第六幕 変わる者たち
「あんたは、なんで金をかき集めていたんだ」
破壊した関門を見ながら、燈真は侠狸に聞いた。
「……お前は、
「……ああ」
急性の下痢症である。
下痢と尿で恐ろしく体の水分を失っていき、早ければ半日で死ぬ。
そのため、「虎や狼が駆けるが如く、ひとが“ころり”と死ぬ」──ということから、語源のコレラとかけて虎狼痢と呼ばれるようになった……らしい。
「妹が虎狼痢にかかったのは三日前だ。今は隔離されているが、この宿場から少し離れた村落に、患者が十八人いる」
「金を集めるということは……対処法を知っているのね」椿姫は聞いた。
「砂糖と塩を溶いた水を絶え間なく飲ませればいいと聞いた。嘘か
「いや、それで正しいぞ侠狸」燈真が頷いた。
関門の材木を一箇所に集めておく。再利用のためだ。何らかの櫓を作ったり、最悪薪にできると思った。
「経験が?」
「いや、親父が軍医だから詳しいんだ。ひょっとしたら、あんたにとっては俺は間接的には憎い相手かもしれんが……」
「過ぎたことを言い合う気はない。……しかしそうか、治し方は正しかったか」
侠狸の顔が、なぜか曇った。
「事情があるのね。お願い、話して」
「……ここに貯蓄していたものを、
「鉄鼠衆……」
侠狸は悔しそうに奥歯を噛んだ。
「この宿場には恩義がある。俺や妹を助け、仕事をくれた。恩義に報いるのは今だと思い、関を設けたが……お前たちのおかげで過ちに気づいた。俺は行く」
歩き出そうとする侠狸。いや、もう、数歩、十歩と歩いている。
「なぜついてくる」
「ここまで聞いて放っておけるかよ」
「そうよ。私にも弟妹がいるから、守りたい気持ちも助けたい気持ちもわかる」
「……礼を言う。やつらは
侠狸が指さしたのは、ここへくる途中に見た武具を鋳潰して作ったと思われる社だった。
「あれは元来、鎮魂のためのものだった。我らは二度と剣も銃も持たぬという覚悟で、全ての武具をああして社にした」
侠狸が武具の類を一切持たない理由もそれだろう。
「奴らが根城にし始めて、異様な気配が漂い、歪に見え始めた。穢れた空気だ。……虎狼痢の一件がなくとも俺はいずれこうしていたよ」
燈真はその話を聞いて、この土地に生きる人々が、確かな覚悟を持って生きていることを実感した。
安全な場所で、獣を狩っているだけでは知ることのなかった異世界が、一歩踏み出すだけで広がっている。
侠狸は今一度、「いいんだな」と確認してきた。
覚悟が揺らぐことはなかった。
燈真は頷く。
「乗りかかった船だ」
仙谷戦弔宮が見えてきた。
平和を祈る慰霊の社とは思えぬ、邪悪な空気がまとわりついていた。燈真と椿姫は息を合わせたように手首を回し、肩をぐるりと回転させる。
「刀は」
「ここの流儀に従うさ」「ステゴロでも強いからさ、私」
戦弔宮の前、二人の人相の悪い男が階段に座り込み、葉で巻いたタバコを吸っていた。こちらを認めるなり睨みつけてくる。
鼠の耳に、二本の尻尾。
しかし、それゆえの戦術が彼らにはある。
「なんだお前ら」「上納金を持ってきたにしちゃあ太ェ顔してやがる」
「そんなものは生涯にわたって払う気はない」侠狸は言い放った。
気色ばむ二人の鉄鼠。
「奪ったものがあるだろう。返してもらおうか」
侠狸が踏み込んだ。鋭い踏み込みは、先の喧嘩の時よりも切れ味がある。
二人の懐に入ると足場としては不安定な階段上で足払いを仕掛け、男らを転倒させる。
そして素早く足を踏みかえると右の鉄鼠の顎を蹴り抜き、立ち上がりかけた左の鉄鼠の喉に前腕を叩きつけて沈める。
「えらく力任せな技だったな」
「投げ縄打ちと言ってな。この土地に出るテツギュウという牛を捕える際に行う、鉄糸縄を打つ猟法から着想を得ている
西洋では「ラリアット」とかいう技だ。
噂には聞いていたが、そんな技が実在するとは……。燈真は唸った。
「真似していいぞ。友好の証だ」
「そうさせてもらう」燈真は己の右の腕を叩いた。「腕力には自信がある」
椿姫も己の腕を見た。
それから侠狸を見る。系統としては己と極めて近しい狐狸妖怪だが、侠狸は見ただけで相当な修練を積んでいるとわかるくらいには筋肉質だ。
無論椿姫も女の身に充分の筋肉を持ち、それはしなやかに針金の如く頑丈だ。ならば己でも投げ縄打ちはできるだろう。
侠狸が門前に立ち、燈真、椿姫に目配せした。
燈真と椿姫は意味を察し、大きく頷く。
「イチニの、サン!」
三人は息を合わせて門を蹴り飛ばした。
怪力揃いの妖怪が三人足を突き出せば、樫板の門は砕け散る。金具部分はひしゃげ、遅れて落下。拝殿内にがらん、からん、と金属音が響き渡る。
殿内にはやけに煌々と輝く燭台が並んでおり、奥には二基、篝火が炊かれている。鉄の堂内はそのせいで蒸し風呂のように暑くなり、鉄鼠たちは汗まみれになって、攫ったか買ってきたかした女たちとまぐわっている。
椿姫は涼しい顔だが、内心、女を食い物にするその扱いに、怒り狂っていた。
尾から立ち昇る妖気が炎のようにゆらめき、触発された鉄鼠たちが殺気を滲ませる。
数はざっと五十。
一人一人は二尾、良くて三尾。椿姫は五尾、侠狸は四尾、燈真には尾がないもののその実力は六尾にも比する。
頭領と思しき、大柄の鉄鼠が酒瓶をがつり、と音を立てて置いた。
「穏やかじゃあねえな」
「そう思うなら構えろ、デブネズミ」
侠狸が冷ややかに言う。
デブネズミと言われた頭領は顔を真っ赤にし、「やっちまえ!」と命令した。
──狂瀾怒濤。
五十人近い敵勢に対し、こちらは三人。その差、十六倍。
一人に手間取ればそれだけ危機を招くことは必定。よって、一撃で敵を沈めることが肝要であった。
燈真は鳩尾に、喉に、顎にそれぞれ拳や貫手を打ち込んで一撃で沈めていき、椿姫は投げ技で複数を巻き込みながら制圧。
侠狸は自慢の前腕を薙ぎ払って、投げ縄打ちで倒していく。
酒と喧嘩と遊郭は、和深妖怪の花道。そう言われるほどに彼らの気性は──若い世代は特に──苛烈である。
それは二百年以上、三百年近く続いた泰平の世を挟んでも、そう易々消える性質ではない。
頭領は慄いていた。
──なんなんだ、あの化け物どもは。
──これだけの手下がいるんだぞ、怖くないのか?
