅してくれなかったら、哺乳類はいつまでもその影で暮らし続けることを余儀なくされていただろう。

同様に、KT境界以外の大量絶滅がなかったと仮定したならば、人類が登場するずっと前に種の数が飽和してしまったかもしれない。つまり、私たち人類のような複雑で高等な生命は生まれなかったのかもしれないのだ。

さて、「ビッグ・ファイブ」の中でも最大の事件であるPT境界の大量絶滅はどのような原因で起き、生命の歴史に何をもたらしたのか。そこにはいかなる恐ろしい光景が広がっていたのか。そしてそもそも、一体何が大量の生物を殺戮したのか。

何しろ90%以上の種を消し去った地球史上最大の大量絶滅事件である。KT境界の絶滅とは比べ物にならないその壊滅的な出来事は、地球生命の進化に何らかの決定的な影響を残しているはずだ。

これよりPT境界の大量絶滅について謎解きをしていきたいと思う。

          <「死」が支配する生命史・完>

※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004


「死」が支配する生命史(3)

2008年03月12日 | Weblog


恐竜を滅ぼした隕石衝突


2億5000万年前のペルム紀末に起きた大量絶滅の原因については、いまだに多くの謎が残されている。とくに、何が90%以上もの生物種を絶滅させたのかを説明する試みは、隕石衝突説から毒ガス説まで諸説粉々といっても過言ではない。

また、絶滅後、生物がどのような道のりで再び生態系を構築し、繁栄を取り戻していったのかも、まだまったくといっていいほど分かっていない。オルドビス紀末やデボン紀後期、そして三畳紀末の大量絶滅についても同様の状況だ
。しかし、そうした中にあって恐竜が滅んだ白亜紀末、つまり6500万年前の絶滅事件については、かなり細かいところまで明らかになりつつある。

ここで、ペルム紀末の大量絶滅の謎に挑む準備として、白亜紀末の絶滅について、これまでに明らかになってきたことを概観しておきたい。

白亜紀末の絶滅事件の事をしばしば
「KT境界の大量絶滅」などと呼ばれることがある。これは白亜紀のドイツ語表記「Kreide」の頭文字Kと、その次の時代である新生代第三紀の英語表記「Tertiary」の頭文字Tをとったものである。各大量絶滅事件によって呼び方があるので、以下をご参照いただきたい。


4億4000万年前・古生代オルドビス紀末 OS境界線
3億6500万年前・古生代デボン紀後期  FF境界線
2億5000万年前・古生代ペルム紀末   PT境界線
2億1000万年前・中生代三畳紀末     TJ境界線
   6500万年前・中生代白亜紀末    
KT境界線

さて、KT境界での大量絶滅の原因については、隕石の衝突が原因だという話を聞かれたことがある方もいると思う。

ことの発端は、1980年、イタリアのKT境界層からイリジウムなどの特殊な金属元素が大量に発見されたことによる。イリジウムは本来、地球表面には存在せず、隕石などに多く含まれることが知られている。このため、この発見は、KT境界で隕石が地球に衝突した証拠だと考えられたのである。その後、デンマークやニュージーランドのKT境界層からもイリジウムが相次いで発見され、その総量から、隕石の直径は約10キロメートルに達するものだったと推定された。

だが、このときはまだ、隕石がどこに落下したのかなどはわからず、隕石衝突が大量絶滅を引き起こしたというのは仮説の域を出るものではなかった。

ところが、1990年、メキシコ・ユカタン半島の地下で、直径が100キロメートルを越える巨大クレーターが発見され、さらにその周辺の鉱物などの分析から、クレーターがまさに6500万年前にできたことが判明すると、隕石と大量絶滅の因果関係は一気に信憑性を帯びるようになってきたのである(※写真)

巨大隕石は地面に対して南側から20~30度という浅い角度でユカタン半島へ接近した。その速さは秒速20キロ、音速の50倍以上だ。周辺で発見された植物の化石から、衝突は6月頃だったことまで明らかになっている。

そして衝突の瞬間、隕石表面は大気との摩擦で太陽の100倍以上の明るさで輝いた。わずか0.5秒で隕石は海水をおしのけ、地殻にのめり込み、現在地球上に存在する核弾頭の総量の10万倍という猛烈な爆発を起こしたと考えられる。

