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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

三原の人が駄目な理由

2014年06月07日 | 文学・歴史・文化・科学

前稿の「三原紀行」が26000文字をオーバーしたので投稿できなくなった。
(原稿用紙65枚分)
そのため、同稿のうち、三原地区についてネガティブな情報記載のみ
こちらに別掲することにした。


今から四半世紀ほど前、私が法律事務所に勤務していた頃、我が家の
相続人確定をしなければならない案件があった。
仕事として私が調査および書類作成実務を行ない、弁護士が相続登記等
をしたのだが、その時のことだ。
自家の古い戸籍をたぐって相続人確定をしていたら、族称欄ではなく戸籍
記載欄に「と抹」漏れの個所があった。
戸籍の族称は明治の新戸籍制度で儲けられ昭和23年まで存続した。
明治5年の壬申戸籍には
「華族・士族・卒族・平民」が記載されていが、後に
卒族は士族と平民に分割移入された。
なお、明治5年式戸籍(壬申戸籍)は、身分事項に関して、履歴なども記載欄
に記載されており、また差別的な事項も記載されたままであったので、現在は
完全に封印、閲覧が禁止され、法務局の鍵付倉庫奥深くに眠っている。
たとえ学術的研究のためといえども閲覧謄写は一切できない。
そもそも戸籍簿自体の扱いが極めて非人道的だった。
私が中学生の頃の1975年あたりまで、どこの誰だろうが、どこの誰の戸籍簿
でも勝手に閲覧ができたのである。
なぜ他人の戸籍を閲覧するかというと、興信所などが過去にさかのぼって
その家のルーツをたどり、被差別地区出身かどうかを識別して結婚や
就職差別に利用するためだった。興信所という探偵業のほとんどが結婚差別
のために動いていて、差別を地で遂行していた。金を貰って。
現在も残存する「いいとこの生まれ」や「良家」という意識は、すべて差別
の裏返しであり、結婚の際には「出身か否か」を最大判断基準とする
ようなのが多くの日本人の中身だった。国際的には実に恥ずかしい民度だが、
これが現在も続く日本人の本性なのだ。

戦前の戸籍は現在の戸籍とは異なり、「家」単位のもので、戸主という戸籍主
こそが法的にも実権を握っており、その戸主には江戸期からの階級たる
身分が戦後の昭和23年まで「族称欄」に記載されていたのである。
その「家」制度のため、華族だろうと士族だろうと、「分家」により新戸籍を
編成したならば、族称は「平民」となった。族称は個人ではなく血脈の器たる
家についていたのである。
これとは逆に宮家(たとえば三笠宮など)の宮は個人に対して冠されるもので
あるので、三笠宮様は世界でただのお一人であり、例えば 彬子(あきこ)
女王殿下のことを三笠宮彬子様と呼ぶのは明らかな間違いなのである。
皇室宮家は皇室典範に依拠しており、一般国民の戸籍による人民管理とは
大きく異なる。皇室宮家は「人民」ではないのだ。ここにこそ、戸籍は何の為に
存するのかが見えてくる。明治維新は革新新時代建築ではなく、律令制の
王政復古だったのである。

この戸籍の族称欄は戦後の法改正により、除籍、改正原戸籍、原戸籍と現在
取り寄せ
可能の戸籍簿(明治19年式まで)のすべてにおいて「と抹」(塗り潰し)
処理
が義務付けられた。
しかし、戸籍簿の上部に来歴が書いてある「記載欄」においては族称の
と抹処理の未完がときどきみられる。
私は法律業務として、適法に依頼者の相続関係戸籍を取り寄せて(弁護士と
司法書士と税理士のみが業務上職権で第三者の戸籍および住民票等を
弁護士会・司法書士会等の専門申請用紙によって取り寄せできる)、相続人
確定作業をすることも多かったが、と抹処理の
未達をみつけた場合はその
管轄役所に架電し、知らせてあげていた。
その発行役所が
法的に義務づけられていることを怠っていることになるので、
それは法律的に非常に
問題を残すため、あくまで好意で「事実上」ということで
知らせると感謝された。

