創作物に刺激されて肥大した理系コンプレックス
突然だが、私は私立文系大学生だ。
日本の私立大学をピラミッドにした時の上の方に位置する大学に通っている。だが、自分が文系であることに誇りを抱きながらコンプレックスも抱いている。
小学校から得意な教科は国語、中高では歴史が大好きだった。高1の終わりの文理選択では、「数学は大の苦手だし、理科よりも社会が学びたいよな…」という想いで、迷わず文系を選択した。文系を選択したことによる影響や自分の将来など微塵も心配していなかった。
今回の文章は、そんな私の理系へのコンプレックスに関する話である。
大学受験に成功したはずなのに
高校1年生で進路を文系に選択した私は、得意かつ大好きな教科の多い文系に進んだことで、成績をぐんぐん伸ばすことになる。文系教科に関しては、学校の学習が楽しくてしょうがないほどになり、高校3年生には、成績でオール5を獲得するような成績コレクターへと変貌を遂げていた。
そんな私は、高校1年生の頃から志望していた有名私立大学の指定校推薦を勝ち取り、進学することとなる。
(指定校推薦という制度について賛否両論あるとは思うが、私自身、その制度を使って入学し、楽しい大学生活を送ることができたため、それだけでいいかな…などと思ってしまっている。)
大学では文学部に入学した。勿論、文学部も第一志望だった。「大学を就職予備校にしたくない!」と鼻の穴を膨らませながら意気込んでいた。しかしその一方で私は、理系というものに羨ましさと一種の嫌悪感や諦めを抱いていた。
両親、兄弟、親戚。周りにいる大人も子供も、ほぼ全員理系という家系で育った私は、自分が文系であることに対して、特別感を抱きながら成長してきた。
「数学なんてできなくても大丈夫、大事なのは国語とか、英語とか、社会とかだよね。理科とか数3なんて大人になっても使わないし!」
一度は数学が苦手な人間が言ったことのある台詞なのではないだろうか。どう見ても、できないことの言い訳でしかないこの言葉を堂々と言ってしまっていた高校時代。
しかし、次第に、兄弟や親戚から心無い言葉をかけられるようになる。
(中高生の青年ボイスで脳内再生してね)
「これだから文系はダメなんだ。」
「私立に行って文系の勉強をするなんてお金がもったいない。」
今考えると自分よりも年下の親戚や兄弟たちが私にかけてきたこの言葉たち
は、一種の羨望だったのかもしれない。自分の好きなことを、ある程度知名度のある大学に進学して、やることができている環境。隣の芝が青く見えていたのだろう。
しかし、こういう何気ない言葉は、ずっと心にひっかかり続けるもので。
自分が文系であるということに涙したこともあった。
就職活動の時だ。大学を就職予備校にしたくない、なんて意気込んでいた高校生だった私だが、大学に入学すると、周りにはたくさんの意識の高い学生がいることに気づき、焦るように就職活動を始めた。
しかし、漠然と自分が抱いていた就きたい職業ややりたいことは、文系ではスタートラインにすら立てなかったのだ。
しかも、文系の募集欄には、事務系総合職の一言。理系には、技術職、生産職、その他専門職があれこれ。
やっぱり理系に進んでおけばよかったのか…いや、でも数学も理科も苦手意識があるどころか全くと言っていいほどできない。とにかく量をこなして学校のテストでいい点数を取るので精一杯で応用なんてできない。そう思うと、文系以外の道に進んでいる自分は1ミリも想像がつかなかった。
文系である自分はきっと世界の中で下の方の人間なんだ。そう思ったら涙が出てきた。悔しかった。自分が勉強したいことや興味があることを学んできただけなのに、それが否定された気持ちに、勝手になっていた。
理系という称号を持つことを諦めて、心に抱いた少しの誇りとともに、大学では好きな授業を取って、好きな本を読んで、好きな研究をしている。だけど本を読むのが好き、言葉が好きという自分のアイデンティティだと思っていたものも、蓋を開けてみたら理系でも同じような人はたくさんいる。なにか、文系の、しかも自分だからこそ胸を張って言えるアイデンティティが欲しい。
創作物に理系コンプレックスが刺激された話
と、ここまでこれまでの人生における理系コンプレックスについて書いてみたが、そもそも何故この話題を書こうと思ったのか。
それは、最近見た映画に出てきたとある場面に、心にしまっていたはずの理系コンプレックスを、それはもう針でチクチクつつかれるように刺激を受けたからである。
私は2018年公開の「劇場版名探偵コナン ゼロの執行人」から、毎年欠かさずコナン映画を観に行っている。
以下、今年の「劇場版名探偵コナン 隻眼の残像(フラッシュバック)」のネタバレを含む可能性があるため、マジでネタバレは無理!!という方はそっと飛ばしていただきたい。犯人の名前などは出てこないのでご安心を!
