【氷狐ノ章/肆】夜路東奔

第一幕 宿場を抜けて

 火の暦八七八年 五月一日


 竜胆と氷雨の二人は京を出ていた。二人は五十三次の始まりの地──あるいは終着地である三条大橋を出る際には着の身着のままであったが、さすがに旅装でそれはまずいだろうと、竜胆は用心棒として稼いだ金で一通りのナリを整えていた。


 動きやすい着物に野袴、竜胆色の羽織を着込んでいる。胴乱と火薬入れ、もろもろ雑多な袋と、水分補給用の皮袋に、塩分を取れるようにと芋がら紐を腰に巻いている。

 額には鉢金。手甲、脛当て。極めて実戦的かつ軽装の防具類。

 そして手には使い慣れた仕込み刀。一見すると黒檀製の高級杖だが、内部には山岳郷で採れる狂飆鉱きょうひょうこうを使用した抜群の切れ味を誇る刀身が眠る。数多の剣客、お尋ね者を仕留めてきた竜胆の愛刀である。


 五十三次の道中。道は中程か。

 昼を少し過ぎた頃。周囲には市が出ていた。大勢が行き交い、歩くたび、肩が当たったり尾が触れるが、そんなことを気にしていては街道なんて歩けないので、竜胆はそれらの接触では動じない。


「離れるな」

「すみません。色々目新しくて」

 竜胆は後ろを歩く氷雨に言った。彼女は洛中での暮らしが長かったと言い、外をあまり知らないらしい。

 生まれは竜胆と同じ裡辺らしいが、幼い頃に遊郭に売られたという。遊女の寿命は恐ろしく短いが、彼女は妖怪として得られた強靭な肉体で疫病や性病には罹らずにすみ、やがて借金を完済したのち、当時恋していた男について京に来たという。


 時に京洛と坂東、どちらを上り下りとするかは、時代による。つまり、どちらが首都であったかによって変わるのだ。

 洛中に都を置いていた頃は、京洛へ来ることを上洛──つまり上りとしていたが、御一新ののち首都機能は坂東へ遷都。坂東へ向うことを上坂、すなわち上りとするようになった。


「桃ですよ竜胆様」

 氷雨がそう言って、間の宿に売られている桃を見た。

極早生ごくわせってやつだろう。二銭か……。店主」


 声をかけられた、初老の店主は「はい、なんでござんしょ」と笑顔を向ける。

「桃を二つ」

「四銭でございやす」


 竜胆は銭入れから四銭取り出し、手渡した。「どれでも好きなものを」という店主の声を聞き、氷雨を見た。

「いいのですか」

「もう払ったから、貰わなきゃ意味がない」


 竜胆にはものを選ぶ際にこだわりはないと見え、適当に一番近い桃を掴んだ。氷雨は発色のいい赤子の肌のような色の桃を手に取った。


(菘の前ならやらないんだけどな)と思いながら竜胆は歩きながら桃を齧る。

 こんな行儀の悪いことをすれば、母が怒るだろう。ちなみに姉は意外と怒らない──というか、村で一番食べ歩きを楽しんでいたのは姉である。竜胆はむしろ注意する側だった。

 氷雨も斜め後ろを歩きながら桃を齧った。どうやら半凍りにしているらしく、しゃくしゃく音を立てていた。

 実に美味そうな食べ方である。


「……僕のもそうしてくれ」

「あら、竜胆様がお願いなんて珍しい」

「……嫌ならいい──」


 氷雨の磁器のように美しい白い手が伸び、桃を半ば凍らせた。竜胆はそれにかぶりつく。しゃりしゃりとした食感が、まるで削り氷のように感じられた。

 そういえば海外使節団が持ち帰ったものの中に興味深い甘味がある。その甘味を富裕層なんかは、「あいすくりん(アイスクリームのこと)」といっており、冷たくて甘い──らしい。

 暗黒時代中期から末期の平晏へいあんの世には、清翔納言せいしょうなごんなる人物が「削り氷ほど雅な菓子はない」と言ったそうだが、彼女があいすくりんなるものを食べたらどのような歌を詠んだか、少し気になる。


 あっという間に凍り桃を食べてしまい、竜胆は買い食いも悪くないと思えていた。


 二人はその日の明るいうちに丸子宿に入った。小さな宿場である。

 明るいうちから宿場に入ることは決しておかしなことではない。恵戸の治世などでは今よりも明かりに乏しかったため、下手に暗い時間に宿に入れば真っ暗な中で飯を食って風呂に入る難儀を強いられたのだ。