マグニチュード10を越える地震が発生し、秒速70メートル、温度数万℃の爆風が周囲を巻き込んだ。高さ400メートルの津波が現在のメキシコ湾やカリブ海沿岸周辺を襲う。巨大なキノコ雲とともに、数兆トンもの岩石や塵が吹き上がった。この間衝突からわずか10秒である。飛び散った岩石は火の玉となって地表に降り注ぎ、世界中の森林は次々と大火災を起こした。

太陽光線は塵にさえぎられて地表は真っ暗になり、さらにどす黒い酸性雨が打ちつけた。平均気温は数十度低下し、「衝突の冬」と呼ばれる寒冷期が訪れる。光合成ができなくなった植物は枯れ果て、草食動物は餓死し、餌を失った肉食動物も死滅していった。

そして衝突からおよそ10年後、大気が澄み寒さが緩むと、今度は逆に衝突や森林火災で放出された二酸化炭素がじわじわと温室効果を発揮し、その後数十万年以上も続く温暖化が始まった。

こうした環境の激変が、恐竜のみならず、アンモナイトや魚類、貝類、プランクトンなど、70%に及ぶ生物の種を絶滅させていったと考えられているのである。

※画像データ出典
 JAXA
※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004


「死」が支配する生命史(2)

2008年03月11日 | Weblog


「種」の絶滅率は最大で96%


このビッグ・ファイブを表すグラフは、過去200年間にわたって、人類が発見した膨大な化石データをインプットしてできた結果である。何となく多くの科学者が感じていた「ビッグ・ファイブ」の存在を分かりやすく表現したもの、とラウプ博士は謙遜して説明する。

たしかに、多くの生物がある時期に突然消え去り、別の生物と入れ替わる現象は古くから知られていた。そもそも、カンブリア紀やジュラ紀などといった地質年代は、そうした古生物種の入れ替わりなどをもとに区分されたものなのだ。各地質年代は、ある特定の生物が出現するタイミングとして定義される場合が多く、逆に地質年代の終わりは、生物が消え去るタイミングによって決められていることが多いのである。「ビッグ・ファイブ」の年代の多くに「末」がつくのはこのことと無関係ではない。この意味では「ビッグ・ファイブ」の発見は、再認識と呼ぶのがよりふさわしいのかもしれない。

しかし、ラウプ博士らが発見した「ビッグ・ファイブ」の本質は、もちろんこれだけではない。

先ほどの生物の「科」の増減を表したグラフをもとに、ラウプ博士は、逆算推定法と呼ばれる数学的な手法を導入し、「種」の減少量、つまり、そのとき生息していたすべての「種」のうち、何%が絶滅したのかの理論的最大値を計算したのである。

(生物の分類は「科」「属」「種」の順に細かくなる。「科」の増減から「種」の増減を推定する理由は、「種」のなかには化石データが非常に少ないもが存在し、「科」からの類推の方が容易だからである。)

そうして得られた数値は人々をあっと言わせることになった。

例えば6500万年前の白亜紀末の大量絶滅。これはちょうど恐竜が地球上から姿を消したときである。ラウプ博士によれば、このとき恐竜のみならず、当時存在した生物種のうち最大で70%が同時に絶滅していたというのである。白亜紀末をグラフで見ると、「科」のレベルで生物は約18%減少しているが、逆算推定法によると、それは「種」のレベルでいえば、最大70%の減少を意味しているのだ。

時期を同じくして絶滅した種が70%に達するとは驚くべき数字だ。だが、ラウプ博士によると、これは「ビッグ・ファイブ」のなかでは序の口だという

グラフの落ち込みが最も激しい2億5000万年前のペルム紀末を見てみる。グラフからは「科」のレベルで52%が減少している。これに逆算推定法を適応したラウプ博士は、「種」のレベルでは最大で96%が絶滅したという数値をはじきだし、世界を仰天させたのだ。

同様にオルドビス紀末では最大84%、デボン紀後期と三畳紀末では79%の生物種が滅んでいたとラウプ博士は報告した。

逆算推定法で求められた絶滅率はあくまで理論的な最大値である。しかし、そうした数値が決して誇張でないことは、発表から20年以上にわたる世界中の研究者のフィールドワークによって裏付けられてきた。とくに、ペルム紀末の絶滅では、実際に90-95%もの生物種が絶滅していることが、化石や地層の実地研究によって確認されつつあるのだ。

