「心の糧」は、以前ラジオで放送した内容を、朗読を聞きながら文章でお読み頂けるコーナーです。
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坪井木の実さんの朗読で今日のお話が(約5分間)お聞きになれます。
60代の頃に「ああ、年をとったなあ」と感じた時は山を歩いたり、美しい海や湖で泳いだものです。
さて、数か月前のこと、電車に乗っていましたら、賑やかな中学生くらいの男の子達が「ああ、年をとったなあ、このところ、疲れるし、勉強が嫌になったよ」と友達と大声でしゃべりまくっていました。私は思わず彼らを見ながら「くすっ」と笑ってしまいました。あんなに若いのに、何故「年をとった」なんていう言葉がでるのかなあ、驚いたからです。その子たちは90歳近い私をしみじみと見て、急に下を見て黙ってしまいました。私は、あの年齢でよくあんな言葉がでるなあ、と考えこみ、自分は若い気分ではりきって生きているのに「老人と思われたのかなあ」と少々落ち込み、複雑な気持ちになりはじめていました。
しかし、はた、と気づいたのです。
それは、自分の年齢を顧みず、過剰な夢を持ちすぎて疲れ果てていたこと、その為の「めまい」が頻繁に起きている現実を、信頼できる医師に指摘されていたにも関わらず、年相応の謙遜さに欠けていたことです。
この電車の中の小さな出来事以来、なぜか美しいもの、
何故「雅歌」かといいますと、私が欧米で学んだ雅歌の講義を思い出したからです。教授から雅歌の解説を学び、その深遠で神秘的かつ深い神学思想に触れました。そのことを思い出し、この雅歌を深読みすると年相応の愛のあり方をどうすればよいかがしみじみとわかりました。
10代から高齢者まで、人と自分をどう愛すればよいかが、見えてくるからです。