第五幕 仙谷宿の侠客
三月十日 日曜日
不定時法未の上刻(定時法:十三時)
燈真たちは左手に大きな社を見た。
火湖神社──そのような様相にも感じられる鉄製の鳥居であるが、しかし、鳥居というにはちと物騒である。
というのはそれは、中途半端に溶かした大砲やら鉄砲を溶接したような作りで、戦神を祀るというには無骨すぎ、荒々しい。
何よりも、むしろ戦の神を──祟るような異質ささえも感じられた。
「なんだあれ」
「わかんない」
椿姫も初見であるらしい。燈真が今年で二十七である。椿姫は見た目こそ燈真と同じくらいだが、実年齢は一〇九歳。その彼女が知らないということは、あの討幕戦争のあとで建てられたものなのかもしれない。
考えても仕方がなく、それでも気になって、二人はちらと本堂を見た。
やはり、何かの武具を鋳潰して作ったような歪な造りである。戦、武というものを畏れ、憎む気持ちを歪に塗り込めたようにも思えた。
そして同時に、あれらの武具によって死した者を弔うような──。
半刻ほど歩いていくと、宿場らしきものが見えた。
「本当にあった」椿姫は顔を明るくした。
真っ当に寝られる。燈真も口元こそキツく結んでいるが、内心快哉を叫んでいた。行水できる。ひょっとしたら、湯にも入れる。
しかし、宿場の前では関が設けられており、一人、若い参宮者が蹴飛ばされていた。
「剣呑だな」燈真が眉を顰めた。
「何があったの。この関は何?」椿姫がそばにいた、喜捨を受けて旅する天蓋という笠を被った僧形に問う。
「みかじめです。ここいらを仕切る侠客だとか」
平坦を装ってこそいるが、しかし、明らかに人の心の荒廃を嘆いている。
燈真の脳裏には、旅立って間もなく見捨てた村落の者が浮かんでいた。
あのときは大義だとか、大局だとか思っていたが。
(そもそも俺は、大義を成すような器じゃあない。身内のことで手いっぱいな青侍に過ぎないだろう)
「燈真、顔に全部出てる」
「うるさい──。皆、離れていろ」
燈真が低く、通る声で言った。武士にとって、鉄火飛び交う
呼吸法、発声練習は、各家々で異なるが、漆宮家では山を相手に喉を鍛える。要は、山彦を相手にひたすら大声を張り上げる修行だ。
燈真の喉の筋肉は、鬼の気質もあり極めて丈夫。そして、たいていの者が見上げる大男が威厳たっぷりに言えば、下がるのは世の常。
──けれども、威圧感がない。
周囲を落ち着かせる奇妙な温かみがある。しかし、それは同時に燈真の甘さの裏返しでもあった。
「おいおい兄さん、困るな。皆さん方、ここを通りたいと仰せなのに」
痩せ気味の、身丈五尺四寸(一六二センチほど)の男がそう言った。妖怪──種族は化け狸である。尾の数は四本。
顔立ちこそ優男だが、額には真一文字に傷、瞳の色は殺人者のそれ。己も人を殺めたからこそわかる、同類の匂いをひしひしと感じた。
「ならその粗末な門を壊したらどうだ。皆通れるだろう」
「そうはいかんね。我らは治安を守らねばならない。一旦通行税を払えば、それを無碍にする振る舞いを宿場でするかね?」
確かに、金を払ったのにそれを捨て去るような無様を、わざわざ働こうとはしない。
なるほど、通行税とはそのような側面もあるのかと得心がいく。けれども。
「ならば、お前たちの雇い主に、直に税を納めるとしよう」
「暗殺されちゃあ敵わん」
「お前たちが俺に刀を擬せればいい。怪しい真似をすれば首を刎ねろ」
「この自治は自主的なものなんだ」
「自主的か。ならば雇い主はいないな」
「全くその通り」
燈真は、矛盾を指摘してやった。やつの論弁に出た、綻びを。
「ならばお前らは誰を暗殺されることを危惧した? 雇い主はいないんだろう」
「餓鬼が……大人しく、金を払えば通してやるものを」
「本性が出ているぞ」
燈真は拳を構えた。左手を前に出し、体を右後ろに開く。
侠客もまた両の前腕で頭部を包むような構えを取る。
「仮にも侠客だろう。俺が勝てば、門を壊せ」
「約束する。だが俺が勝てば、貴様の荷と金を全てもらうぞ」
先に仕掛けたのは侠客。
己を砲弾と見立てるような重量感のある突撃。
燈真は左手で相手の肘先を右に逸らし勢いを流す。石火流しである。侠客はしかし読んでいたように足払いをかけてきた。
燈真は向こう脛を蹴られて、痛撃に奥歯を噛みつつ右の下段蹴りを繰り出した。
相手のふくらはぎを打ち据えて、よろめいたところに脾腹に手のひらを添えて上へ押し上げるように突っぱねる。