地球生命史は、じつは、壊滅的な「死」の連続だった。それがラウプ博士らの発見の本質だったのである。

※写真出典
 
http://www.paleo-fossil.com/
※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004


「死」が支配する生命史(1)

2008年03月10日 | Weblog


ビッグ・ファイブ


米・シカゴ大学を退官したデイヴィッド・ラウプ博士が故・ジャック・セプコスキー教授とともに世に送り出した成果が、上のグラフで端的に表現されている。

いまからおよそ2億5000万年前、古生代のペルム紀と呼ばれる時代の終わりに、地球上に生きていたすべての生物の実に90%以上のもの種が一度に絶滅してしまうという大事件があった。その事件の存在を世界ではじめて世に知らしめたのがこのラウプ博士である。

縦軸に6億年前から現在に至る地質年代を、横軸に種の多様性(科の数)の増減をとったものである。ちなみに6億年前は、素人目にも生物らしいと見える生き物が初めて登場した時期だ。

グラフを眺めてすぐに分かるのは、生物の多様性は地球の歴史とともに順調に増え続けてきたわけではないということである。それどころか、★印で示したように、急激な落ち込みが5か所もある。

4億4000万年前・古生代オルドビス紀末
3億6500万年前・古生代デボン紀後期
2億5000万年前・古生代ペルム紀末
2億1000万年前・中生代三畳紀末
   6500万年前・中生代白亜紀末

このグラフこそ、地球の歴史において計5回の大規模な生物の絶滅事件、通称「ビッグ・ファイブ」が存在したことを世界で初めて示したものなのだ。ラウプ博士らは、この5回の絶滅事件を通常の生物の絶滅と区別するため、「大量絶滅(mass extinction)」と名づけた。1982年のことである。

※写真出典
 
http://www.paleo-fossil.com/
※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004


[プロローグ] 「死」─未来をつむぐ仕掛け

2008年03月10日 | Weblog

私たちはなぜ死ななくてはならないのか。


これはおそらく、もっとも長く、人類が問い続けてきた疑問のひとつだろう。
この問いに対して、万人が満足できる答えはおそらく、ない。この先も見つからないだろう。これらの問いに対する答えは、いわば個人的な覚悟、思い込み、諦めとして受け止めるしかないのかもしれない。あるいは、答えはなくても問い続けることにこそ価値のあるものなのかもしれない。


ここからのテーマは「生命進化にとって死とは何か」である。私たちは地球を「生命の星」と呼んできた。しかし、考えてみればこの星は同時に「死屍累々の星」でもある。生にとって死は必然という哲学的な意味ではなく、実際に地球には生物の遺骸があふれているのだ。もちろん生々しい遺骸のままであるわけではない。

私たちの体をつくる上で、重要な材料のひとつは炭素である。炭素はさまざまに変化しながら地球上を循環している。生物の体を構成するばかりでなく、二酸化炭素として大気を構成することもあれば、水に溶けていることもある。石油や石炭、メタンハイドレートも海中の微生物や、その生成物でできている。「命の材料」はさまざまな生命、さらには無生物のあいだをめぐるものである。

科学的な「輪廻」という観点から、いま私たちの身体をつくっている炭素の「前世」を追いかけてみれば、どんな遍歴が浮かび上がってくるだろうか。おそらく炭酸塩という岩石になっていた期間がもっとも長いだろう。かつて生命の身体をつくっていた炭素の大半がいまは炭酸塩になって海底などに堆積しているのである。

こうしてみると、「いま、生きてる」ということは、それだけで本当に奇跡と思えるではないだろうか。生命となりうるものが「生きている」状態であることは例外中の例外で、むしろ「死んでいる」状態こそがむしろ普遍的なありようなのである。

生物の個にとって必然である死。それは、じつは生物の種にとってもしかりである。40億年の歴史のなかで登場した種の99%以上は絶滅していることだろう。恐竜絶滅の原因をめぐる論争でも、ずっと長い間支配的だった専門家の見解は「特に原因はない」というものだった。

最新科学の探求は、そうした過去の常識を乗り越えて、現在も進んでいる。そして、短期間に起こる大量絶滅には、「死は必然」というひと言では片づけられない、特別な原因が潜んでいると考えられるようになってきた。