──狂っている。
特にひとり、絶対に敵に回してはならない奴がいる。
白髪に、藍色の目、本人からして右のこめかみに黒い角を生やす、あの大男。
頭抜けて強い。腕力も胆力もそうだが、あの絶妙な石火流しが厄介だ。手下の斬撃、刺突を次々流し、それどころか足を狙う槍の突きさえ、足捌きによる石火流しで捌ききっている。
天性のものだとしたら、こんなに不公平な天賦はない。
──勝ち目などない。
──俺たち鉄鼠は良くて雑兵だ。戦でも、いつだって、足軽の身分。
──花の道を歩く貴様らにわかるまい、踏みつけられる、俺たちの苦痛が。
頭領は大太刀を握り、鞘を払った。彼は鉄鼠にしては恵まれた体躯を誇っている。五尺五寸、鬼に比べたら豆のような扱いの身丈も、鼠妖怪にとっては羨望の眼差しで見られる。
時にあの鬼の男、鉄鼠にとっては恐るべき巨人めいた体躯だが、鬼の中では「小柄」だ。
本来鬼は、八尺、時に九尺にすら届く身丈を持つ。中には、十尺(三メートル)を超えた例すらある。
「うおぉおおおおおおお!」
鉄鼠の頭領は雄叫びを上げて切り掛かった。短刀、短剣、脇差。小柄な体躯を補う槍、あるいは鉄砲──それらとは異なる、恵まれた己にしか扱えない大太刀による斬撃。
首を跳ね飛ばしてやる! そう一心に誓い振り抜いたが、侠狸とかいう若造が滑り込んできて、顎に痛烈な掌打を叩き込まれた。
「ぐえっ」
侠狸は素早く頭領の脇腹に拳を打ちつけて、鳩尾へ肘、喉へ投げ縄打ち──西洋風に言えば、ラリアットを叩き込む。
拝殿の板の間が割れ、女たちが呆然とそれを見ていた。
手下も、頭領がやられたことで戦意喪失。
がちゃがちゃと刀剣やら槍を捨て、しかし、逃げる者は一人としていない。
それどころか、気を失った頭領を守るように集まってくる。
「……俺は多くの旅人から金を分捕ってきた。お前らとやっていることは変わらんだろう」
侠狸はそのように切り出した。
「だからこそ、お前たちを殺す気はない。それで許された気にもならない。……時間はかかるだろう。だが俺と、どうか……やり直さないか。真っ当に、生きる道を探さないか」
つい昨日までの自分ならば、決して言わない言葉だったと、侠狸も思っている。
だが、変えてくれた「友」と出会った。
それに応える道は、これしかないと思った。
「俺がいる宿場には虎狼痢に苦しむ者がいる。救うには、塩と砂糖がどうしてもいる。まずはそれを返して欲しいんだ」
鉄鼠たちは顔を見合わせ、小さく、頷いた。
「それなら、蔵にある……なあ、本当に俺たちみたいなのがやり直せるのか。どれだけあんたらを傷つけたと思ってる」
「容易い道ではない。憎む者もいる。……一生許されず、その罪に苛まれる。俺もだ。ひょっとしたら、復讐されるかもしれん。でも、投げ出すわけにはいかないんだ」
侠狸は腰を下ろし、そう、語った。
鉄鼠たちは頭領を起こし、その、争いの気配のない空気の中であらためて話を聞き、「俺たちにできることといやあ、似たような盗賊から、あんたらを守ってやるくらいだ。あいにく、こういうことしかできやしねえ」と呟いた。
それから「女たちは売られてきた連中だ。行くあてがねえ。……最悪、俺らはどこぞに突き出してもいいが、女子供は勘弁してくれ」と頭を下げた。
侠狸は言った。
「ああ。見張りがいるかいないかでだいぶ変わる。あんたらが睨み効かせてるだけで、みんな安心して寝られる。……変わるんだ。俺も、お前たちも、皆」そう言った。
燈真と椿姫は何も言わなかった。これは、彼らの問題である。部外者が口を出していい場面ではなかった。
でも、良かったと思った。
許されることはないかもしれない。むしろ、憎まれ続けるかもしれない。
だとしても、彼らの目には確かに生き方を変え、改め、直そうとする強い意志が宿っていた。それだけで、今は充分だった。
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