上方へ体が泳いだ侠客の腕をとって足を絡めて、体重をかけつつ引き倒した。
そのまま、腕ひしぎ十字固め──柔術の技だ。
「ぐぅ──ッ」
「参るというまで力を強め続けるぞ」
「誰が、言うか!」
侠客は足まで決められていないと痛覚で認識、腕を決められたまま抗うのではなく時計回りに腰と足の動きで回った。
「!」
燈真と直線で結ぶ形になったところでうつ伏せになり、拘束を逃れた。
跳ね起きた侠客は肩を大きく回す。
「啖呵を切るだけはある。みくびっていたよ」
「場数を踏んでるな」燈真は関節技を逃れた技量を賞賛する意図でそう言った。
「こんな商売だ。喧嘩ができなきゃ話にならん」
燈真は、名乗るのが礼儀のように感じられた。
「魅雲村郷士、稲尾狐閃流格闘術皆伝、漆宮燈真」
「故郷はそこらの野山、我流喧嘩殺法、
睨み合う。周囲の旅人は固唾を飲んでいた。
椿姫はこの喧嘩の行方は油断した瞬間に決まるとわかっている、けれど、だからこそ燈真が勝つことを信じて疑わない。
あの青年は、気の毒なほど生真面目で、休み方さえわからなくなるほどに修練に明け暮れる唐変木であるからだ。
その努力が燈真を裏切らないことを、二人は知っている。少なくとも、燈真は努力をしてきた過去の己を見捨てたりはしない。
今度は燈真から仕掛ける。
絞め、関節──否、直に、殴る。
右拳を相手の鳩尾──水月へ打ち出す。驚くほど愚直な正拳で、侠狸は手首を押さえつつ燈真にとっては内側へ巻き込むように逸らす。「くそ──」驚きはなかった。この男ならば石火流しくらいは使うだろうと読んでいた。
燈真の体がゆらぐ──が、すぐに判断を変え、泳いだままの体を宙に流して左の踵を侠狸に振るった。
侠狸は屈んで避けて燈真が着地する寸前を狙い、突っ張りを顔面にぶち込む。
鼻面に炸裂。「いッて……」と漏らしつつ反撃の左拳を相手の頬に叩き込んだ。
息を合わせたように後ろへ下がって、燈真は、折られた鼻を強引に曲げて戻した。侠狸も血とともに欠けた歯を捨て、笑う。
「久々に骨のある奴で嬉しいよ」
「それだけの腕があれば、阿漕な真似しなくとも、真っ当に稼げるだろう」
「馬鹿言え。この生き方しか知らんのだ。これで身を立てた。家名も後ろ盾もない野良の妖怪がのし上がるにはこれしかあるまいよ」
この男にも事情がある。だが、燈真にも椿姫にも、ここを通りたい皆に事情がある。
穏便な折り合いをつけられればそれに越したことはない。だが、燈真や侠狸は、拳を交える以外のやり方がなかった。
それでも、無関係な誰かを巻き込み傷つけはしない。それが、共通している。だからこそ、燈真も卑怯はしたくない。
腰に差している大小を鞘ごと抜いて置いた。
そして身に纏う着物を諸肌脱ぎにし、晒しを巻いた素肌を寒風にむき出しにした。
「仕込みはねえ。武器もねえ。俺たち鬼には横道などないからな」
「だろうさ」侠狸も着物をはだけた。任侠らしい片肌脱ぎ。「狸といやあ何かとはかりごとと結びつけられるが、俺にそんな学はねえ。あんたに綻びを見せちまったことからもわかるだろう」
侠狸が笑った。燈真もつられて笑う。
時に、汗臭く殴り合わねば解らぬこともある。机に齧り付くだけが、学びではないと燈真は思っている。
筆を取る、書を読む、野山を駆け、獣と戯れ、移ろう季節に身を委ねて、
「いざ」
殴り合う。
二人はもはや避けることも凌ぐことも、流しもしない。
ひたすらに、子供の喧嘩のように真っ向から殴り合う。
拳骨がぶつかり、歯が砕け、骨が軋み、肉が腫れて裂け、汗と涎が散り、そして、
どちらともなくふっとたたらを踏むようにして、真後ろに倒れ込んだ。
「くそっ、あんたには敵わねえ……」侠狸が清々しそうに笑う。
「こっちの台詞だ……喧嘩で引き分けたことなんか、滅多にねえんだが」燈真もたまらず、吹き出した。
その喧嘩の花道を見ていた旅人は、さっきまで虐げられていたことを忘れたように、賞賛の声を上げた。
酒と喧嘩は妖怪の──和深の花道。
「……もういい、わかった、関門を壊す。ただ俺一人じゃあ骨が折れる。……燈真、あんたも手伝え」
「……もう少し休憩したらな」
椿姫は呆れたように眉を跳ねた。いや、心底呆れ、そして愛おしく思った。
男という生き物の、馬鹿馬鹿しく、可愛げのある真っ直ぐさに。
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