私たち人類に至る生命進化をたどるとき、もっとも紆余曲折に満ちていると感じられるのは、ここで扱う2つの絶滅事件─ペルム紀末と白亜紀末の絶滅を含む時代だろう(※進化カレンダー参考)。順風満帆と思えた哺乳類の祖先がいったん生態系の片隅に追いやられ、恐竜の脅威に怯えて暮らし、そして隕石という空からの偶然の飛来物によって再び生態系の中心に進出していく。この一見遠回りとも思える2度の絶滅事件の体験は、しかし、私たちを哺乳類へと進化させる原動力でもあったのだ。

そもそも私たちのような大型生物は、生命の歴史では新参者でしかありえない。生命の出発点が1ミリにも満たない微生物である以上、死を繰り返していかない限り、私たちの誕生には至らないのだ。

過去の記事で2億年以上も「休眠」していた微生物を紹介したが、仮にすべての生物がこれほどの長寿を享受したとすれば、人類誕生ははるか未来の事象に属する。それまで地球の寿命がもつはずもない

死は私たちにいたる生命の歴史を駆動してきたのである。その歴史のもっとも先端、つまり未来に接する場所に私たちはいる。

絶滅に彩られた生命の歴史の中でも、もっともスリリングでもっとも危険だった2億5000万年前の時代へご案内しよう。


※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004

陸地を獲得した生命(6)

2008年03月09日 | Weblog

私たちはどこから来たのか─「弱者」からの逆転劇


では、この上陸によって数々の古生物はわれわれに何を語りかけているのだろうか。
おそらく最も重要なメッセージは、私たちの祖先が安住することなく変化の道を選んだという事実だろう。

母なる海を離れて湿地帯へとすみかを変えたときも、湿地帯の水際に住み着いたときも、私たちの祖先は変化への道を常に選んできた。そして、そのことが結果的に生き残りにつながったのだ。

反対に、それぞれの節目で逆の方向を歩んだ生物たちのその後はどうであったであろうか。海の王者として浅い海にとどまった板皮類はデボン紀末までに絶滅してしまう。湿地帯で巨大化し、食物連鎖の頂点に立ったハイネリアも次世代に進化することなく絶滅した。

板皮類は、登場すると急激に多様化し、浅い海のすべてのニッチを埋めた。しかし、あるときから突然標準化の道をたどることになる。デボン紀末になると量的には豊富であったが、種としては数種にとどまるという状態になるのだ。

この「少品種大量生産」の結果は、環境が激変したときに対応できずに絶滅するというものであった。標準化が進んだ後では新しいモデルを生み出す力が残されていなかったのかもしれない。多様化を失った種、あるいは、変化の余地を残しえない種は絶滅への道を歩まざるを得ないのだ。

快適とはいえない環境に絶えず身を置いた私たちの祖先は、弱者だった。そして弱者ゆえに肺や手を持つことを強いられたのだ。かれらは生き残るためにもがいていた。しかし、ふと振り返るといつの間にか次の飛躍に結びつく進化を遂げていたのである。そして目の前には新たなフロンティアが現れていたのだ。

私たちにとってのフロンティアは陸地であった。一方、湿地帯で肺を持った他の魚たちにとっては、いったん追われた母なる海が新たなフロンティアとなっていた。湿地帯で肺を持った条鰭類(じょうきるい)のグループはやがて海へと戻り、肺を浮き袋に変えて大繁栄を遂げた。現在の魚のほぼすべては条鰭類の子孫なのだ

あすに飛躍を遂げることができるのは、今日の覇者ではない。安住することなく変化に立ち向かうものにのみ、活路は開けるのである。

─大海からの離脱

それは次なるフロンティアにチャレンジする第一歩だったのである。そしてこのDNAを私たちは受け継いでいるのだ。


          <陸地を獲得した生命・完>

※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004

陸地を獲得した生命(5)

2008年03月09日 | Weblog

陸地の獲得がもたらした繁栄

ペデルペスが見つかったのは約3億5000万年前の地層だった。遅くともこのときまでに生命は完全に陸上世界に進出を果たしていたことになる。一方アカンソステガが見つかったのは3億6000万年前だ。したがって私たちの祖先が上陸を果たしたのはこの1000万年の間という事になる。「進化カレンダー」では12月3日にあたる。

陸は生命にとってどんな意味を持っていたか。それは上陸によって生命圏を拡大することに成功し、より多くの生命が住める条件を整えた点にこそ本質的な答えがある。

最初、生命は地上から降り注ぐ土砂に混じった栄養塩や水中に溶け込んだ栄養塩を頼りに生活していた。その後、植物が淡水域から水際に進出するにしたがい、陸の栄養塩を直接取り込めるようになり、川や内陸の湿地帯へと生息域を拡大していった。