大抵の市町村区部の行政担当者はその「好意的知らせ」(ほんらい国賠も
起こせる)に謝辞を述べてすぐに適法に「と抹」処理をする旨を表明してくれた。

ところが三原市役所は違った。
我が家の相続人確定で古い戸籍を取り寄せていたら、記載欄にと抹が
未処理で族称が記載されている戸籍簿があった。いわゆる消し忘れだ。

すぐに三原市役所に連絡して適法に「と抹」処理をするように口頭申請
したら、三原市役所の戸籍担当者は「はぁ?」という対応をした。
それゆえ関連法規を知らせて「と抹」するようにと告げたが、返って来た
言葉は「何か見られたらまずいことでもあるんですか?」というものだった。
本当に公務員の資格を持っているのだろうかと呆れた。てか、ブチ切れるのを
じんわりと我慢しながら
懇切丁寧に説明しても、法律を守ろうという気持ちに
ならないのか、
自ら戸籍吏として課された義務が理解できないらしい。
本当に公務員試験
合格した者なのだろうか。というか、まともな学校教育を
受けて来た者なのだろうか疑わしくなった。訊くとアルバイトではなく正式な
公務員だった。声の印象は若くもない女性だ。(先日も本籍地記載の住民票
を申請した際に、窓口の公務員に錯誤があったのでそれを指摘したが、
サッパリ理解していなかった。公務員試験受かってないのだろうか?)

その戸籍の窓口の女性の日本国の現行法規を無視して憚らない自己中心的
なイナカモン感覚に
だんだん腹立たしくなってきた。こちらも弁護士事務所の
業務として仕事で
やっているから公的にも引けないし、なにより私的にはうちの
家のことだ。華族だろうが士族だろうが平民だろうが、そんなことは関係ない。
族称が戸籍簿に記載されたままというその重大案件を適法に「と抹」処理
すべしという申告を無視しようとする三原市に非常に腹が立った。というか
そんなの看過してよいわけがない。

「あなたでは話にならないから上司を出しなさい」と上司を電話口に出させた。
さんざんたらい回しにされた上、出てきた上司もトンデモ野郎だった。
部署役職名を名乗らせてから対応させた。
するとその者によると「もうすぐ電子化ですべて完全と抹しますから、どうか
それでご勘弁を」とのことだった(実際に電子化されたのはその15年後)。
許されることではない。だが、三原市役所の担当者はどうしてもそこから
譲らなかった。「出るところ出てはっきりさせましょうか」と言ったら、しぶしぶ
と抹した戸籍簿写しをすぐに送るのでそれでご容赦をとのことだった。
送られてきた新たな戸籍簿の写しを見てさらに呆れた。と抹ではなく付箋か
紙を貼っただけ
らしく、記載欄は貼られた四角枠の中央真上に文字の一部が
飛び
出している。と抹ではない。元の文字が推定できてしまう。もう、三原市の
役人の
テケトーないい加減さにほとほと嫌になった。税金泥棒とはまさに三原市
ことをいう。上も下も市役所はボロしかいないのかとさえ思う。

