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エポケー エドムント・フッサール

山口周「武器になる哲学」からのコンセプト紹介第7弾。

 

オーストリアの哲学者フッサールの「エポケー」は、

「判断保留」に近い概念です。

どこが違うのか山口さんの解説を聴きましょう。

 

 

(以下本書から)

現代社会は「VUCA(ブカ)」と言われます。

「Volatility(ボラティリティ:変動性)」

「Uncertainty(アンサートゥンティ:不確実性)」

「Complexity(コムプレクシティ:複雑性)」

「Ambiguity(アムビギュイティ:曖昧性)」

の頭文字を並べたもの。

 

このような世界において正しくモノゴトを理解するのは

非常に難しくなっており、

分かったつもりになるのは大きな誤謬の元。

分かったつもりにならないで判断を保留することを

フッサールは「エポケー」と名付けました。

 

例えば目の前にリンゴがあるのを見た場合、

リンゴがあるという客観的実在から

自分はリンゴを見ているという主観を認識し、

リンゴはそこに実在するという主観に至ります。

 

このとき「エポケー」は、

客観的実在をもとに主観的認識が生まれる論理構造に、

本当にそれで正しいのかと疑いを向け、

たしかにそう思えるけれども、

いったんカッコに入れておこう、ということ。

 

このエポケーは現代においては

「他者を理解する」ことに役立ちます。

あなたが客観的事実と考えていることを

いったん保留することで、対話できる余地が広がります。

 

他者との相互理解が成立しない時、

相手と自分が見えている世界像には大きな齟齬があります。

両者が自分の世界観に強い確信を持っていれば

齟齬は解消されません。

 

今日の社会は多くの物がつながりあい、

ダイナミックに変化していますので、

自分の持つ世界像が客観的事実であり、

疑いのないものだと考えるのは危険であり非倫理的。

 

私たちが持つ「客観的な世界像」は

そもそも「主観的」なものでしかありえない。

その世界像を確信するのでもなく、

捨て去るのでもなく、いったんカッコに入れよう

という中庸の姿勢がエポケーの知的態度。

 

 

(多田コメント)

 

世界各地の紛争も、恐らく各当事者は

「自分が正しい」と考えていると思います。

イスラエルとパレスチナの紛争も、

双方が「自分こそ正義」と考えていると思います。

 

その意識のままでは

両者が思想的に歩み寄ることは非常に困難でしょう。

武力で人を殺して相手を服従させるのは悲劇です。

 

自分の考えを捨てるのではなく、

いったんエポケーすることで、

対話の余地が生まれて欲しいです。

 

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