そして植物の地上への全面進出に伴い、生命はついに地上世界まで進出し、食物連鎖をひろげたのだ。その動きはとどまることなく、その後も内陸や高地、外洋や深海へとフロンティアを前進させていくが、その第一歩が
「上陸」だったのだ。

この重要性は大きい。

生命は進化するたびに「よりよく」なるわけではない。進化を繰り返すことで、全体としてシステムは「より複雑さを増す」あるいは「生命同士の関係がより重層的になって」きたのである。そして複雑さを増すことで、生命は全体として強さをも増しているのだ。

レア・アースという著作に
「大量絶滅を乗り切る唯一の対抗手段は多様性を増すことである」とある。多様性が失われてしまうと、環境の激変で絶滅してしまう可能性が高いが、多様性があると生き残れるものが出てきたり、次の新しい環境に適応し、逆に繁栄を遂げることができるのである。しかし、その多様性の原動力はプレートテクトニクス(大陸移動)とそれがもたらす多様な陸環境である。これは既に現代と変わらないシステムを獲得していたことを示している。

これまで「荒ぶる父」なる地球に翻弄されつづけてきた生命は、この時代にはじめて他者とのかかわりをを持ち、自ら生き延びる術を獲得したのである。

※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004


陸地を獲得した生命(4)

2008年03月08日 | Weblog
「最初に歩いた」ペデルペス

では、何をもって上陸としたとするのか。この定義が問題になっている。化石が増え、進化の様子が具体化するにつれ、その定義そのものが難しくなってきている。

陸上生活に完全に移行したという意味では、石炭紀の陸上四肢動物を待たないと証拠となる化石は見つからない。しかし、水中と陸を行き来できたというレベルになると、かなり遡ることが可能になる。
控えめに見ても3億6000万年前にまでには最初の上陸があったのではないかと考えられている。

一方、最初に地上を歩いたのは「誰」だったのか。これについては最近新しい発見があった。「這う石」「石の足」を意味するペデルペス(※リンク先参照)と名づけられた動物だ。いまのところ「地上を最初に歩いた動物」の栄誉に浴している。

ペデルペスの足の付け根に中足骨と呼ばれる骨があるが、その化石を見ると、中足骨にアカンソステガには見られない「ひねり」が加わっていたのだ。この「ひねり」こそ、ペデルペスが歩けたことの最大の証拠となるのだ。「ひねり」がないと進行方向に向けた手足で体重を支えることができないからだ。

アカンソステガの手足は体の左右にまっすぐ出ているだけで、手足を前に向けることも、体重を支えることもなかった。このため、アカンソステガの中足骨には「ひねり」は必要なく、8本ある中足骨はすべて寸胴な形をしていた。

つまり、手足を前に向けて体重を支えるためには、一本一本の指にかかる体重の重さや向きが変わるため、「ひねり」を加える必要が出てくる。このためペデルペスの中足骨の形は一本一本が微妙に異なっている。ペデルペスの化石が物語るものはまさに
歩くための適応と進化だったのだ。

※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004

陸地を獲得した生命(3)

2008年03月08日 | Weblog


動く大地で進化した祖先


ロンドンの大英自然博物館のアルバーグ博士は四肢動物の化石をもとに、私たちの祖先がどこで進化してどのように勢力を拡大していったか、独自の説を構築しつつある。

それによると、われわれの祖先である肉鰭類はどうやら現在の中国で生まれたらしい。
中国南部のシルル紀の地層からユーステノプテロンの祖先にあたる魚の化石(※5億3000万年前のカンブリア紀の地層からは無顎類のハイコウイクチス)が見つかっている。

私たち陸上動物につながる肉鰭類のグループは、中国付近に生まれ、その後海を渡って現在の欧米にあたるローラシア大陸へとやってきたようである。そして魚から四肢動物への進化はローラシア大陸で起き、デボン紀に海から大陸内部の淡水域へと進出したのである。

興味深いのはその後である。ローラシア大陸の水際で多様化した四肢動物は、デボン紀の終わりの頃いっせいに世界各地へと広がったらしいのだ。これは中国とオーストラリアのデボン紀最後の地層から四肢動物の化石が見つかっているからである。