今年のコナンは、長野県の国立天文台野辺山宇宙電波観測所という場所が舞台となっていた。私が理系コンプレックスを感じた場面は、クライマックスシーンで、中身は天才科学者である灰原哀と、観測所の職員がパソコンを操作して展望台のレーザーを動かす場面だ。
ふと思ってしまった。
「あ、結局、世界の窮地を救うのって、理系なんだな。」
いやいやいや、さすがにいくら何でも主語がでかすぎる。と、セルフツッコミをいれたものの、本当に本心からこう思ってしまったのだ。
映画が終わった後、友人に同じことを伝えたら本気で「何言ってんの(笑)」と笑われた。
しかも、灰原哀の中身は科学者だからそんなすごいことができてしまうのだとわかっていながらも、小学生の姿で大人に感心されながら、期待されて、大きなものを背負っている姿がかっこよく、小学生よりも自分は下なんだ…なんていう意味の分からない劣等感をアニメキャラに感じ始めてしまってから理系コンプレックスが加速してしまった。
コナンの映画に関するエピソードはここまでにしておいて、もう一つ、NETFLIX映画の「新幹線大爆破」にも、理系コンプレックスをつんつんされるシーンが出てきてしまった…
よくある映画のシーンに、「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?」という台詞がある。医者になる難しさは、計り知れないし、医者になりたいと思ったことは無いからこそ、こういう台詞にコンプレックスを抱くことは無いのだが、この映画では、医者に加えて、電気技師が出てくる。物語の重要な局面で、資格を持った人が出てきて、活躍している。
あ、まただ。理系が世界救ってるじゃん。
もちろん、すべての理系の方が資格を持っているわけじゃない。そもそも理系って言ったっていろんな種類がある。しかし、劇中でそこらへんにいそうな男性(失礼だったらごめんなさい。)が、ヒーローみたいに描かれて、こんなにも都合よく世界を、大勢の命を救っちゃうものだから、理系コンプレックスを抱かずにはいられなかったのだ。
理系コンプレックスと付き合っていく
就活中で自分に自信が無くなっていた。それだけで、理系コンプレックスがどんどん肥大化し、エンターテインメントに刺激される。
ある意味、自分が置かれている状況が変化するだけでエンタメの楽しみ方、創作物の捉え方が変化してしまうというおもしろい体験に出逢うことができたから、よかったのかもしれない。
これを書いている今、自分で当時率直に思ったことを書きおこしながら、過去の自分に「何言ってんだコイツ」という目を向けている。
生きていく中で、どうしても他人と自分を比べてしまう私は、隣の芝が真っ青に見えてしまうのだろう。
だけど、世の中全員理系だったら?全員文系だったら?そもそも文系とか理系とかそういう区分を気にしない世の中だったら?世界にはそういう国だってきっとたくさんある。
適材適所、得手不得手。足りないものを補い合うことができるという人間良さをちゃんと認識して生きていくのがきっといいんだろうな。
ほどほどに理系コンプレックスを抱きながら、文系である自分にも誇りを抱きつつ、自分なりの輝き方を見つけていきたい。



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