以前、若い峠の走り屋の
人たちと峠を走り回った。
昼前になり、山を下りて
昼飯を食いに行った。
その時、激速の子が私の
事を言う。
「乗れてますよね。Uター
ンもスイッとできるし」
と。
一瞬、意味不明だった。
そういえば、一緒に走った
4スト400の別な若者は峠で
Uターンが一発ではできず
に何度か切り返していた。
でも上下2車線だよ。
なぜUターンそのものがで
きないのかよく分からない。
私の時代にはあり得ない事
だったからだ。
今のレベルというのはそう
いうものなのだろうな、と
思った。
峠のクネクネ走行はそこそ
こ速く走れても、Uターン
とかはできないのが普通、
というような。
だから、実際に峠が速い子
でも2車線Uターンで切り返
さないとターンできないし、
他の多くの人たちも立ちご
けなる意味不明な事をやる
あたりの「能力」なのだろ
う。マッチすれない、鉛筆
を刃物で削れない、という
のと同じで。
打ち解けて飯食ってる時に、
「俺、今まで立ちごけは
一度もした事無いよ」と
言ったら、その場にいた二
人は押し黙って少し嫌な顔
をした。
多分、オヤジの武勇伝自慢
の昔話のように捉えたのだ
ろうな。
でも、そうした他意は無く、
事実は事実だから。
日本刀の抜刀納刀で手を切
った事も私は一度もなけれ
ば、万余の試斬で刀を曲げ
た事も一度も無い。
こうした事は事実であって、
その事実を告げたら不快に
思うというのは、それはそ
の事実を自分が実現できな
かった事へのコンプレック
スがその人の根っこにある
からだろう。
人は皆完璧ではないから、
失敗しても次からは同じ失
敗をしないように行動しよ
うとする発想の人たちは、
そうした人の行歴の事実に
触れても別段自分自身は微
動だにしない。これは経験
上、そうした性根が太くし
っかりした人たちは多く見
て来た。
技法系の世界の本質とは本
来それだろう。
私とて、この先もしかする
と立ちごけなるものを経験
するかも知れない。
その時には徹底分析して同
じ失敗は繰り返さないよう
に私は心掛ける。
私はかつて大昔に公道でも
サーキットでも転びまくっ
てた時期があったが、同じ
転倒はしていない。すべて
別要因。
そして、自分が失敗した時
には絶対に「よくある事」
などと大甘で見過ごす事は
せず、徹底的に多角的に転
倒原因を分析してつきつめ
て来た。自分に刃を向けて。
そして、ある時から一切転
倒とは無縁になった。
1985年9月から公道の道路
では無転倒、というのは事
実だ。
ただし、閉鎖空間での運転
練習では何度も二輪を倒し
ている。ダート含めて。
だが、公道での走行におい
て、二輪では1985年9月から
無転倒だ。
Uターンについては、白バイ
の急ターンのようにクルン
と小半径旋回もする。
そういうのは10代の時に扱
い方を覚えた。
サンパチやマッハでその場
転回のアクセルターンもご
く普通に舗装路でやってい
た。私はジャックナイフは
できないが、ウイリーにつ
いても覚えたのは10代だ。
10代の頃に身に着いたもの
はそうそう消滅しない。
子どもの頃に覚えた自転車
には老人でも乗れるのと同
じで。
自転車に乗れなくなるほう
がむしろ難しいのでは。
二輪人生で一番印象に残っ
ている大転倒は、16才の時
に自動二輪免許取得の為に
通った教習所での一本橋走
行だった。
クラッチワークをミスって
教習車RD350がエンストし
た。
そこでバランスが崩れて、
巴投げのように放り出され
た。
橋の真ん中あたり。
その教習中にスッ転んだ時
のその橋の真ん中あたりま
でのタイムは、教官による
と12秒だった。
卒検は一本橋30秒近くのタ
イムで渡り、「やりすぎは
良くない」と審査官にあと
で注意を受けた。
当時、自動二輪限定付は
一本橋12秒以上、センター
での自動二輪限定解除が15
秒だった。
現代では非常に緩くなって
いるようで、普通二輪など
は8秒以上で無減点基準らし