デボン紀末、大陸配置がさらに変わり、当時南半球にあったゴンドワナ大陸が北に移動してローラシア大陸の一部と接触し、いわゆる超大陸パンゲア(※写真)がすでに形成されていたらしい。四肢動物は大陸の接近とともに、赤道を中心とする緯度20-30度以内に広く移動していったものと考えられる。

陸上生活への大躍進を引き起こしたのは、静止することのない地殻変動であり、生物はベルトコンベアに乗るように地殻上を運ばれた。そして生息域が世界各地の水際へと拡大するにつれ、四肢動物が住む環境にも多様化が現れたと考えられる。山沿いの急流、熱帯の沼地や三日月湖などもあり、ひと口に水際といってもバリエーションに富んでいる。こうした場所で無数の実験が繰り広がられてたに違いない。そしてその中から私たちにつながる陸上動物が誕生したのだ。

手や肺といった、陸上でも役に立つ器官を身につけた私たちの祖先にとって、陸上生活は少しずつ適応と進化を重ねるごとに比較的容易に達成できたのではないかと考えられている。

※参考文献・出典
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004


陸地を獲得した生命(2)

2008年03月07日 | Weblog

※四肢動物が住んでいたとされる場所

「陸」は多様化をもたらす装置


水際は進化の実験場としてふさわしい場所だったと言える。水際は水中でも陸上でもない、曖昧な環境である。こうした環境は不安定であり、かつ従来にない条件をもたらす。

例えば、水深が浅いため、そこに住むとなると背中は水面に出る可能性がある。そうした条件が乾燥に強い肌を生んだのかもしれない。目や肺も、水上で過ごす時間の増加とともに進化していったと考えられる。重力に耐える骨格も水際だからこそ必要になるのである。

さらに陸は海に比べて孤立した環境を生み出しやすい。沼地や湿地帯は、水路や森、山の尾根などで隔てられるため、遺伝子の交流が妨げられる。このため多様な種が生まれたと考えられる。こうした隔離は広い水路や海では起こらない。やはり水際への進出がこうした進化の実験を可能にしたと考えられる。

こういう場所では適応力がないと生きてはいけない。また、孤立した場所であるため、特殊性が子孫に受け継がれるいく。 これら水際特有の条件が進化の原動力となっているのだ。そういう意味で水際は魔法の場所とも言える。

※参考文献・出典

 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004


陸地を獲得した生命(1)

2008年03月07日 | Weblog
※ペデルペス。初めて陸上を歩いた四肢動物だと考えられている。

1987年のアカンソステガの発見まで、デボン紀の四肢動物と知られていたのは、スウェーデンとデンマークの調査隊が1930年代に発見したイクチオステガだけだった。ところが1987年以降の10年間で四肢動物の化石が10種類以上発見されることにより、デボン紀の四肢動物が極めて多様化していた事実が分かってきた。

これまで発見されたデボン紀の四肢動物にはどれひとつとして同じ形状のものはない。どの四肢動物も湿地帯の水際の浅瀬に住んでいたことは間違いない。それでも違いが出てくるのは、食べ物によると考えられる。

アカンソステガの歯は数が多く小さく細い上に、まっすぐ突き出ていて先端がほんの少し曲がっている。これは小魚を食べるための顎だ。

一方デンシグネーサスと呼ばれる四肢動物の歯は数が少なく、一本一本の間隔が開いている。そして後ろ向きに曲がっていて、歯の断面は円形になっている。これはヘビと似たような構造で、おそらく獲物を飲み込んでいたと考えられる。

イクチオステガの歯はかなり大きく、とくに上顎の歯は間隔がかなり開いている。一本一本の歯は大きく、尖っていて、後ろ向きに湾曲しており、まるで刀のようである。これは獲物にくらいつき、肉片を引きちぎったり切り刻んだりするための顎で、トカゲのそれに近い。

顎の形状が違うということは、筋肉や頭の形、体全体の骨格もそれぞれ違うということを意味している。これだけでもデボン紀の四肢動物がいかに多様化していたかがわかる。

さらに驚くべきことに
こうした多様性は最初の四肢動物が登場して500万年~1000万年ぐらいのあいだに表れている事である。つまり、水際に進出した途端、たちまち多様化したことを示しているのである。

※参考文献・出典 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004

手は水の中で生まれた(7)