現行法規では記載欄にも族称記載が残存してはならないことになっている。
 
このような戸籍簿はアウト!なのである。
即行で関連法規に従い、職権で族称記載部分を「と抹」しなければ
ならない。このような例は結構あるので、注意が必要だ。


三原人の感覚は行政担当者からしてクズみたいなもんだが、
我が家の戸籍調査では三原市の戸籍吏がいかにトンデモ連中
であるかがさらに明らかになった。
それは、私の父の姉の名が、生まれた時には「○○枝」(仮名)だったのが
戦後の昭和**年以降「○○子」と誤記され、それがずっと存続して
しまっているのだ。
伯母は「小さい頃から○○枝と呼ばれて来たのに、結婚するので
戸籍を取ったら○○子となっていたから狐につままれたみたいだった」
と言う。そして三原市に何度も抗議したら「裁判起こさないと変更でき
ません」と断られたので提訴は方法も分からないから名前表記を変更
するのをやめたらしい。
(真実は三原市役所がそのように言ったとしたら、それは真っ赤な大嘘。
除籍・原戸籍まできちんとたどり、戸籍吏の誤記明白であるなら、職権に
より正しく訂正することが極めて簡便に実行できる。伯母の言が真実で
あるならば、三原市役所職員が嘘をついたのである。)

このケースでは完全に三原市の戸籍吏の転記ミスにより人の名前を
勝手に
変更してしまっていたのだ。何らかの事由により裁判で名を変更
した場合はその旨が記録に残る。それは一切存在しなかった。誤記である。

これは族称残存と並んで尋常ならざる事態なので、抗議した。「一体
三原市はどういう戸籍管理をしているのか。併せて国賠で提訴しても
よいがどうお考えか」と担当職員を詰問した。

さすがに国民の名前そのものを誤記転記していたことは大変な
事態であるので三原市は焦ったようだ。平謝りに謝罪してきた。
戸籍記載を変更して出生時の原名に戻すことは戸籍担当官の職権にて
行なうことができる。
たしかに江戸期の藩士録から明治ごく初期(明治3年)の記録では
広島藩のケースでは、男子の
名前が「○之進」であるところ「○之丞」と誤記が
多く見られたのは
認めるし、それは今更どうにもならない。しかし、存命
している今の
人間の名を戸籍官吏が間違えて記載するというのは、あっては
なら
ないことなのである。
三原市を相手に裁判を起こせば損害賠償金を取ることもできただろう。
しかし、伯母と話し合って、本人の意向でそれはしないことにした。もう
何十年も「○○子」
で住民票・印鑑証明・保険その他の手続きをしてきて
いるので、いまさら
本当の「○○枝」に戻すと事務処理上で問題が大きい
という判断に至り、
本人の意思で「戸籍簿上の名前などどうでもよい」と
いうことになったのである。
「とんでもない失礼な話だ」と憤慨しながら。
伯母は80名くらいの直門弟子を抱える民謡と津軽三味線の師範でも
あったので、関係方面との手前からも今さら実名変更するなどということは
事実上できない。

戦後まだうら若いうちから東京に出て、苦労しながら東京で嫁いで
別家を作っていた伯母だ。自分の名前が一戸籍吏のズボラによって
改変されてそれが法的に見た目の効力を以って自分を拘束してきた
という強圧によって蒙った心的ダメージは計り知れないものがある
ことだろう。ずっと何十年も自分の名前について「おかしいなぁ、おかしいなぁ」
と思い続けて来たとのことだ。(一族の間では出生時からずっと同じ
名前で呼んでいる)


さらにさらに。
さらに三原市がとんでも野郎集団という事例がある。
三原市はうちの本家の土地の上空に
かかって測量ミスで山陽本線を
通してしまった。市の測量ミスで1mほど私の土地に明らかに入り込んで
しまっているのだ。
これは現場の地形を見れば「うっそお?!」と一目瞭然で、JR(当時国鉄)
違法建築となっている。事実上JRの高架線の鉄道を今さら動かす訳には
いかないが、本来の法的手続きとしては、適法に我が家が
提訴すれば鉄道
高架を1mほど移動させなければならなくなる。

何百億円という費用が、たった幅1m奥行10数メートルのために必要
となるだろう。さらに損害賠償を立件させたらもっとかかることだろう。
測量を担当した三原市の明らかなミスだ。何についてもただ偉そうに
威張ったり権威主義的に振る舞うだけで、中身は実として正しい行い
をしていない。それが三原市だ。クズというかクソみたいなもん。

