死んだ母は境界知能か精神的未成熟
身内の恥を晒すようで書くかどうか迷っていたのですが、自分の頭を整理してみたいと思い、書いてみることにしました。
どなたかの役にでも立てば幸いです。
母、セツコは2024年6月30日に他界しました。直近2,3年は認知症の進み方がひどく早く、私たちもどうしたものかと思案していたところでした。
認知症になってからは、着替えや入浴を嫌がり、平気でウソを付き、昼夜を取り違え、夜中に家中を徘徊し、料理を作れなくなり、語彙がどんどんと減っていきました。いわゆる人間らしいところがなくなっていき、猿みたいになっていったのです。そのこと自体は仕方ないと思えるくらい私自身は諦めていました。たぶん認知症になるまでのセツコは相当無理して母や妻の役割をやっていたのだろうと。それから少しずつ彼女は認知症という形を取りながら解放されていったのかなと考えるのが順当な気もしました。
しかし、家族が少しずつそのように人間らしさを失うのは時としてやりきれない気持ちになったのも否めません。私を産み育て導いて来た人が、そんなふうになっていく姿を見てみるのはいつも虚しい気持ちにさせられました。
ただ亡くなってから7ヶ月が過ぎ、認知症になる前、認知症期、そして彼女の居ない世界を生きて来て、今頃になって、いろいろなパズルのピースがぴたりとハマる感覚に陥りました。
前置きが長くなりましたが、これがタイトルの「死んだ母は境界知能か精神的未成熟」です。でも、本人が死んでいるので、確かめようがありません。テストするわけにもいかないし。死ぬ前だって認知症だったのですから何か確かめようとしてもたぶん難しかったでしょう。
でも私自身が幼少期から考えて、あれ?何か腑に落ちないな、これってざらりとした感覚だなぁ、よその家とは少し違うなぁと漠然と感じていたことが、この境界知能、あるいは精神的に未熟であったという仮説に当てはめると、ぴたりとおさまるのです。
具体的にエピソードをいくつか紹介していきます。
最初に異変に気づいたのは私が9歳か10歳の頃でした。セツコに「共産主義と資本主義ってどう違うの?」と質問しました。時は昭和、まだロシアはソビエト連邦、冷戦真っ只中で、もちろん教科書でもそのように習いました。セツコは一瞬首を傾げ、「考え方が違うからね。」とだけ一言答えました。その時、私はひょっとしてこの人、共産主義と資本主義の違いを説明出来ないのではないかと言う疑問が芽生えました。
おかしな事はたくさんありました。ひたすら亡くなった姑の悪口を散々言う日もあれば、弟たちの成績について悩んだり適性を評価するのに戸惑っている様子も伺えました。でもその辺りは、何処の昭和の主婦にも当てはまりそうな行動です。
本や家計簿といったものとセツコは無縁でした。私は本が大好きですが、彼女が一冊でも本を読んでいるところを私は一度も見たことがありません。
本に限らず、映画、舞台、コンサート、美術館、博物館、講演会という、いわゆる知的好奇心を満たしてくれるような場所とは最も遠いところにセツコはいました。テレビも見ていましたが、私が観察する限り、登場人物が多かったり、外国のものだったり、トリックが入り組んでいるような推理ものはたぶんほとんど理解していなかったように感じます。ニュースも何処まで理解していたのかわかりません。
とにかく読書習慣がないので、恐ろしいほどの語彙不足でした。もちろん抽象的な考えや哲学的思考は皆無です。半径1,2メートルの自分の目の前で起こる実際の出来事にしか興味を持てない人でした。
私達(私には弟が2人います)の学校からもらってくるプリントや回覧板、町内会の集まりやPTAなどをどのようにこなしていたのかはわかりません。きっとわからない時はニヤニヤして誤魔化していたのだろうと推測されます。
私や弟たちの進路、あるいは居住地域(父は転勤が多い人でした)については、たぶん父が色々な人達から知識を得てセツコに教示していたのだろうと思います。たぶん「偏差値」という概念を理解していないセツコに、教育水準の比較的高い地域を探せ(県またぎ)と言うのは難しすぎるミッションだったと思われます。
父が探して来た地域はインターネットがなかった時代でもやや転勤族が多く、成績も比較的良い子供達が安心して暮らせる治安の良い地域ばかりでした。そのおかげで私達は度重なる父の転勤について行っても、あまり目立ったイジメにあったり、授業についていけないような事態は避けられたのではないかと考えます。
昔は父が料理や洗濯ができない、ザ・昭和の男で、セツコが身の回りの世話をしなければならないので、セツコと子どもである私達を振り回しているように感じていましたが、セツコの認知症の様子を見ていると、セツコが父が居なければ、容易に社会生活を送ることが不可能だったのではないかと考えを改めることに至りました。今で言う単身赴任や、ワンオペがセツコにはできなかったのだと思います。お金の問題ではなく、1人の生活者として、1人の人間として。
セツコは簡単な読み書き、計算ができ、料理や掃除、洗濯といった家事は出来ましたが、何かクリエイティブなことは何一つ出来ませんでした。
でも境界知能の人って人口で言えばかなりの数になるそうです。IQグレーゾーンとも言われます。セツコの最終学歴は商業高校卒ですが、私が見る限り学力は小学生4年止まりがいいところでしょう。
精神的にも非常に未熟で、自分と他者の境界線がうまく引けなかったり、慢性疾患の概念が理解できず、どんな病気や怪我も、盲腸を手術するようにスパッと切って元通りに治すといった考えしか浮かばない人でした。
その手の話は山のようにあるので、ここでは割愛しますが、それが原因で、私とセツコ、弟達の最初の伴侶との間には長い間、齟齬が生まれ続けました。
言った、言わないから、そんなつもりで発言したのではないとか、こんなふうに傷ついたとか、私はセツコの言う一言一言に振り回され、もちろん弟達の伴侶も振り回されていました。
それもそのはず、私達がセツコに対して持っている前提が間違っていたからです。
きちんと高校を卒業して、人生を重ねて、それなりに知識と良識を兼ね備えた大人であると言う前提そのものが狂っていたのです。
今ならあんな言動、こんなわけわからない主張もこの仮説に当てはめれば全て理屈が通ります。
セツコはほとんど一般常識を持たない子どもがそのまま歳をとった猿だと言うこと。こんな簡単な推論に辿り着くまで私は長い年月を要しました。ものすごく生きづらい思いも経験しました。
でもそのように結論づけることで胸のつかえが取れたような不思議な感覚もあります。
昭和16年生まれのセツコの時代には発達障害や知的障害などといった言葉や考え方もなかったから仕方ないのかもしれません。もちろん境界知能と言う言葉もなかったので、本人も周りも何も知らないまま人生を終える人も数多くいたと思います。セツコがそうであったように。今でもまだ多くの人が、この人何か言ってることややっていることがおかしいなー。でもおばあちゃんだから仕方ないかなーで済ませている人も多いと思います。
大体の人がどうしても自分の親だけは違うと思いたいし、認知症になってもそうではないと認めたがらないと言います。でも認知症の様子をよく観察してみればその人の本性みたいなものが見えてくるからこれは不思議だと思います。
とりとめのない文章になってしまいましたが、ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
また何か発見があれば書いてみたいと思います。
コメント
2「共産主義と資本主義ってどう違うの?」「平等を重んじ、階級を廃止するのが共産主義。競争を重んじ、階級を認めるのが資本主義だよ」「じゃあノーメンクラトゥーラは? 北朝鮮の『出身成分』は?」「ぐぬぬ」
頭が悪いのに権力志向だったら母方の祖父はどうだったろうと思うけどな。