い。4秒差は腕の差でいうと
雲泥の差だろう。大型二輪
などは今は10秒基準になっ
ているようだ。
つまり、かつての自動二輪
限定付免許(俗称中免)よりも
現代の大型二輪のほうが簡
単な基準なのだ。
波状路なども、以前は自動
二輪限定付の卒検科目には
無かったが、教習では経験
させていたし、引き起こし
車などはタンクに砂満タン
の超ボロ激重二輪車を以て
引き起こしを実地現場では
させていた。
その引き起こしが自分でで
きなければ二輪実技教習に
進めなかった。今でいう普
通二輪該当の自動二輪限定
付免許であろうと。
多くの1970年代~1980年代
の二輪乗りたちがおしなべ
て運転が上手いのも納得が
行くだろう。限定付自動二
輪でさえ今の大型二輪より
も免許取得教習内容が難し
かったのだから。
私の同世代たちは「狭き門」
から入っている。名前書け
ば誰でも合格するボーダー
フリー大学のようなのとは
違って。
私などは別段二輪の運転が
上手くはない。ザラだ。私
のようなレベルの人間は、
1980年代には掃いて捨てる
程にいた。私のレベルなど
はただの「並(なみ)」だ。
そして、重要な事は、総合
的に総体として1980年代は
レベルが今よりずっと高か
った、という事実がある。
学力で例えるならば、全国
偏差値が70以上の人間が
1000人集まって、その中で
のさらに偏差値基準、とい
うような。
今は全国偏差値のレベルが
数値で表す単なる偏差値で
はなく、母数としての実力
が低すぎる状態。
超高度な技法を保有してい
るのは昔も今もごく一部の
ライダーだろうが、そのピ
ラミッドの傾斜がかつては
急激で、今はなだらか過ぎ。
500点満点中450点合格のと
ころ、440点台がドワッとか
つてはいたのが、今は200点
台が大多数で占められる、
というような感じ。
二輪走行技量と学力は単純
比較はできないが、100人
いて、できる人間が60人い
るのと20人程しかいないの
では総体としての実力に差
がありすぎる。それが80年
代と現代だ。
だから、現代はド素人向け
のようなレクチャー動画が
氾濫しているのだろう。超
低レベルの。
私などが二輪の乗り方、走
法技量が「上手い」と言わ
れたりする時代こそがそも
そもおかしいのだ。
上にはさらに上がいるのだ
から。
ただ、私は多少は二輪の原
理と走行原論については知
っている。これは客観的に
みて事実だろう。
そして私は事実として転ば
ない。
それはなぜか。
理由は走行原理論を理解し
ているから。
事実は雄弁に真実を物語る。
人の世の定理だ。
現代の教習所とかは、徹底
的にUターンと引き起こし
の強化訓練時間とったほう
が、公道での安全に繋がる
と思いますけどね。
あと、大型はやはり15秒以
上の一本橋基準にしたほう
がいいだろう。
簡単な審査基準で簡単に免
許あげて、乗れない人だら
けになって交通事故が減る
要素が無い。
いくら心法を警察が説いて
も駄目でしょ。基本的な基
礎技術が無い人たちに簡単
に免許発行しちゃってるの
だから。
でも、公道を走っていると気
づく事がある。
10年前程よりは、2025年時点
では背骨直立伸ばし硬直載り
の人たちが減っている。
まだまだ硬直背筋伸ばし顎出
しピープルは多い事は多いが、
観察していると、10年前より
は激減している。
啓蒙者たちが正しい情報を発
信しているのが徐々に功を奏
してきているのかも知れない。
背筋をピンと伸ばしたり、腰
を逆反りさせたり(女性に非常
に多い)する乗り方は二輪の運
転には無い。危険だし、運動
学的にもそれは完全に✖。
これは物理的な事であるので
絶対事項だ。
オートバイは「丸く」なって
走らせる。これはアップハン
ドルであっても。背骨直立の
ギッタンバッコンは駄目。
超低速のUターンとかは、ま
た別な理論と理屈が存在する。
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