これとて提訴による法的手続きで国と三原市から金を取ろうと思えば
取れる案件だ。
これは市の担当者が平身低頭謝罪しに来て「事実上」という法解釈の
抜け道でこちらが勘弁してやった。うちの親父も人が良すぎる。俺が
担当していたら絶対に緩めないけどな。
そして現在も我が家の上空をJRが勝手に使っているのである。高架線
下のフェンスまで1m我が家の地面に奥行10数メートルに渡ってめり
込んでいて、不法占拠状態だ。ありえへんわ(´ー`)

金がどうのではなく、三原市というのはそのようにトンデモないロクでも
ないクズみたいな行政根性なのである。器以前におそらく中味の人間が
腐っているのだろう。


三原の行政をはじめとする人たちは、「適法」というか、法律を遵守するのだとか、
人を大切にするのだとか、
そういう近代民主主義としての意識が決定的に欠如
している。

もう一度言うが、ウンコ以下のような感覚が行政をはじめとする三原人の
特徴である。これは断言できる。
差別問題にしても、異様なほどに強い差別意識を三原人の多くが
地区の人に対して持っている。

行政も行政なら住人も住人で、うちのハッサク80個盗んだ奴みたいなのが
平気で暮らしている。(先日もレモンをすべて盗んだ)
それを取り締まるオマワリからしてロクでもないのばかりだ。
以前、市内の交差点を車でゆっくり通り過ぎたら斜め後ろからドゴンと突っ込まれた
ことがあった。
すぐに警察を呼んで対処していたら、警官が相手の女性(かわいいお母さん)に
「よっしゃよっしゃ。わしがええようにしちゃるけぇ。わしにまかせときんさい」とか
言っていた。
被害者であるこちとらとしては「ちょっとまてゴルァ」となって、今の発言の趣旨と
所属・姓名・階級を明らかにしろと迫った。警察官身分証も提示しろと迫ったが
一切拒否された。オマワリ警職法無視。違法者脱法者だね。現行犯逮捕して
やろうかと思った。
いや、許される事なら、そのタコオマワリぶちのめしたかったよ、瞬殺技で。

泥棒の親分に泥棒を捕まえさせることはできない。
広島県警三原警察からしてこれである。
三原署にも真面目でよい警官(特に一般盗犯の担当)はいるにはいるが、
交通などはクズそのものだ。
本当にふざけている。
実は・・・ある山中を越えて山向こうに抜けようとした時、パトカーが停まっていた。
普段絶対車がまず通らないだろう道だ。
(こんな場所。これよりうっそうとした山中)


不審に思いながらゆっくりすり抜けたら・・・オマワリ二人でシートを少し倒して
おっさん二人が制服のままグーグーと寝ていた。真昼間である。ゴルァ、
広島県警、ふざけるのも大概にしろよ。
ということで、オマワリなんてのもろくでもない人間がやっているのがここいらだ。
車停めて、Pカーをゆっさゆっさ揺らしてやればよかった。
いや、Pに触れるのは脇が甘い。
横にこちらの車を停めて思いっきりクラクション押しっぱなしにしてやれば
よかった。録画もしながら。そして起きてきたら「どういうことかね」と。

今の三原市長などは就任直後に武道館建設中止を言い出したり、広大
附属校を要らない、ハコモノはすべて撤廃するとか訳わからんこと言って
ひっかきまわして、あれを選んだ市民の見識を疑う。
市長が馬鹿なら市民も馬鹿だ。


だいたい公園一つとっても「公園に犬を入れることを禁じます。公園は
みんなのものです。三原市」という看板を掲げて平然としていることから
して、「三原市」の感覚がいかに差別的か、人権や人道に無頓着で
あるかということが理解できる。犬連れは「みんな」ではない、と市が
明言しているのである。そんな感覚が三原の行政であり、三原の住民
の感性なのだ。(三原の犬は吠えつくか怯えて飼い主に抱きつく犬
ばかりです。飼い主も、別な犬が来るとシッシッというような感じで、
小型犬ならばすぐに抱きかかえ、犬同士の「こんにちは」は殆どなしの
土地です。2003年頃まで、市内住宅街は飼い犬の糞だらけでした。
糞を拾うという文化が不在、そんなものは知らないし「未見」のことだった
のです。インターネットが普及するまでは本当にそんな状態でした)

