2025年8月号|特集 TUBE

【Part1】1985-1986:結成、デビュー~「シーズン・イン・ザ・サン」のブレイク|TUBE Stories 1985-2025

解説

2025.8.1

文/小川真一


「シーズン・イン・ザ・サン」の急上昇をラジオで聞きながら車のハンドルを握っていた体験は一生忘れないだろう


 TUBEという名前を口にする度に夏を思い出す。これほど季節感をもったバンドは、日本中探しても他にいないだろう。“夏しか働かないバンド” とも言われるが、もちろんそんなことはない。TUBEは1年中忙しいのだ。逆に、これほどまで夏を定着させたのは、彼らの功績であり、誇りでもあると思う。

 TUBEは最初からバンドであり、ずっとバンドであり続けている。どんなに売れようとも独立するわけでもなく、メンバー・チェンジをするのでもなく、いつまでもがっちりと鉄壁の4人が並んでいる。簡単そうでなかなか出来ることではない。これは貴重なことなのだ。

 どこでこの4人が集結したのか、まずは彼らの結成前夜からをみていくことにしよう。

 ギタリストの春畑道哉は、’66年生まれで町田市出身。春畑少年の原動力は、負けず嫌いと目立ちたがり屋だった。友達が何かを始めると、すぐに自分でもやりたがる。ピアノ教室に通うようになったのも、これがきっかけだった。ところがそのピアノも小学校の高学年になると「ピアノは女の子がやるもの」と言いだし、自分は野球に熱中していく。
 
 幼稚園の頃から習い始め、毎日のようにピアノを弾いていたというから、腕前はかなりのものだったはずだ。友人の前で、アニメやテレビの主題歌を即興で弾きこなした、という話も残っている。中学の先輩が、春畑がピアノを弾けることを聞きつけ、キーボード奏者にと誘われる。最初に覚えた曲はジャーニーの曲だったそうだ。

 がしかし、キーボード奏者はステージの隅っこに置かれることが多く、中央で目立つのはギタリストばかり。そう思いギターに転向する。この直進さが思春期の特徴で、その後はギタリストとしての人生を邁進する。中学の時に組んでいたバンド名がレインボー。この名前からも判るようにリッチー・ブラックモアが大好きで、「メイビー・ネクスト・タイム」を弾きまくっていたという。

 高校時代には選りすぐりのメンバーを集めたバンド、バッキングMを結成。この頃からもうプロのギタリストを目指していたという。そんなある日、地元の町田で長戸大幸が審査員をつとめるコンテスト、シルクロード音楽祭の告知を目にする。長戸といえば、高崎晃率いるラウドネスを手掛けた人物。「これは応募せねば」と思い、猛練習を開始する。

 角野秀行と松本玲二が出会ったのは、高校時代。角野がニ年生の時に、同じ軽音楽部に松本が新入生として入ってきたのだ。

 ’65年生まれで座間市出身の角野秀行は、最初はギタリストだった。中学の時にすでに中古のレス・ポールを手にしていたというから、そうとう入れ込んでいたと思う。当時の彼はディープ・パープル(リッチー・ブラックモア)派だった。

 転機が訪れたのは中学の時。親しい友人でライヴァルだったギタリストがフェンダーのギターを手に入れた。それまでギブソンを持っていることが角野のアイデンティティだったのに、フェンダーを買われてしまっては自分の出る幕がなくなってしまう。そう思い、ベースに転向する。こういった思い込みも、青春時代ならではのことだが、かくして不動のベーシスト角野秀行が誕生する。

 ’66年生まれで座間市出身の松本玲二は、テレビでキッスの演奏をみて、ドラムに興味を覚える。とはいえ、簡単にドラム・セットは買ってもらえず、先輩の家に上がり込み練習を始めたという。これは彼が小学校の頃。

 初めて人前で演奏したのは中学の文化祭で、練習期間は1週間しかなかったという。それが悔しかったと思うが、高校に入学し、すぐさま軽音楽部に入部した。その高校を中退し、オートバイ屋で働きモトクロスの選手になるという野望もあったそうだが、彼を音楽の道に繋ぎ止めたのには、軽音楽部の先輩の角野秀行の存在があったのだろう。

 ヴォーカルの前田亘輝は、’65年生まれで厚木市出身。まさにフロントマンという存在感を持っているが、それは小学校時代から変わらない。中学の時は剣道部に所属し、県大会にまで進んでいる。その中学時代から音楽に興味を持ち、最初のアコースティック・ギターを手に入れている。