 今の燭台ほど、当時の蝋燭は明るさもなく、行燈も、今の人々が想像するほど明るくはなかった。読み書きはおろか、日常的な作業もままならぬほどであった。 


 竜胆と氷雨が旅籠に入ると、丁稚の少年がたらいに張った水で二人の足を濯いだ。これは「濯ぎ」といい、旅籠に上がる際の最初のもてなしであると同時に、土やら砂埃で汚れた足で上がってもらわないようにするための措置である。

 和深大陸の道は西洋諸国と違い石畳で舗装されていない。そのため歩けば土や砂で足は汚れ、玄関口でまず足を洗うのが普通だった。

 誰だって、泥だらけの足で家屋に上がられてはこまる。


 氷雨の足を洗っていた少年が、あからさまに緊張しているのを見て、竜胆は純粋な子だなと好感を持った。氷雨もそのようである。

 だからといって叱りつける主人を、止めることはしなかった。

 丁稚奉公を叱り、しかと教育し仕事を教えるのは、主人の役目である。邪魔をして、彼らの行く末を暗雲立ち込める道にするのは、善行とは言わない。


「こら助平小僧、しゃんとせんか!」

「す、すみません旦那」

「すいやせんねえ。色気ばっかついちゃって」

「いいえ。時に旦那様、ここらで有名な名物はなんでしょう」


 氷雨が袖で口を隠しながら聞くと、当の旦那も顔を赤くし、「へ、へえ。とろろ汁なんかどうでしょう。ここいらじゃあ山芋がよく採れるんです。疲れた体でも食べやすくて、滋養にもいいってんで、お客はみんな食ってくんです」


 竜胆は頷いた。「なら、とろろ汁がいい」

「わかりやした、すぐ用意いたしやす。おい、濯ぎ終わったら、二階奥のお部屋へご案内しろ。粗相なんてするんじゃねえぞ」

「へい!」


 二人は足を洗い終えると、丁稚奉公の少年について二階にあがった。


「こちらです」

 旅籠屋などは往々にして六畳間の客室が基本である。

 竜胆は頷いた。氷雨が「ありがとうございます」と言って、少年に微笑む。

 少年は「何かあったら、気軽にお声がけを」といって離れていった。


「竜胆様にもああいう時期が?」

「あそこまで。……むっつりじゃなかった」

「そうでしょうか」


 竜胆は窓から外を見た。

 火が出ることを想定しているのか、窓口は大きく、いざという時は飛び降りて逃げられるようだ。通りも、延焼を抑える目的は道幅が広い。

 時に坂東では放水設備が整備されているというが、いまだに田舎では破壊消防が一般的である。

 往時の恵戸を真似た街づくりが、地方ではまだ当たり前なのだ。


 この旅籠の部屋は通りに面していて、そのまま火の手を逃れられるように──という工夫なのだろうが、大抵の客は景観重視と思うだろう。


 竜胆にしてみれば外から攻撃される危険性と、脱出の利便性に悩まされる。けれど、己ならば殺気をつかめられるし、氷雨もああ見てて氷術の扱いは並々ならぬものがある。

 ひとまずはここでいいと決め、竜胆は四隅の角に背を預け、杖を抱いて目を閉じた。


 氷雨は巻物と矢立を取り出し、今日の日記をつけ始めた。

 矢立とは筆を入れる細い筒に、蓋つきの付きの小さな墨壺を付けただけの道具である。墨壺には墨汁が含められた綿が入れられていて、これに筆をつけて書き記す──そのような簡便な筆記道具だ。