物理的インフラ等は東京から40年遅れているが、人的中味は明治
以前の前時代感覚なのが三原人なのではなかろうか。
そのくせ武士はほとんどが明治期に三原を捨てて三原から退去した
からか、三原に尚武の気風は現在皆無となっている。
尚武の気風が皆無なのは結構だが、どうせならば、差別性や前近代性
の住民の感覚さえもが消滅してほしいところだった。

三原なんてのは、つまらん土地と土地柄と人柄だよ。
オマワリにしてもとんでもないのが一杯いる。
まあ~~、トンデモ野郎が大勢いるよ。
でも三原人の多くは逆に言う。「どこでもそういうのはいる」と。
いや、岡山をはじめとする吉備地方というのは異常だから。
地元の人間は自己美化で否定に躍起になるけど、よそから来たら
如何に異常かというのがすぐにありありと見えるから。
上述した我が家の戸籍と土地のJRと市による事実上不法占拠の
件などはほんのごく一部だから。
三原は企業誘致に躍起だが、他地方から三原の企業に就職した人の
多くが三原市ではなく東広島市に居住したがっているのはなぜか。
それはどんなに自己美化しようとも、三原がそのように見下げ果てた
場所だからだ。土地も人も。三原というか吉備の国ね。
本気で襟元正したほうがよくなくて?

この閉鎖性、非開明性というのは、戦国時代にいくら海を埋め立てて
城下町を作った新興地だからとはいえ、人的経緯としては、その城郭
という意図的閉鎖空間の歴史が今の三原市の住民の意識形成の基礎
となっていると思われる。
また地理的には前面を海、後方左右を山岳に囲まれた隔絶された僻地
であることが、太古から江戸期まで継続していた「隔離性」に大きく作用
していると思われる。
軍事都市としての人為的閉鎖性と天然の地理的僻地閉鎖性が合体して
強固な前時代的人間感性を骨の髄まで形成しているのだと思量するに
至るのである。

そう思わざるを得ない条件が無数にありすぎて、疲れるよ、吉備国は。
この三原の数倍どぎついのが備中備前岡山だから、すごいでつよ~(^^;
半端ねえってのはまさにこのこと。
童謡の「桃太郎」ひとつ聴いたってわかるべ?
♪桃太郎さん桃太郎さん お腰につけた吉備団子 一つ私に下さいな
ときて
♪やりましょうやりましょう これから鬼の征伐に ついてゆくならやりましょう
ってさ。
団子一つくらいくださいってならあげればいいじゃない。
それを団子一つで命を捨てろと交換条件を出す。
これね、典型的な岡山人の感覚なのよ。侵略者の感覚というか、人を
殴って「手がいてーじゃなーか。どがーしてくれるんなら」と言って金を
むしろうとするような。
あるいは殴っておいて相手のためにやってやったんだ、というような。
一事が万事そういう人間性。義士は絶対にいない。
侵略者の感覚というのはそこを言ってる。
侵略して暴虐を強いておきながら「お前らのためにインフラ整備してやったんだ」
みたいなそういうことを平気で言う感覚。
嘘だと思うならば、まあ、こちらで生活すればあっ!という間に分かるよ(笑
今までだいたい100人位かな、よそから来た人が全員私と同じことを
言っていた。理解できないのは地元の人間ばかりなり。
助からんよ。てか、話にならん。

でも、ときど~き、ごくときどき「恥ずかしいよなぁ」と自省できる人もいる。
1000人いたら1人か2人くらいかな。
そんなもん。
大抵は横柄な自己自慢と自己正当化(事の内容がどうとかは関係なく
どんな内容でも徹底的に自己弁護と自己正当化)が横行する。
大手を振ってまかり通る。