 高校に入ってからは、ヴォーカルを頼まれライヴハウスなどにも出演するようになる。前田が他のメンバーと違っていたのは、音楽の裏方の仕事に興味を持っていたことだ。地元の厚木にあったアツギ・ディレクターズ・カンパニーや、長戸大幸率いるマネージメント集団ビーイングにも顔を出すようになる。

 ビーイングに参加するために高校へ休学届を出したほどなので、音楽の仕事を真剣に考えていたのだろう。そのビーイングでは、コンサートのスタッフやローディー(楽器運び)などの仕事を任された。長戸大幸社長から、町田でビーイング主催のコンテスト(シルクロード音楽祭)が開かれるのを聞き、自身のバンドを結成し参加することを決める。この時に、以前から知り合いだったドラムの松本玲二に声をかけたのだ。

 このシルクロード音楽祭には、松本の友人であったベースの角野秀行も観にきていた。つまりはここで、偶然にもTUBEとなる4人が会したことになるのだ。大会の優勝者は出なかったのだが、前田亘輝がベスト・ヴォーカリスト賞を、同じくコンテストに出場した春畑道哉がベスト・ギタリスト賞を受賞した。

 後日、前田は春畑に会い、プロになることを前提にバンド結成の話をもちかける。ここで運命の糸が繋がる。前田、春畑、角野、松本の4人が出会うのは、宿命であったような気がしてくる。こうして出来上がったのが、TUBEの前身となるバンドのパイプラインだ。

 パイプラインという名前は、サーフィン用語に由来している。ザ・ヴェンチャーズの曲名としても有名だが、大きな波の下にできる空洞を意味する。この空洞のことをチューブとも呼ぶのだが、ソニーのオーディションに合格した彼らは、TUBEに改名しプロ・デビューすることになるのだ。


TUBE
「ベストセラー・サマー」

1985年6月1日発売
作詞:三浦徳子/作曲:鈴木キサブロー/編曲:武部聡志・鈴木キサブロー


 記念すべきデビュー曲「ベストセラー・サマー」は、’85年6月1日にリリースされた。作詞は三浦徳子で、作曲は鈴木キサブロー。曲のアレンジ、ストライブ柄の衣装、それに髪型まで、事務所先行で決められていった。TUBEというバンドのイメージを一般に定着させるのには、これがベストな方法だったと思う。

 「ベストセラー・サマー」は、シングル・チャートの13位に駆け上った。デビュー曲としてはかなりの好成績。とはいえまだ新人バンドであり、テレビの歌番組に出演した際に「ウェーブの皆さんです」と間違って紹介されたりもした。『夜のヒットスタジオ』に初登場した時も、急遽キャンセルになった海外アーティストの代打としてであった。


TUBE
「センチメンタルに首ったけ」

1985年10月21日発売
作詞:三浦徳子/作曲:鈴木キサブロー/編曲:長戸大幸


 すぐにバンドとして大ブレイクしたわけではない。セカンド・シングルの「センチメンタルに首ったけ」は伸び悩み、続く「シーズン・イン・ザ・サン」をリリースした時も、ワゴン車に楽器を積んで北海道ツアーをおこなっていた。’86年4月21日に発売された「シーズン…」は、夏が近づく度に売り上げを伸ばしていったのだが、その急上昇の様子をラジオで聞きながら車のハンドルを握っていたという。この体験は一生忘れないだろう。


TUBE
「シーズン・イン・ザ・サン」

1986年4月21日発売
作詞:亜蘭知子/作曲・編曲:織田哲郎


 ’86年夏のお茶の間を賑わせたKIRINのビールCF曲にも起用された「シーズン・イン・ザ・サン」はシングル・チャートで、21回登場し最高位は6位。人気テレビ番組の『ザ・ベストテン』では堂々第1位を獲得した。TUBEが “夏のバンド” として認知されるようになったのは、この曲のこの時期のヒットによるものなのだ。彼らは、’87年の「SUMMER DREAM」、’88年「Beach Time」と “夏の3部作” を大ヒットさせ、さらに邁進していくこととなるのだ。

【Part2】に続く)



◎TUBE 40周年記念コラボレーション・アルバム!
TUBE 『TUBE×』
(読み:チューブ・カケル)

2025年8月6日発売


◎TUBE初のオールSinglesベストアルバム“Blue”盤[1985-1999]
TUBE 『All Singles TUBEst -Blue-』
2025年6月11日発売


◎TUBE初のオールSinglesベストアルバム“White”盤[2000-2025]
TUBE 『All Singles TUBEst -White-』
2025年6月11日発売


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