 和深大陸にも私塾や藩校が元々あったが、それらは現在、学校組織として統率されつつある。各地に小学校などが建てられ、学びの門戸が開かれつつあった。

 とはいえ学校に通わず家業を継ぐ方が、まだまだ、一般的ではある。


 竜胆は生家が学校を兼ねる道場をやっていたので、並以上に勉学ができる。とはいえ、ついぞそれを役立てることなく剣の道に邁進したわけだが──。


 と、襖の向こうから「夕餉のご用意ができました」と声。竜胆は「ありがとう、どうぞ」と返事をした。

 入ってきたのは旅籠の主人である。夕餉の膳を置いて、「何かあればお申し付けを」と言った。


 二人は膳の前で手を合わせた。「いただきます」といい、とろろ汁をかき込む。

 他に漬物、里芋と山菜の煮物、味噌汁とある。それから獣狩ししがりが売りにきたのか、肉の塩焼きなんぞまでついていた。これぞ馳走である。

 歩き疲れていた二人は、食べ方に違いこそあれ、それらをありがたくいただく。


 竜胆は道中、なぜか剣客修行と言い張る男に絡まれ、これを、

 ──斬った。

 こともあり、体力を使っている。

 さらに氷雨を手篭めにせんと襲いかかった士族崩れを斬り捨て、結構な大立ち回りであった。

 氷雨も戦うと言ったが竜胆は行動で返事をし、全ての敵を斬り伏せてから、「行くぞ」と先を促したのだ。


 丸子宿を選んだのは偶然だが、ここの名物が大好物のとろろ汁だとは知らなかった。

 熱い麦飯に、出汁を溶いたとろろが美味い。味付けは、旅人向けに濃口で、他の料理も絶品である。

 決して高級なものではないが、田舎生まれの竜胆には気位の高い料理より、むしろこちら素朴な田舎飯の方が口に合うのだ。

 氷雨も、やはり故郷は田舎であるから、飾らない味が好みなのだろう。箸の進みが早いような気がした。


 二人は食事を終えると風呂に入った。風呂桶に入れられた湯に浸かる。氷雨は──雪女は湯に浸かると溶けて死ぬという俗説があるが、和深雪女にかぎってそれはない。が、熱い湯を嫌うのは事実である。彼女は水を張った桶に入り、糠袋で垢を落とすと、白と氷色の着物に着替えて部屋に戻った。

 暗くなるまで竜胆は本を読み、氷雨はそんな彼にあんまをしてやり、暗くなるといつでも出られる装備で眠った。


 その夜半である。

 五月二日──新月。月明かりさえないこの時を狙ったのやもしれず、加えて降り始めた雨の音に紛れ、気配が三つ。


 竜胆は素早く跳ね起きると、氷雨を揺すった。

「三人ですね」

 気づいていたらしい。


「……なるべく他人を巻き込まないようにしましょう」

 氷雨がそう言った。竜胆は頷くにとどめ、姿勢を低くして外を睨んだ。

 忍び装束だ。夜の闇に紛れる典型的なそれは、日中の活動を度外視している。昼日中ひるひなかにあんな格好をしていれば、忍べるはずもないくらいに目立つが、夜なら別だ。

 何やら囁いており、その独特な言葉の抑揚から淡海訛おうみなまりと知れた。


甲禍衆こうかしゅう……? いや、幕臣からあぶれた今、奴らはただの傭兵か」


 かつて甲禍をはじめとする忍び、隠密連中は恵戸の徳河に召し抱えられ、恵戸城大手三門の警備というお役目を授かった。

 甲禍衆は討幕戦争のおり、かつての栄光を、忍びの栄光を取り戻そうと討幕に転じ戦った。その後は平民の身分に落ち着いたというが、──中にはやはり、血の味を忘れられぬものみ見える。


 ──隠密の栄光? 光を浴びてちゃあ隠れることも秘密も守れないでしょう。


 竜胆がよく知る忍び──自らをただ、隠密と呼ぶ女はそう言っていた。己が得られるはずの一切の手柄を、主人と定めた者の手柄とし、自らは何もいらないと滅私奉公する。

 しかし主人──つまり竜胆の姉なのだが──は、その忍びを誰よりも信頼し、姉のように接し、時に武術の教えを乞うなど、二人は真に姉妹のように互いを支え合っていた。


 何を考えているんだ──竜胆は、徐々に自分が、人斬り竜胆から稲尾竜胆に戻っていることを自覚し、頭を掻きむしりたくなった。


「竜胆様、入口の戸を氷で塞ぎました。出入り口となる箇所は、すべて凍結済みです」

「手際がいいね。……なるべく音を立てずに仕留める」


 竜胆は素早く木札を振り、一つの仕掛け弓を取り出した。弩である。西洋ではクロスボウという。

 把手がついており、それを回すことで弦を引く仕組みだ。そのおかげで、足で固定しながら大きく動作し、弦をつがえる必要がない。

 とはいえ再装填に時間がかかるのは同じ──その仕掛け弓を三つ分、竜胆は木札に収納して持ち歩いている。


「こういうときは私を頼れば良いのです。幸い、水気には困りませんゆえ」


 言い、氷雨は部屋の中で両手に氷の短刀を形成。

 彼女の術〈銀嶺氷霧ぎんれいひょうむ〉は大気中の水分を凍結させる──ものだと竜胆は見ている。

 氷の短刀を受け取った竜胆は、二階から素早く投擲。一人の首を射抜く。氷雨は二本を投げ、慌てた二人を仕留めた。

 仕掛け弓は出し損じゃないかと思ったが、竜胆は素早く収納。


「代金は?」

「すでに置いてあります。迷惑料をつけて」

「降りるよ」


 竜胆の口調も、いつしか、ありし日の稲尾竜胆の──柔らかいそれに戻りつつあった。


 なぜ己たちを甲禍衆が狙うのかは不明であるが、よからぬ企みをする誰かがいる。

 それは竜胆を恨む何者かかも知れないし、もっと大きな、渦のようなものなのかも知れないと感じていた。


 そしてそれは、坂東へ行けば何かわかるだろうという、根拠のない感覚的な、

 ──確信に近い予感を伴っていた。

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