2008年03月06日 | Weblog


レッドヒルが解き明かす水際進出の謎

さて、ここまで見てきたように、われわれの祖先にあたる四肢動物は、カレドニア山脈のふもとに広がるデルタ地帯の水際という浅瀬に住み着いていたようである。しかし、この水際という環境は、広い湿地帯では決していい場所ではなかったはずだ。

開けた水路の方が魚は豊富であるし、水のよどみも少なく、酸欠の心配も若干でも少ないはずだ。なぜこのような場所を選んで住んでたのか。このことは科学者にとって大きな謎のひとつであった。この解明にも近年、一筋の光が当たり始めている。

アメリカのペンシルマニア州にレッドヒルと呼ばれる赤い地層が露出した崖が続いている場所がある。ここは3億7000万年前、カレドニア山脈のふもとにひろがる湿地帯であった場所である。

ここから長さが8センチもある魚の歯の化石が発見される。その持ち主はハイネリア(※写真)と呼ばれる体長が最大で5メートルにもなる巨大魚である。獰猛な肉食魚で硬い鱗を持ち、発見された化石から分かるように、鋭い牙のような歯を持っていた。

デボン紀の湿地帯で生き残る戦略は3つある。牙を磨くか、鎧を身にまとうか、その場から逃げるかである。ハイネリアのような魚がいる場所ではわれわれの祖先では到底太刀打ちできない。そう考えると、四肢動物たちは、ハイネリアが侵入できないような場所に逃げる戦略をとっていても不思議ではない。

ただ、他にもっと積極的な理由も考えられる。水際の環境に新しい種類の植物があったのかもしれないし、あるいは卵を産むのに安全な場所だったかもしれない。水際に逃げるという選択はそうした可能性を選んだ結果であるとも考えられる。

いずれにしよ水際に住むという選択は、結果的に大きな飛躍へとつながる決定的な出来事だったといえる。というのも、水際に住むことは、陸と水の中間領域に適応するということを意味していたからだ。そしてまさにそのような場所でアカンソステガは肺や手足といった陸上生活で必要となる新基軸を進化させていったのである。

アカンソステガが上陸に必要な体をあらかじめ準備していたということは不思議というしかない。こうした適応は「外適応」と呼ばれている。外適応とは「ある状況で利用される以前に、別の状況で生じた特徴」あるいは「そのような新しい特徴が集団内に受け入れられていく過程」を言う。

アカンソステガの場合は、湿地帯という環境で暮らすために生まれた機能がたまたま陸に上がった際、役に立つことになったということになる。

もちろん彼らは上陸するつもりは無かっただろうし、水辺での暮らしで十分満足だったに違いない。手足の発達は、遺伝子のいたずらでたまたま骨格に変更が生じたに違いない。

しかしその変化が自然淘汰の中で生き残るためのメリットとなり、このメリットが彼らの子孫をして陸上生命への道を歩ませることになったのだ。

         <手は水の中で生まれた・完>

※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004


手は水の中で生まれた(6)

2008年03月05日 | Weblog

これまでの説の最大の弱点は、6本以上の指は発生しないということだった。つまり、指は5本しかないという暗黙の了解に従った説だったのである。

ところが、デボン紀の四肢動物が次々と発見されるなかで、5本指の規則性に従わない動物が次々と発見されたのだ。イクチオステガの7本、アカンソステガの8本、トゥレルペトン(両生綱迷歯亜綱イクチオステガ目)の6本・・・・われわれの5本指は、たくさんあるバリエーションのひとつであり、デボン紀の四肢動物の平均からいうと少ない部類に入ることが明らかになってきたのだ。

一方、ホックス遺伝子の発見から、理論上は何本でも指を発生させることができるという事が分かった。ホックス遺伝子からスタートの指令が出ると、軸上に一から順番に指が発生していく。そしてストップの指令が出ると発生は止まる。われわれ人間の場合は5番目の指が発生したところでストップの指令が出るわけである。

これにより、ユーステノプテロンからアカンソステガに至る1000万年の間に、生命は指の発生の仕組みを決める遺伝子を獲得したことが分かった。そして、それは従来の魚の鰭の発生の仕方とは違ったものだったのだ。

アカンソステガの例を見ても分かるように、陸上生活に必要な手や指を作ろうとしてわけではないのである。ましてや最初から5本指をつくろうとしていたわけではないのだ。試行錯誤が続き、7本、8本、6本、と進化や淘汰を経て、一段落したその時、指の数は5本で定着したのである。