これについても、私はこの地方独特のこの底意地の悪さとネタミ深さと
猜疑心と閉鎖性は、大和王権に制圧されてその後利用するだけ利用
されてポイされた吉備王国の滅亡の歴史、つまり1800年前の歴史の
延長だと思っている。
ということは、この地方の土着性として1800年前からずっと人間の性格が
悪かった。この地域の人間的にえげつない気風はそうした権力抗争での
すさんだ心1800年来の歴史ではなかろうかと。
それほど、人の性格がよじれている土地であり、「ここは同じ日本か?」と
さえ思ってしまう。いや、これほんとだよ。
「生き馬の目を抜く東京」とか言われるが、岡山を中心とする三原までの
吉備地方に比べたら東京などは赤子のように純粋無垢だ。いや、これも
本当。両地に住した私が言うのだから。しかも言うのは私だけではないし(^^;

人もいろいろ、土地もいろいろ、ってね。
通り抜ける旅だと、そこまで見抜けないのではなないかな。
「惜しい!広島」とは有吉がキャンペーンしている広島県内の名産物
についてあまり知られていないので惜しいとする一風変わったCMだが、
三原の場合、惜しいの中身が違う。
本当の本当に「残念」な土地と人柄であるのだ。

ええと・・・
これらの投稿は、私の個人的な思念ではなく、事実です。
助からない、三原!


タコは絶品だけどな、三原。
実は「三原=タコのまち」というのは、この割烹「登喜将」のおやじさんが
仕掛けた。ずっと前から緻密に地ダコを美味しく提供してきた。
(動画のは二代目。三原生まれ三原育ち。しゃべりかたも三原弁では
ないが三原的)

モンちゃんZ「たこフルコース」広島県三原市日本語字幕

しか~し。ここにも腐った三原の事実が隠されている。
実は、三原の他の店などで「地蛸」をうたって出している蛸の店は、
三原蛸ではなくボルネオ産だったりする。これは秘密なんだけど事実。
だけど、みんな騙されている。
ここ登喜将だけは、正真三原の地ダコを仕入れて出す。本物だ。


登喜将の先代おやじさんの手による料理はすごく美味い。
東京や京都のいろいろな料亭も今まで行ったが、俺が思うに同じ物が出せれば
東京でも通用するだろうと思う。鮮度のよい蛸の仕入れがあれば。新橋あたり
に割烹としてこの味の店を出したら大繁盛なのではなかろうか。

そして、「三原はタコのまち」として地道に運動していたおやじさんは、実は
三原の人
ではない。よその土地で生まれて育った人だ。
三原の人間がそんな建設的なことをするわけがない(苦笑

せいぜい、ほかの店のように地ダコではない蛸を三原蛸と偽って店で出したり
する程度のことしかできない。

行く店は選べる。三原では絶対に店を選べ、だ。登喜将は期待を外さない。
行って失敗しない店はごくわずかなので、ある意味店は限定されてくるが。
(接客態度については、一切全国標準レベルを期待してはいけない。
どの店も物凄く偉そうである。アホまるだし。客は客で「金出せば客だ」
みたいな根性の人間ばかり。終わってる廃市が三原だ。これガチ)


しかし、中華人、食い方、めちゃくちゃきたねぇなぁ・・・。くちゃくちゃと。
口をつむって食べるという習慣がない国なんだろうな。
日本も箸が中国から入ってきた頃はこんな食い方だったのかねぇ。
身づくろいを正したり、固有のテーブルマナーができたり、日本はなかなか
いい面もあるけど、吉備国見てる限り、だめだめが多すぎっす。
おお、そういえば、こちら吉備国に赴任してから、食事の仕方があまり綺麗な人
見たことない。
これは、たまたま偶然私の周りだけかも知れないが。

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