※参考文献 ・出典
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004

手は水の中で生まれた(5)

2008年03月05日 | Weblog

指は「湾曲した軸」上(腕の先)にできた

ユーステノプテロンの胸鰭の骨は水の中を泳ぐのに適した、現在の魚に似た直線的な構造となっている。一方アストンステガの「腕の骨」は水底を這い回りやすいように、湾曲した構造になっている。その先に指が8本ついているのだが、この指の発生はホックス遺伝子の仕業だと考えられている。

ホックス遺伝子とは、生命の発生の段階で個別の遺伝子に発現のスイッチを入れたり切ったりする指令を出す、いわば親方遺伝子である。このオン・オフを制御することで形態形成を制御しているのだ。この親方遺伝子のもとで動く個別のいわば職人遺伝子は、スイッチが入れられると順次連鎖的にその遺伝情報を発現していき、たとえば目の発生や筋肉の発生を、手足の発生などを制御していく。

こうした親方遺伝子は、全生物界を通じて共通性が見られる。例えばPax6と呼ばれるマウスの目の制御をつかさどる遺伝子をショウジョウバエの胚に導入すると、触覚や脚、羽などに複眼が形成され、光を感じることが証明されているのだ。

同じように、アカンソステガの手を制御するホックス遺伝子も、「湾曲した軸(腕)」の先に指を発現させていくことが分かったのである。それまでは、指の発生は肢の発生軸から次々と枝分かれすると考えられていた。このため発生軸から分裂するするたびに手首の骨と指が次々に形成されると考えられていたのだ。これはユーステノプテロンなど原始的な肉鰭類の観察から得られた推論だったのだが、魚の骨を人間の手に見立てて発想したため、無理もあった。

※参考文献・出典
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004

手は水の中で生まれた(4)

2008年03月04日 | Weblog

指の使い方から浮かび上がるアカンソステガの生態


では手は何のために生まれたのだろうか。クラック博士はアカンソステガの手首と指の関係に注目している。手首はかなり原始的なつくりであったのに対し、その先にはちゃんとした指を持っていた、つまり「指のある手」が「手首のある手」よりも先に生まれた、と言えるのだ。

アカンソステガの指先はなんらかの膜で覆われていた可能性が高いと考えられている。このため手を水かきのように使っていたのではないかと解釈することができる。しかし、それだけのためにわざわざ指を発達させる必要もないはずである。現に水かきならば鰭でも十分であるし、内部に骨を持たなくても魚と同じ鰭状で済む。

骨を分析すると、指はある程度動かせたことが分かったので、クラック博士は水中で指を使う現生動物、イザリウオ(※写真)に着目した。

イザリウオは海底に暮らす魚だ。生態を観察すると鰭を器用に使い、まるで指を持ってるかのような行動をする。鰭で水底を掴んだり、ゆっくり歩いたりする。あるいは流れの速い場所では姿勢を保つために岩や水底を掴む様子も確認される。

こうした現生動物の観察や骨格の分析を通して、クラック博士は以下の結論を出した。


アカンソステガが住んでた湿地帯にはアーキオプテリスの葉が大量に落ちていた。葉っぱがあり、水草も多く茂っているところに住んでいたので、どろどろの水底を掴みながらゆっくりと進んだり、指先の感覚で水底を確かめていたものと想像される。さらに水草をかき分けるためにも指が使われていたと考えられるので、湿地帯、とりわけ水際での生活のために手が生まれたと言える。

さらなる状況証拠として目の位置が挙げられる。目の位置が上に変化したのはアカンソステガが目に依存する度合いを高めていたことを示唆している。水中がどろどろのところでは目はあまり役にはたたないはずなので、一時的にせよ顔を水の上に出す生活をしていたと考えられる。アカンソステガの化石が発見された場所は植物が多い湿地帯だったことが分かってきたので、肺呼吸も補助的にしていたと考えられる。

そうすると頭が体から独立し、首が生まれたのもうなずける。さらに扁平な体は水際という環境では有利である。一方、歯を見ると小さいものが並んでるのを確認できる。これは小魚や水生昆虫などを食べるために発達した事を示している。

そう考えると、丈夫な手首が必要ないことや、地上で体重を支える必要がないことにも説明がつく。

丈夫な手首や重力にも耐える腕の構造は、後で必要になったときに進化をさせればよいのである。

※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004